Lost Marbles

第二章 


 コンビニ強盗未遂事件は、犬が登場し予期せぬ展開となり、ビックリ仰天ニュースとしてネットでも大いに取り上げられた。
 映像も動画共有コミュニティサイトでアップされたこともあって、あっという間に世界に知れ渡っていった。
 ジョーイは夜中、自分の部屋で机に向かいネットに耽る。
 パソコンで流れる動画を何度も再生しながら、コンビニ強盗未遂事件のことを考えていた。
 キノはコンビニの前を通ったとき中の異変に気がついた。
 そこで予め警察に電話を掛けた。
 そして強盗を刺激しないようにと、サングラスを掛け盲導犬を連れ込み、自分の目が不自由だと演技をしたに違いない。
 強盗は目の見えない客だと思い込み、計画に問題はないと判断し、そのままナイフを見せて金を脅し取ろうとする。
 その後、キノは犬をけしかけて強盗を襲わせ充分ダメージを負わせたところで、後はコンビニの店長に任せて犬を連れて急いでその場を離れた。
 キノがコンビニの監視カメラに映ってないのも、急いで逃げたのも、係わりたくなかったから……
 ジョーイは順序だてて考えていた。
 しかし、ラブラドールレトリバーという、比較的温和な種類の盲導犬が人を襲うのだろうか。
 この部分が妙に引っかかった。
 ボランティアということも考えられるかもしれないが、一般の学生が盲導犬を訓練していることも、不思議でならない。
 ──あれはほんとに盲導犬?
 ──もしかしたら盲導犬のフリしたただの犬?
 ──それじゃなんのために訓練中だと知らせる服を着せるんだ?
 ジョーイは考えれば考えるほどわからなくなるので、全ての疑問を放り投げてさっさと寝る事にした。

 大きな欠伸をして、ベッドに入り込む。
 目覚まし時計をセットすると、ベッドの側に置いていたスタンドの明かりを消した。
 目を閉じれば、またビー玉が転がる映像が浮かんでくる。
 コロコロと転がった先にはキノがいた。
 そのイメージを抱きながらジョーイは、眠りについた。

 静かな闇の中の眠り。
 現実から遠ざかって、すやすやとジョーイは眠っていた。
 そして夢を見る。
 心の奥底にしまわれた過去の記憶が、英語で再生される。

「ジョーイ、いくつかビー玉失くしちゃった」
「アハハハ、それって気が狂ったっていう意味にもなるんだよ」
「それならほんとに狂っちゃうかも」
「えっ、まだ他のビー玉が箱に一杯入ってるじゃないか」
「でも一番お気に入りのを失くしたの」
「一個くらいいいじゃないか」
「よくない。だって虹色でとっても特別なの」
 目が潤んでで口元がヒクヒクしだす。
「泣くなよ、アスカ。俺がいつか同じの買ってやるよ」

 俯いたアスカの頭にぽんと優しく触れて、再びアスカが上を向いた時そこにはキノの顔があった。
「キノ?」
「ううん、私はアスカよ」
 夢の中でジョーイは混乱する。

 アスカの顔は完全にキノに摩り替わり、アスカの面影は思い出せないくらいに消えていた。
 さらに場面は変わり、足元に沢山のビー玉が放り出され、そしてその数を言い合いする。
 ビー玉は増えたり減ったりして、その都度面白いほどに見ただけでビー玉の数がわかっていた。
 目が覚めたとき、辺りは薄っすらと明るく、時計を見ればアラームをセットしていた時間よりも30分程早かった。

 しばらくぼーっとしていたが、耳を澄ませば、下の階から小さくベルの音が聞こえる。
「あっ、電話だ」
 急いで起き上がると、朝方の冷え込みにぶるっと震えがきた。
 階段をバタバタと下り、そして居間に飛び込んで棚に置いてある電話を手に取った。
 もう誰からか分かっていた。
 「もしもし」と発すると、国際電話独特の間が入り、聞きなれた声が聞こえてきた。
「ジョーイ? ちゃんとやってる?」
「ああ、やってるよ。今何時だと思ってるんだ」
「早朝でしょ。それぐらいわかってるわよ。こっちは今夕方なの、これからパーティがあるから今しかかけられなかったのよ。起こしてごめんね」
「既に起きてたから気にしてないよ。それよりそっちこそ大丈夫なのか。年取ってからの時差ぼけは辛いだろ」
「年取っては余計よ。時差ぼけも忙しさで感じてる暇ありませんよ〜だ」
「わかったよ。ホテルからの国際電話なんだろ。高くつくから切るぞ」
「会社が払うからそれも全然問題ない。とにかく私がいないからといって羽目を外すんじゃないわよ。変な人から声をかけられてもついていっちゃだめよ」
「おい、一体俺を何歳だと思ってるんだ」
「でも、気をつけてね。例えばお母さんが出張先で事故に遭ったとか、嘘をつかれて惑わされても安易に連れて行かれちゃだめよ。その時は会社に必ず連絡して確かめなさい。それと困ったことがあったら、担任のシアーズ先生に相談しなさい」
「何を言ってるんだよ。そこまで言われると馬鹿にされてるとしか思えないぜ。それになんでシアーズが出てくるんだ。たった一週間の留守だろ。心配しすぎだよ」
「だからもしもの時よ。だって心配なんだもん」
「わかったから、何にも起こらないから安心しろ」
「あっ、もう行かなくっちゃ。それから今日燃えるゴミの日でしょ。出すの忘れないでよ。それじゃーね、大好きよジョーイ」
 最後の言葉の返事はいらないとばかりに、サクラは電話を切った。

 ツーツーと受話器から聞こえる虚しい音にジョーイは「呆れるぜ」と小言を浴びせた。
 高校生であってもガキ扱いされて、気に入らないながらも、これが母親の愛だと思うとなんだか面映く背中がむずむずとしてくる。
 それがくすぐったくブルブルと体を揺らした。
「ふあぁぁぁ、グッモーニング、ジョーイ。サクラから連絡あったのか」
 トニーが欠伸をし、頭を掻きながら居間に入ってきた。
 ジョーイは変なところを見られたかと思うと、持っていた受話器をぶっきら棒に元に戻す。
「ああ、無事に着いたみたいだ。それより朝食どうする」
「俺、シリアルでいいから自分でするよ。その前にシャワー浴びてくるわ」
 トニーは腕を上げ体を伸ばしてバスルームへ向かった。
 ジョーイは先に自分の朝食を用意する。
 食パンを袋から取り出し、それをトースターに入れてレバーを下に押した。
 ぼーっとパンが焼けるのを暫く待っていると、夢のことがまた思い出された。
 夢の中までアスカがキノと入れ替わってしまい、記憶が塗り替えられたことの意味を重んじてしまう。
 違う、違う、アスカとキノは関係ない。
 絶対にありえない。
 強く否定し、そう思うこと自体馬鹿げたことのように扱うが、キノの存在はすでに心の深くまで入り込んでいた。
「なんでこんなに気になるんだ」
 苛立って叫んだと同時に、ポーンとトースターは音を立て、トーストが跳ね上がる。
 ジョーイは不覚にもそれに驚かされてドキッとしてしまった。
 それがキノのことを思って出た感情と錯覚してしまいそうだった。
 ヤケクソ気味に焼きあがったばかりのトーストを引っ張り上げ、その熱さにまたあたふたとしてしまった。

「あら、今日はジョーイ君がゴミ出しなのね。サクラさんもしかして具合でも悪いの」
 出かけ際にゴミを出した時、近所のおばさんと出会ってしまった。
 ジョーイは形式的な挨拶だけで済ませたかったのに、近所のおばさんは面白い話を求めるように余計なことを聞いてくる。
 「いえ、ちょっと出張中なだけで……」と濁そうとしても、それで終わらせてくれない。
「まあ、サクラさん出張なの。どこにいっちゃったの」
「いえ、その海外へ」
「うわぁ、さすがキャリアウーマンね。すっごいわ。で、どこの国? いつ帰ってくるの? どんな仕事してるの?」

 井戸端会議じゃあるまいし、まだまだ質問は続く。
 おばさんが興味津々な目をして、ふくよかな体が前のめりになると、ジョーイは圧迫を感じて重苦しくなる。
 いつまでも知りたそうに見つめる目が厭らしい。
 ジョーイには先が読めていた。
 自分が何かを言うと、きっとこのおばさんはあることないこと面白おかしく近所の人に言いふらす。
 だからこれ以上言いたくなかった。
 自分の母親が常に好奇心の目にさらされていることを良く知っている。
 更に気に入らない感情を抱いている雰囲気も伝わる。
 何も言わないでこのまま去ってしまいたい。
「どうしたの、なんか言えないことでもあるの?」
 しかし、おばさんの好奇心に余計に火を注いでしまい、黙っていても勝手に話を作られそうだった。

 するとトニーが小声でおばさんの耳元に囁きかけた。
「いやね、おばさん。言えないのには訳があって、ここだけの話なんですが、いいですか、誰にもいっちゃいけないですよ。実はサクラはアメリカ大統領の奥さ ん、つまりファーストレディと友達で今回ホワイトハウスに招待されたんです。ちょっと公にできないから、出張って嘘ついちゃってるんですよ」
「えっ、そうなの。すごーい。もちろん誰にも言わない言わない」
 特ダネを聞いたとばかり、鼻の穴が膨らんで興奮しながら、目の前で手のひらをヒラヒラ左右に振った。
 トニーは悪意が混じったような微笑を向け「それじゃ行ってきまーす」と元気よく言った。
「ああ、行ってらっしゃい。気をつけてね」
 おばさんは興奮気味になり、他に誰かに話したいとキョロキョロしていた。
「おい、あんな見え透いた嘘言ってどうすんだよ」
 ジョーイは肘でトニーをこついた。
「いいじゃんか、どうせ何を言ったところで嘘ばかり話すんだろ。だったら最初から嘘ついとけ。何も正直に言う必要はないんだよ。バカ正直というのか、お前はこういうとき頭が働かないな」
 何も言えずに、ジョーイは黙々と歩いていた。
 ちらりと後ろを振り返ると、さっきのおばさんがすでにゴミを持ってきた人と何かを話し込んでいた。
 それを見るとあれでよかったと思えた。
 しかしあんな嘘をすぐに信じることに驚いてしまう。
 そこに程度の低さも一緒に感じていたのか、ジョーイの目は蔑んでいた。
 
 駅が近づいてくると、なぜかジョーイは胃がキューっと差し込んでくるように感じた。
 ジョーイは無意識に腹を押さえ前屈みになって歩いていた。
「おい、大丈夫か?」
 トニーの観察力の鋭さ。
 ジョーイの変化に気がつかない訳がなかった。
「ああ、大丈夫だ」
 何食わぬ顔をしてみたが、ジョーイ自身なぜこうなってるのかよく分かっていない。
「それならいいけど、ところでアイツと会うだろうか」
 トニーの一言でジョーイは胃から何か飛び出しそうになった。
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