Lost Marbles

エピローグ

 朝の澄んだ空気がまだひんやりとしていた。
 昇ったばかりの陽光を受けて、校舎が光に曝されている。
 学校に毎日通うものにはいつもの風景であっても、ジョーイにとってその一日の始まりはまっさらな状態──昨日とは全く違う、真新しい日だった。
 ジョーイは、真っ直ぐ向かってくる光を体に受け、目を細めた。
 自分の髪も金色に輝いていることだろう。
 自慢したいことのように、軽く手で撫で付けた。
 胸を張って堂々としていたい。
 自分ができることを精一杯にやってみたい。
 この日は、これから始まる奇跡に繋がっていくスタート地点。
 朝の日差しは、ジョーイの体の奥のやる気にまで届き、エネルギーを与えてくれた。
 
「グッモーニング」
 生徒たちに掛けるシアーズの声が、校門に近づいた時に良く聞こえてきた。
 ジョーイも歩み寄り、自ら進んで声を掛けた。
「(シアーズ先生、おはようございます)」
「(おはよう。ジョーイ。気分はどうかね)」
「(はい、絶好調…… とまでは行きませんが、すっきりした気分です。テトラドラクマ銀貨とフクロウの関係も分かったことだし)」
 シアーズの口角が上がり、眼差しが和らいだ。
「(そっか。それでこれからどうするつもりだ?)」
「(どうするも何も、ただこのまま高校生活を続けてしっかり勉強するだけです)」
「(何をしたいのか、進路はもう決めたのか)」
「(はい、俺は人の役に立つことをしたいです)」
「(例えばどんな?)」
「(もちろん、スーパーヒーロー)」
 制服のポケットから、キノの黒ぶち眼鏡を取り出してそれを掛けた。
「(なるほど、クラーク・ケントってとこか。せいぜい頑張れよ)」
 シアーズもそれなりに合わせていた。
「(なあ、先生。またキノに会えるときが来るだろうか。先生はキノの居場所を知ってるのか?)」
「(さあ、アメリカに帰ってしまったら私にも居場所は分からない。ギーがあんな事件を起こした後では警戒するだろうし、連絡の取りようもない)」
「(そっか、でも俺諦めないよ。またいつかキノに会えると信じる。そしたら必ずキノはまた俺に会いに来てくれる……だろ?)」
「(ああ、そうだな。きっとそうなる。あのキノなら必ずそうする。それがいつになるかわからないが、まずはしっかりと残りの高校生活頑張れよ)」
「(もちろん。思いっきり楽しむぜ。じゃーな、シアーズ叔父さん)」
「(おい、学校では慎めよ)」
 ジョーイは走って教室に向かって行った。
 そして知ってる顔を見ると、片っ端から「おはよう」と笑顔で声を掛けていた。

 シアーズはジョーイが明るさを取り戻したことを嬉しく思いながら、あの過去の事件を振り返っていた。
 事件というよりも、前もって兄のロバートから指示された出来事だった。
 ジョーイを迎えに行き、そして家の中に入ってアスカを見つけ裏から逃がし、その後で誰も他に居なかったと伝える計画だった。
 あの時、家の中に入れば、アスカは部屋の真ん中に力強く立ち、小脇に縫いぐるみを抱きしめシアーズを待ち構えていた。
 小さな子供なのに、目だけは何もかも見てきたという虚ろな悲哀が混じった大人の瞳をしていた。
「(これをジョーイに渡して。アスカはイマジネーションだったって言って。後は私が全て片付けるから)」
 縫いぐるみをシアーズに手渡して、アスカは自ら提案してきた。
「(これからどうするんだ?)」
「(私はこれからアスカを殺すの。アスカはもう居なくなる。死んじゃうのよ)」
 涙を溜めていたのに、泣くのを必死で我慢していた覚悟の瞳がシアーズを圧迫した。
「(名前を変えて姿を消すだけじゃないか。何もそこまでいう必要は……)」
「(あるの! ジョーイが知っているアスカは消えてしまう。それって殺すことじゃない。私とジョーイが一緒に過ごした思い出はなくなってしまうの。アスカは死ぬのと同じ。だったら私が殺すの)」
 シアーズには衝撃だった。
 こんな小さな子が力強く死という言葉を使うことの意味。
 怒りと悲しさはもちろんだが、そこに大人の都合による理不尽なやり方に復讐している。
 全く自分が望んでいない、仕方なく屈服する悔しさ。
 自分が置かれている立場を理解してるが故に、悲しみを背負って生きていかなければならない事を、こんな小さな体で全てを受け入れている。
 まだ五歳くらいだというのに、物事を理解しすぎて大人びてしまっている姿が憐憫の情を誘う。
「(私、ジョーイが大好きだった。もう会えないなんて)」
「(またいつか違った形で会えるかもしれないじゃないか)」
「(アスカとして会えないのが悲しい。その時は名前が変わって違う人になってるはず。だけど会えるのならやっぱりアスカだって思って欲しい)」
「(ジョーイの前ではアスカとしては名乗れないし、真実は隠さなければならない)」
「(わかってる。だからアスカは今から死ぬのよ。おじさんも早くここから出て行って。私アスカを殺さなくっちゃ)」
 やるせない思いに押しつぶされそうになりながら、アスカを自分で殺すと宣言することで割り切ろうとしている。
 シアーズは、こんな小さな子も助けられない自分の無力さを嘆き、渡された縫いぐるみを持つ手に力が入った。
 どうする事もできずに背を向けて家を出て行く。
 アスカはその姿を見ていたのだろう。
 不快感がチリチリと背中を伝わっていた。
 そしてその後に家が爆発した。爆発のスイッチを押したのはアスカだったのだろう。
 あの後はシアーズも後味が悪く、ずっとその事実を誰にも言えずに来た。
 アスカは殺されて死んだと彼女の言葉通りに受け取った。
 もう一人そう思っている人間が居れば、アスカも救われるかもしれないと思ってのことだった。
 再びアスカがジョーイの前に現れれば、決してアスカの真実を漏らしてはいけない。
 それでもアスカはキノとしてジョーイの前に現れた。
 ずっと会いたいと思っていた気持ちを募らせて、シアーズの協力の下、キノの願いは叶えられた。
 キノはこの時を待ちわび、直接自分の口では言わないで、ジョーイに自分がアスカだと伝える方法を計画していたと言える。
 それでジョーイが気がついたとなったら、約束を破ったことにならない。
「(ずるい手だ)」
 シアーズはくすっと笑いを漏らし、晴れた空を見上げる。
 雲一つない青空に自分の心もそうなっていると清々しい気分になっていた。
 両手を伸ばして伸びをすれば、チャイムが鳴り響く。
 また一日が始まると校舎へ慌しく向かって行った。


 それから一ヶ月が過ぎた。
 つややかな黄緑の葉の新緑が茂る、初夏を思わせる季節になっていた。
 ジョーイが学校から戻ると、郵便受けに絵葉書が入っていた。
 アメリカからのエアメール。
 差出人は不明。
 メッセージも何も書かれてない。
 裏を返せば、寄り添っているアナホリフクロウの写真が写っていた。
 愛嬌のある、フクロウの真ん丸い目とジョーイの目が合った。
 笑ってしまうくらい、それは滑稽で、とても愛らしかった。
「一言メッセージくらい書いてくれればいいのに」
 何度も絵葉書の裏表を確かめながら、ジョーイは玄関のドアを開けた。
「ただいま」
 ジョーイの気配を感じて、すでにツクモが玄関の上がり口に座って待っていた。
 尻尾を振って嬉しそうに出迎えているツクモの頭を、ジョーイは優しく撫ぜてやった。
「ほら、葉書が届いてたんだ」
 ツクモに差出してそれを見せてやると、匂いをしきりに嗅いで、尻尾が一層激しく左右に揺れた。
 ツクモはジョーイをまっすぐ見つめている。
「誰からか、わかったんだな」
 ツクモは「ワン」と吼えた。
 フクロウの葉書を下駄箱の上にそっと立てて置く。
 それを見つめれば、ジョーイはある人の顔を思い浮かべ、ニコッと微笑まずにはいられなかった。
 この絵葉書を見つけたとき、彼女はハッとしたかもしれない。
 これを手にして、どんな気持ちで送ってきたのだろう。
 それは確実にここに届き、ジョーイはその意味をすでに知っている。
 これもまた、一つの奇跡だとジョーイは思っていた。
 アスカは衝撃的に姿を消され、キノはさよならを言わずに去って行った。
 二度も突然に目の前からいなくなっても、ジョーイの心にはその存在はいつでも深く刻まれている。
 それはこれからも、ずっと──
 ツクモが、ジョーイの気持ちに反応するように「クーン」と鼻を鳴らした。
「よーし、散歩に行こうか、ツクモ」
 肩にかけていた鞄を放り投げ、玄関先にあったリードを手にして、ジョーイとツクモは外に飛び出す。
 大人しく地面に腰を下ろしているツクモにリードを繋げ、ジョーイは空を見上げた。
 世界が繋がっている大空がそこにあった。
 上空の彼方、雲と雲の間に飛行機が現われ、その空を真っ直ぐ進んでいく。
 それを目で追いかけ、暫く見ていた。
 どこまでも無限に広がる自由な空は、この先の自分の可能性そのもののようだった。
 だが、待ってるだけでは何も手に入れられない。
 自ら進んで掴み取らなければ意味がない。
 まだジョーイは将来について何も具体的には決めていない。だけど、必ず見つかるとやる気だけは漲っていた。
 何かができる。何かがしたい。
 果てしなく広がる大きな希望。それを感じるだけでこの先の大きな自分の未来に繋がって行くのが見えるようだった。

 ジョーイはリードをしっかりと持ち、ツクモを見下ろし掛け声を掛ける。
「レッツゴー!」
 ツクモはすくっと立ち上がり、ジョーイに合わせて足を動かした。
 道端に咲いていたタンポポから小さな蝶がその時、ひらひらと羽ばたいた。
 ジョーイはしっかりとそれに気が付く。
「ツクモ、始まったぞ」

 人生が全ての奇跡の塊のように、その一日一日が奇跡の積み重ね。
 ジョーイはその先の未来に思いを飛ばし、これから起こる奇跡を信じた。
 新たなからくり装置が自分の中で作動し始める。
 そのゴールを目指して再びビー玉が転がった。
 そして呟く。
「必ずまた会えるさ。そうだろ、キノ──いや、今度は俺が会いに行ってやる。俺が必ず君を見つける」
 ジョーイの顔はその時少し大人びて、益々かっこよくなっていた。
 

<The End>



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最後までお読み頂きありがとうございました。
(2016年に加筆・修正し、結末を変更しました)

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