Lost Marbles

第十章


「(ギー、こんなところで何をしてるんだ)」
 またややこしいのに会い、邪魔をされてジョーイは不機嫌極まりない。
 その間にも、キノ達はマンションの入り口にさしかかり入っていく。
 ジョーイは怒りを込めてギーを睥睨していた。
「(そっちこそ、かなり苛立ってる様子だが、なんかあったのか)」
「(うるさい)」
「(おいおい、落ち着けよ。そうすれば、物事もよく見えてくるぜ。しかしあいつらがお前に接触するところを見ると、やっぱりお前もモルモットってことなんだな。ロバート・スタンリーはお前だけは特別扱いか)」
「(モルモットってどういう意味だ? なぜ俺の父の名前が出てくるんだ? あの二人とどういう関係があるんだ?)」
「(それならば、こっちも質問だ。なぜ目の前で全てを吹き飛ばすように家が爆発したんだ? なぜ、父親が行方不明なんだ? お前のIQが高い理由はなんだと思う? もう一度大豆を見て考えてみろ。じゃあな)」
 ギーは嘲笑い、そしてジョーイに軽蔑の眼差しを向けて去っていった。
 ジョーイは湧き起こる怒りを抑えるのに必死だった。
 邪魔をされた挙句、訳の分からないことを言われ、処理できないほどの不満に拳を上げて殴りたくなってくる。
 ノアと名乗った血の繋がらない兄にも同じように憤っていた。
 ジョーイはとにかくキノの住むマンションへと足を向けた。
 大きなエントランスはICカードを通さなければドアは開かず中へは入れなかった。訪問者はモニターを通じて認証されてからロックを解除するシステムらしい。
 これではキノの部屋番号も分からず、例え部屋がどこか分かったところでノアが居る限り許可がされる訳がない。
 どうあがいてもそのマンションには入る術などなかった。
 ジョーイは高く聳え立つマンションを下から眺め、悔しさをにじませた。
 持っていきようのない感情を発散させるがごとく思いっきり地面を蹴ってみたが、余計に虚しかった。
 最後は諦めて肩を落としながら、家に向かってとぼとぼと歩き出した。


「キノ、あれほど気をつけろと言われていながら一体何をしているんだ」
 ノアの怒号が何もない殺風景な部屋で響いた。
 そこは家具などもなく、空き部屋のようだった。
 部屋の中にいるのに、全く生活の機能をしていない住処。
 部屋の隅に置かれたスーツケースだけが、唯一の大きな家具だった。
 それはいつでも出て行く準備ができているというように、ここでは長居をするつもりなどない様子だった。
 キノが家に誰も呼びたくない理由がこれだった。
 何もない部屋は壁や天井に声が跳ね返り、音に一番敏感なツクモは怯えて部屋の隅で伏せていた。
 時折、垂れた耳をぴくっと動かし、心配そうに丸い瞳を二人に向けていた。
 キノも全てを受け入れ、こういうことになると覚悟していたが、ノアに叫ぶほどに責め立てられると、怖くなって、小さな女の子のように身を竦めていた。
 ノアは溜息を一つ吐き、呆れていた。
「夕方、シアーズ先生からも連絡があった。ジョーイは過去のことをトニーに話してしまったらしい。それがどういうことかわかっているだろう。シアーズ先生 はかなり懸念している。そして帰りが遅いから様子を見に行けば、こんな時にジョーイと手を繋いで歩いているとはどういうことだ。約束が違うじゃないか」
「まさか、ノアがジョーイの前に現れるなんて思ってなかった」
 いい訳にもなっていないキノの答え方は、まるでノアに邪魔をして欲しくなかったと言っているようなものだった。
 反省するどころか開き直っているキノの姿に、ノアはまた苛立ってしまう。
 再び威圧的な目を向けた。
「言っただろ、キノが言うことを聞かなければ俺も手を打つと。そして悲しい思いをするとも警告したはずだ」
「ノア、どうして私は素直にジョーイが好きだっていっちゃいけないの?」
「分かってるだろ、俺達の立場を。俺達は表にでちゃいけない人間だ」
「じゃあ、だったらなぜ私と同じ日に同じ場所で生まれたミラは派手に映画なんか出てるのよ。私は影で、ミラは普通どころかハリウッドで活躍してるじゃない」
「これも研究のための一環だ。一方は普通に育てられ、もう一方は特殊教育をされる。表に出てもいいと選ばれたのはミラだったということだ。それにミラは姉 妹がいるとも知らないし、自分がどうやって生まれたかも何も知らされてない。女優になっているのは偶然だが、彼女は極一般の人間扱い。だが俺達は違う。そ してキノは研究の成果が見事に現れた特別な存在だ。キノも自分の運命を受け入れて今まで生きてきたじゃないか。俺達は国家機密レベルの人間だ。要するに俺 達の方が選ばれたエリートだ」
「でもあいつは私達のことをモルモットと呼んだわ。正体もばれている」
「それは大丈夫だ。ああいうのは必ずしも発生するというもんだ。超常現象や不思議な出来事だけに焦点を当てたX─ファイルズというのが存在する。そして真 相はなかなか表ざたにならない。さらに都合の悪い真実は潰されるのも時間の問題だ。これに関しては心配はしてないが、ジョーイのことに関しては取り返しが つかないかもしれない。ジョーイもそのうち何もかも気がつくことだろう。その前にキノ、アメリカに帰る準備をしろ。シアーズ先生も滞在期間を延ばしたとは いえ、事態が変わってしまってその方がいいと言っていた。もうここには居られない」
「でも今姿を消したら、ジョーイは益々疑問に持つ。私達が話せば、なんとか誤魔化せるかも」
「キノ、そこまでしてまだここに残りたいのか。ジョーイに嘘はもう通用しない。諦めるんだ。後の処理はシアーズ先生に任せればいい。とにかく俺は今からその準備にかかる」
 キノはもうだめだと思った。
 自分が抵抗しても上からの命令には背けない。
 このままではジョーイにはもう会えなくなってしまう。
 キノは眼鏡を外し、覚悟を決めたようにノアに哀れみの目を向けた。
「だったら、最後に一つだけ願いを聞いて欲しい。これが最後の私の我侭だと思って」
 キノはノアにそっと告げる。
 ノアは「わかった」と頷いた。
 ノアが部屋から去って、ドアがバタンと閉まった音が聞こえると、キノはツクモを呼び寄せた。
 ツクモは小さく鼻を「クーン」と鳴らして側に寄って悲しそうな目を向けた。
「ツクモ、後をよろしくね」
 キノはツクモを抱きしめながら殺風景な部屋で泣きじゃくっていた。
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