第十章 告白と悲しみ
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トニーにしたら悪気はないのはわかるが、物事には順序というものがある。
いきなりパンドラの箱を開けたら収拾がつかなくなることくらい、わかりそうなのに、それを平然とやってのけるのも、やっぱりトニーならではだった。
詩織はまだ泣き続けている。
ジョーイとキノはどうする事もできずに、側で突っ立っていた。
原因を作ったトニーは、かき回すだけかき回して、この時とばかり、部外者面して逃げてしまった。
トニーを責めても、この状況は変わらないので、ジョーイはなんとかしようと試みた。
「腹が減った。飯でも食いにいかないか」
ジョーイの提案に詩織はかぶりを振る。
「何か食べられる気分じゃない」
「しかし、周りはじろじろ見ていくし、このままここに立ってる訳にもいかないだろ」
ジョーイは周りの好奇心の目に居心地悪かった。
助けを求めるようにキノを見るも、キノも困惑しきっていた。
キノも自分の事で精一杯なようで、反対に助けて欲しいと、懇願の目をジョーイに向けた。
いつまでこんな調子が続くのか、ジョーイは我慢できずに深い溜息を吐いた。
それに詩織は反応し、ゆっくりと顔を上げた。
その後は大雑把に自分の制服の袖で涙を拭った。
以前ジョーイに袖で涙を拭けと言われたように、それを自ら実践する。
「ジョーイ、ごめんなさい。ショックでこんな風になってしまったけど、私受け入れるわ。仕方ないもんね」
「詩織……」
「でも、相手がキノちゃんでよかった。辛いけど、なんだか応援できそう」
「あの、詩織さん、ちょっと待って」
「いいのよ、キノちゃん、気を遣わなくても。でも本当はもうちょっとジョーイを追いかけたかった。これでファンクラブも解散だわ」
「おい、何話してるんだよ」
「ファンクラブを創設したのはこの私なの。皆とジョーイのことでわいわいするのも楽しかった」
「勝手に俺の知らないところで、俺のこと話題にするなよ」
「いいじゃないそれくらい。あーあ、でも、泣いてすっきりした。すごく残念だけど、でもジョーイがキノちゃんを好きなら仕方がないもんね。じゃあ、私これで帰るね」
詩織は目を赤くしたまま、一生懸命笑顔を作ってジョーイとキノに手を振って去っていった。
無理をしているのは明らかだったが、こういうときも詩織らしく、その潔さはかっこよかった。
「あいつ、男前だな」
ジョーイはすっかり脱帽していた。
背筋を伸ばし、凜とした詩織の後姿を、二人は惚れ惚れしながら見ていた。
詩織の問題は無事に解決し、ほっとしたのも束の間、二人は顔を合わせて、気まずくなっていた。
「遅くなっちまったな。帰ろうか」
「うん」
ぎこちなく二人は会話をして、駅のホームに向かう。
トニーに自分の気持ちをばらされ、ジョーイはこの先どうしていいかわからない。
それはキノも同じなのか、ジョーイの側で息をするだけでも精一杯に胸が重苦しい。
外はすっかり暗くなっている。
駅のホームは電灯に照らされ、線路側と明暗がくっきりと分かれていた。
圧迫する闇に押し込められたように、体が圧縮し、息苦しい。
ごまかしも逃げることもできずに、二人は肩を並べて立っていた。
「あのさ」
「あの」
二人は同時に喋りだし、それが余計に気まずさを増幅させる。
お互いそちらからどうぞと言い合い、無駄な気遣いがまた神経を消耗させた。
このままではいつまでも同じだと、ジョーイは覚悟を決めて話の主導を握った。
ぐっと腹に力が篭る。
「トニーが言ったことだけど、俺がキノのことを気にしているというのは本当のことだ。だがその前になぜそうなったか聞いて欲しい」
キノも緊張して「うん」と首を縦に一度振った。
「前にも話したけど、キノを見てたら昔に会った友達を思い出すんだ。ちょっと訳ありの状況でね、突然その子が俺の目の前から消えたんだ。俺はずっと気になっていたんだけど、状況が状況だけにあまり人には言えない話で一人で心の中にしまっていたんだ」
ジョーイはここでまず一息ついた。キノの様子を窺ってからその先を続ける。
肝心なところは伏せていたので、どこまで言いたいことのニュアンスが通じているのか少し慎重に話していた。
キノは眼鏡の奥から澄んだ瞳でジョーイを見つめ、話を漏らさないように聞いている。
「キノがビー玉を俺の目の前で転がして『I lost my
marbles』って言った言葉が、過去の記憶と重なってしまった。俺の友達も同じことを言って、そして二つの意味があることで俺がそれを指摘して笑って
いたんだ。それから、キノを通じて友達の面影を思い出しているうちに、それがいつの間にかキノを意識するようになってしまったっていうことなんだ」
ジョーイが話し終えた後、キノは口元を上げてにこりとした。
「そっか、そういうことなら気にしないで。私も今朝リルと張り合ったような態度をとったけど、あの時リルの自分の感情をあからさまにする態度が羨ましく
て、つい真似したくなっちゃったの。私、あまり友達いないから、ああやって女の子同士で張り合うこと一度やってみたかったし、高校生らしく恋の真似事もつ
い経験したくて、調子に乗っちゃったの」
「えっ」
ジョーイは困惑していた。
キノは自分の話に合わせて恋愛ごっこと片付けようとしているだけなのだろうか。
話の核心を避けて上辺だけを無難に話すことに、自分の期待から外れてしまう。
うやむやにされたくない思いに瞳が揺れて、視界がぼやけるようだった。
「だってジョーイは女の子達の間で人気者でしょ。そんな人にあんなことができるなんて滅多にないことだからついやっちゃったって感じ。初めて会ったとき、私がおどおどしてたのも、ジョーイがまさか私の側にくるなんて思わずに、緊張してたの」
ジョーイはまた言葉を失う。
結局は、お互いの恋の感情なんて二の次になっていく。
だがキノがあやふやにしようとしたことで、却って目覚めてしまった。
ジョーイの気持ちは、収まりきれないところまで来ていた。
きっかけはそれぞれなんであれ、ジョーイはキノが気になって仕方がない。
はっきり伝えなければ後悔する。
それが恋として求めているとジョーイはもう認めていた。
心の赴くままに、ジョーイは自分が何をしたいのか自問自答する。
キノの側にいて気がついたことは、自分の感情が自然と噴出して心地よかったことだった。
キノがアスカを思い起こさせるなどもうどうでもよくなってしまった。
ジョーイは殻をやぶったように突然感情があふれ出し、そのまま思ったことが口から出てしまう。
「なあ、キノ。お互い変なところから入っちまったけど、どうだろ、俺達付き合わないか。俺はもうこの気持ちに無視はできないんだ。キノは俺のこと恋愛の対象には見られないか?」
自分の口からそんな言葉が出るとはジョーイも驚いていたが、それと同時に自分の言葉に反応して最高に胸がドキドキと高鳴っていた。
キノは眼鏡がずり落ち、レンズを通さずに眼鏡と顔の隙間からジョーイを驚いて見上げていた。
ホームに電車が入るアナウンスが流れ、辺りが動き出しても、二人は動かずそのまま見詰め合っていた。