Lost Marbles

第十一章


「(シアーズ先生、こんなところにいらっしゃったんですね。手はずは全て整いました)」
「(そうか、ありがとう)」
 信用置けない人物が、シアーズと目の前で泰然と話している。
 敵かもしれないというのに。
「(白鷺先生はFBIの手先だ。昼休みにギーと話していたのを俺は見た)」
 突然の言いがかりに眞子は息を洩らして呆れ返った。
「ジョーイもまだまだ子供なのね。もう少し鋭いかと思ったんだけどな。探偵になるにはまだまだ修行が必要みたいね」
「何が探偵だ、からかうな」
「からかってないわよ。読みが甘かった事でちょっとがっかりしただけ。私は、日本でのキノの保護者だったのよ。もちろん事情を知っている唯一の人物でもあります」
「えっ?」
 ジョーイは調子狂っていた。
「ソウダ、マコはワタシのアシスタントだ」
 シアーズが始めて日本語を話した。
「私の仕事はシアーズ先生の助手と言ったところ。そしておまけでトニーの監視。トニーがFBIに目をつけられてたから、それを探ってただけ。トニーの女癖 の悪いところを利用して、私に夢中にさせて何もかも話すように仕向けてただけよ。トニーは事情を知らないから、時々変化を見落とすからね」
「なんだって。でもキノに冷たかったじゃないか。リルに変なことを教えたし」
「あら、ちょっとね、あれは恥をかかせた復讐のつもりだったの。だってキノったら、みんなの前で私の英語がおかしいって訂正するのよ。ちょっとプライドが傷ついたから、あんな態度になっちゃったわ。でも嫌ってたわけじゃないわ」
「じゃあ、ギーは何の用だったんだ」
「あれは偶然だったの。キノのことを知っている英語を話せる教師を探していて、私が対応したということ。キノがマンションから出て行ったから、どこへ行ったのか探してたのよ。お陰でしつこく訊かれちゃったけど、家庭の都合で国に帰ったとは言ったけどね」
「えっ? キノがアメリカへ帰ったっていう噂は本当なのか?」
 眞子は少し躊躇し、シアーズの顔色を伺った。
「(キノはノアと一緒にアメリカに帰ったよ。今頃は飛行機の中だろう)」
 シアーズは何でもない事のようにさらりと言った。
「(なんだって。俺に何も言わず、そんな。嘘だろ)」
「(仕方がなかったんだ。FBIのギーがしつこく係わってきた。これ以上キノ達を危険に晒すわけには行かなかったし、ジョーイも巻き込みたくなかった。キノ達は日本を離れるしかなかったんだ。それに彼らにはこれから与えられた使命があるんだ)」
「(なんだよ、それ。結局は生まれる前から全ての人生を決められているんじゃないか。そんなの不公平だ。俺の父は神にでもなったつもりか)」
「(ジョーイ、人生は不公平と感じることがあるかもしれない。だが他のものから見れば羨ましいことだってある。だからそれは自分が納得して受け入れられる かの問題じゃないだろうか。そんなに嘆くな。生きていればいつかキノに会えるときが来る。それはジョーイ次第だと思うが)」
「(もういい。俺、帰るよ)」
 悲しみと怒りが同時に現われ、ムカムカと吐き気を催した。
 真実を知ったところでなんの得にもならない。
 キノが目の前から消えるのなら、知らない方がよかったとさえ思える。
 ビー玉の転がった先の結果がこれなのか。
 アスカが消えた時と全く同じだった。
 手当たり次第にそこにあった机や椅子を蹴り飛ばし、ジョーイは部屋を出て行こうとしていた。
「(ジョーイ、サクラは予定では明日帰って来るんだろ。帰ってきたら連絡が欲しいと伝えておいてくれないか)」
 ジョーイの気持ちなどシアーズは無視していた。
「(母さんまでもグルだったんだな。シアーズ先生は俺の母親とも連絡取ってたのか)」
「(まあな。そのうち徐々にいろんな事がわかってくるだろう。私も立場上、まだジョーイに自分の口から全てを言えないことがあるんだ)」
「(まだ他にもあるのか。もういいよ)」
「(言えないというのは、相手からの口止めや自分の身を守りたいという部分があるからだ。この問題を取り巻く組織が大きすぎるんだ。下手なことを喋れば、私も危険に晒されるし責任を負わされる)」
「(結局はずるいってことか)」
「(そうだ。だが本人が勝手に知りたいと思って自分で気がつくのなら別だ。一つ私ができる手助けとしてこれをお前にやろう)」
 シアーズはスーツのポケットから何かを取り出し、それをジョーイに向かって投げた。
 小さなものが弧を描いて宙を飛び、ジョーイはそれをキャッチした。
 広げた手のひらの上に、小さな茶色いコインがのっている。
「(なんだよこれ)」
「(一ユーロ、ヨーロッパのお金だ。どこの国がユーロに加盟しているか知ってるか)」
「(ああ、なんとなくだが、一体なんでこんなものを)」
「(一ユーロの硬貨の片面はユーロ加盟国全て共通したデザインだが、もう片面は各国独自のデザインだ)」
 ジョーイはコインをひっくり返した。
 そこにはふくろうの絵が描かれてあった。
「(それはギリシャが発行したものだ。ふくろうのデザインは、古代アテネで発行された テトラドラクマ銀貨から採用されている)」
「(だからそのテトラドラクマ銀貨がどうしたっていうんだ)」
「(何かの役に立つかなと思ってな。持っておけ)」
 ジョーイは挨拶もせず、硬貨を手にして部屋を出て行った。
 大豆の次はコインの謎だった。
 それを上着のポケットにしまいこみ、廊下を気だるく歩いていく。
 知ってしまった真実が重苦しく、蹴散らしたいほどに心の中で不快にへばりついていた。
 知らなかったときには戻れず、このまま背負っていくしかない。
 ズボンのポケットに手を突っ込みやるせなくなっていた。
 廊下の窓の外から見える空を見つめる。
「キノも同じ空を見ているだろうか」
 キノを思う気持ちだけが胸に残り、苦しくなっていた。

 下駄箱で靴を履き替えて外へ出ると、リルが寂しそうにして待っていた。
「ジョーイ、一緒に帰ろう」
「待ってたのか?」
「うん」
 子犬が飼い主を待っていてくれたように、ジョーイは少し癒された。
 二人は肩を並べて、夕暮れのセピア色の中を歩いていた。
「やっぱり、キノはアメリカに帰っちゃったの?」
 肩を落として落胆しているジョーイの変化をリルは敏感に感じていた。
「ああ」
「そっか。それでそんなにがっかりしてるんだ。キノのこと好きだったんだね」
「そうだな」
 ため息のようにジョーイの口から自然と漏れていた。否定する気など全く起こらなかった。
「あっ、やっと本音が出た。なんかショックだけど、でもすっきりしたかも」
 リルは顔を上げた。
 上を向いたとき泣くまいとして踏ん張っていると口元が少し上向きになっていた。
 ジョーイはそれを見つめた。
「リル、お前なんか笑ってるぞ」
「笑ってるか…… こうするとそんな風に見えるんだ」
「でも笑った方がかわいいぞ」
 ジョーイにそう言われたのが嬉しくて、リルは頬に涙をこぼしながら自ら笑顔を作った。
「キノ、帰っちゃったのか。なんだか寂しい。あんなに私と言い争った人なんて居なかった。私いつも影で何か言われるか、空気のようなどうでもいい存在だっ た。でもキノは真っ向からぶつかってくれて、今思うと楽しかった。あのまま一緒にいたらいい友達になれたかもしれないのにな」
「キノもきっと同じこと思ってるよ」
「そうだったら嬉しいな」
 リルはそっと涙を拭いて、空を見上げていた。

 駅に着けば、お互いのホームを目指して別れる。
 またいつものようにリルの電車が先に来て、それに乗り込んでリルは窓から手を振って去っていた。
 その時、はっきりとリルの笑顔をジョーイは見ていた。
 急に寂しさが込み上げ、キノがかつて座っていたベンチを見つめた。
 ビー玉がまだそこらへんに転がっているような気分だった。
(生きていたら会えるだと? だったら今すぐ会いたいっていうんだよ)
 ジョーイは叫びたくなる気持ちを抑え、肩を震わしていた。

 そして乗り換えの駅に着いて、連絡通路を歩いているとき、いつかのキノを追いかけていたストーカーを見かけた。
 お互い目があって「あっ」と声を上げる。
 ストーカーは逃げようとしたが、ジョーイが機敏に動いて前を立ちふさがった。
「おい、何も逃げることないだろ」
「だって、すぐに絡んでくるから怖くて」
「そんなでかい体つきしていて、何が怖いだ」
「だからその言い方が怖いじゃないですか。一体僕になんの用です?」
「そうだ、お前いつかキノを追いかけていたよな。一緒に電車から降りようとしてたけど、キノに煙にまかれて降り損ねただろ。一体あれは何をしてたんだ?」
「キノって、あの黒ぶち眼鏡をかけたハーフの女の子のことですよね。あの子に直接お礼をいいたかったんです」
「お礼?」
「はい、以前電車に乗っていたとき、同じ学校の生徒も乗ってたんですけど、なぜか僕が痴漢みたいに思われて、じろじろ見られてしまって。それで誤解を解こうとしてたんです」
「あっ、あんた詩織が言っていた痴漢だったのか」
「違います。人聞きの悪いこと大きな声で言わないで下さい。僕は何もしてません。あの時そう思われてしまい、なんかもじもじしたのが余計に誤解を招きまし た。その時、あの子が『動かないで』って僕の耳元で囁いたんです。そして自ら倒れこんで、あの時の雰囲気を変えてくれました。それでふと僕の隣に居た男性 の手の甲が見えたんですけど、ペンで『ちかん』って書いてあったんです。男性も気がついてドサクサに紛れてどこかへ移動していったんですけど、あれは僕を 助けてくれたに違いありません」
「やっぱり、キノはわざと行動を起こしてたのか。あいつは本当にスーパーヒーローだったんだ」
「スーパーヒーロー?」
「いや、なんでもない。こっちの話だ。とにかくだ、詩織にその話をすればいいじゃないか。きっと詩織なら信じると思うぜ。そして誤解も解けるだろう。話を聞いてくれそうになかったら、俺の名前を言えばいい。ジョーイと友達になったとかなんとか」
「ジョーイ?」
「ああ、俺の名前だ。宜しくな」
「はい、僕は渋川カオルです」
「カオルか」
「そうなんです。よく名前だけみたら女みたいだと思われます。こんな風貌だから顔と名前が合ってないとかも」
「俺はそこまでいってないぜ」
「あっ、そうですね。でも自己紹介すると必ず言われるからつい癖で」
「いいじゃないか、見かけ通りの名前じゃなくても」
「あなたも喋ってみると、なかなかいい人そうなんですね」
「それって、俺は見かけが悪人か?」
「そ、そういうわけじゃ」
 どっちもお互い様だった。
 カオルは見かけと名前が確かに合ってない。
 でもそのギャップがいい味でてなかなか面白い。
 見かけはアレかもしれないが、中身はいい奴そうだと、口には出さなかったが、ジョーイは一緒に笑いあっていた。
 その後は気分良く「またな」とお互い挨拶をして別れ、自分のホームに向かっていった。
 カオルとの出会いはキノが残していった置き土産のように思え、ジョーイはそこから何かを感じ取る。
 悲しんでばかりもいられなかった。
 そして自分の駅に着いて改札口を出た時、帰りを待っていたように近寄ってくるものがいて、ジョーイは目を見開いて驚いた。 
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