第三章 アスカに惑わされて
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思い立ってジョーイは来たものの、一年生の教室がある場所にくれば、体は縛り付けられたかのように意思通りには動いてくれなかった。
足をその方向に向けるだけで重力を倍以上に感じていた。
すれ違うざまに下級生たちにじろじろ見られ、居心地が悪くなると、あっさりと諦めてしまった。
何をそんなに自分自身を固めてしまうのだろう。
思うように行動できない自分がもどかしい。
素直に感情を表に出さないでいると、自分を釘で打ちつけ、考え方も捻じ曲げられない頑固さで凝り固まっていると気がついた。
気づくのが遅い。
キノに好奇心を持ち、自分の中のもやもやする記憶を重ね合わせて、追いかけようとする気持ちに、自分自身ついていけなくなる。
落ち着かず、悶悶としてジョーイは下校していた。
途中、道端の石を蹴るとコロコロと転がり、ビー玉のイメージと繋がっていく。
「そういえばアスカは虹色のビー玉を失くしたんだった。結局俺は買ってやると言ったのに約束守れなかった……」
ぶつぶつと独り言を言いながら、また小石を蹴っていた。
駅の近くまで来たとき、かわいい小物がショーウインドウに並んでいる雑貨屋が通りに面していた。
駅前の雑貨屋で衝動買い──確かキノはそう言っていた。
キノがホームでばら撒いたビー玉はここで買ったものなんだろうか。
ジョーイの好奇心が再び疼き出した。
お客が入りやすいように店のドアが開けっ放しにされ、そのドアにはオープンと英語で書かれたサインが斜めにぶら下がっている。
ジョーイはふらりとその店に足を運んでしまった。
ふらりと足を店に踏み入れれば、四人の女の子たちがかわいい小物の前に固まっていた。
周りのメルヘンチックな雑貨と混じ合った、楽しそうに笑う少女たちの甲高い声。
目がバチッとスパークする。
思わず目をしばたたかせながら、自分が来るべき場所じゃなかったと後悔した。
あたふたと出ようとするも、女性店員に声をかけられてタイミングを逃してしまった。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか」
疑問系でこられたら返事を返さないわけにはいかない。
しかも思いっきり営業スマイルを向けられていた。
「あっ、その、び、ビー玉を……」
「ビー玉ですか。うちにあったかな。ちょっと待ってて下さいね」
店員は奥に引っ込んで探しにいった。
せわしなく雑貨が置かれている通路は狭かった。
かろうじて体を縮こませて、意識しないとすれ違うのも難しく、商品が所狭しと置かれているだけに、全体的にごちゃごちゃして、圧迫感が半端なかった。
しかし女の子たちはその無秩序さが目に飛び込むと、購買威力をつつかれるのか、「かわいい」と何度も連呼している。
「ねぇ、みんなでお揃いでこれ買おうか」
キャッキャと弾む声。
待たされている間、その女子高生をジョーイはちらりと見た。
その中に一人だけ笑ってない女の子がいた。
どこか浮いている印象を感じると、自分と同じ匂いがゆらゆら漂いだした。
しかも顔を見れば、純日本人とは言いがたかった。
ハーフっぽいが西洋風ではなく、強いて言うなら南国アジア系の濃い感じがした。
俺の女バージョン?
ジョーイはなんとなくそんな気持ちを抱いていた。
「リル、あんた買わないの?」
「私はいい」
その女の子は、ボソリと返事した。
残りの女の子たちは一人だけノリの悪い友達に一瞬しらけた顔つきになったが、仕方がないと自分たちだけお金を払いにレジへと向かった。
しかし途中で、またかわいいものを見つけて立ち止まり、いつお金を払って店から出て行くのか予測不可能だった。
「私、先に外にでているね」
リルと呼ばれた女の子は、せかしたかったのか一人で店を出て行く。
出口付近でジョーイとすれ違い、ちらりと一瞥を投げかけた。
ジョーイは見て見ぬふりを決め込み、ただじっと立っていた。
リルが店から出て行くと、タイミングよく女の子たちの話す声が聞こえてきた。
「高一になったばかりで新しく知り合って席も近かったから声を掛けたけど、あの子はなんか苦手かも」
「でもリルって過去に事故にあってからトラウマを引きずって暗くなっちゃったみたい。お母さんも日本人じゃないし、そのことでからかわれたりしてたって噂も聞いたことがある」
「悪い子じゃないし私たちだけでも理解してあげようよ」
それぞれ話していた。
ジョーイはすっかり女の子たちの話を耳に入れてしまった。
「あっ、お待たせしました。以前あったかもしれないんですが、今うちにはビー玉置いてないです」
店員が戻ってジョーイに声を掛けた。
ジョーイは「ありがとうございました」と軽く会釈してその場を早々と去った。
店を出ると、解放されてほっとするも、その先でリルが視線を定めないままボーっとショーウィンドゥの前に立っているのが目に入った。
ジョーイはそっと彼女の前を通り過ぎようとするが、不意に話しかけられてしまった。
「ビー玉だったら、100円均一ショップで売ってましたよ」
「えっ?」と感嘆してジョーイはリルを振り返った。
無愛想に虚ろな目がジョーイを見ていた。
「ああ、ありがと」
咄嗟に礼を言ったが、リルの顔は無表情だった。
益々雰囲気が自分に似ていると感じ、ジョーイはまじまじとリルを見てしまった。
「私の顔に何かついてますか?」
「あっ、いや、ごめん」
ジョーイはいつも自分が見られている立場なので、じろじろと人を見ることがとてもいけないことのように思えて申し訳ないと顔に表す。
それはわかりやすく「すまない」と顔に書いて謝ったみたいに。
そしてさっさと去ろうとしたとき、リルは後ろから慌てて声を掛ける。
「いえ、気にしないで下さい。慣れてますから。あのっ」
「ん? 他に何か」
「あなたも何か辛い事を抱えて、やっぱり人から違う目で見られていたりすることってありますか?」
「えっ?」
ジョーイは振り返り、その目は驚きで見開いていた。
まさに自分が抱えている問題を言い当てられた。
「余計なこと言ってごめんなさい。なんか自分とオーバーラップして。つい口から出てしまいました」
虚ろだった目から、子犬のような不安の目で悲しげにジョーイを見つめる。
「別に気にしてない。でも君は何か辛いことでもあるのかい?」
「あると言えばありますけど、みんな何かしら悩みを抱えていますもんね。すみません。変なこと聞いて。私、飛鳥リルっていいます。よかったらあなたのお名前聞いていもいいですか」
「えっ、アスカ…… リル」
ジョーイは一瞬声を失った。
アスカという響きがこの上なく体を揺さぶられる。
「どうかしましたか?」
「いや、俺は桐生ジョーイ」
「ジョーイ…… さん? もしかして英語話せます?」
「ああ、一応は。生まれはアメリカだ」
「そうだったんですか。じゃあバイリンガルか」
急にリルの顔が暗くなった。
がっかりしているというのか、虚しくふーっと息を漏らしていた。
何かを言わなければならないと思い、ジョーイは慌てて質問を返した。
「アスカ…… さんは?」
「リルでいいです。飛鳥という苗字はあまり好きじゃないんです」
「どうして?」
「私の名前、苗字がファーストネームに聞こえるでしょ。それで私の下の名前をアスカだって思う人がいて、それが嫌なんです」
ジョーイは益々アスカという響きに動揺していた。
「あのさ、君はインターナショナルの英語コースの生徒なのか」
リルは急に下を向いて、首を横に降った。
「私、一般生徒の方。英語は話せない。でも小さいときは英語話してたんだって」
どうしようもなく、やるせない顔つきになった。
「そ、そうなの」
ジョーイはさっき店の中で聞いた話を思い出す。
──事故にあってからトラウマを引きずって暗くなっちゃったみたい──
「なんか深い事情もありそうだね」
「ジョーイさんは、私なんかと違って恵まれてる。私とオーバーラップしてるなんていっちゃってごめんなさい」
言った事を後悔するように、リルは突然謝りだした。
ジョーイはリルの態度がよくわからなくなった。
何かとてつもなく、コンプレックスを感じて恥じている。
そして恵まれているという意味が混乱を招く。
「あのさ、一体何がいいたいんだい?」
その時、店からリルの友達が出てきた。
リルがジョーイと話している姿を見て三人は露骨に驚き、二人の中に無遠慮に割り込んだ。
「やだ、リル、この人は誰?」
友達その一が自分の存在をアピールするように言うと、友達その二、その三もジョーイをまじまじと見つめて「誰なの?」と言い出した。
「俺、それじゃ失礼する。じゃあな、リル」
ジョーイは逃げるようにその場を後にした。
あの三人はいつもキャーキャー騒がれる女生徒と同じで不快だった。
案の定、後ろで黄色い声を飛ばしながらジョーイのことをリルから聞き出そうとしている。
リルは得意げになるわけでもなく、そのときも無感情に淡々と説明している様子だった。
リルもまた不思議な存在となって、ジョーイの心はモヤモヤとし出した。
キノ、そしてリルと新たにアスカを思い起こさせる要因が増えてしまった。
「リルの苗字が飛鳥のように、俺の知っているアスカも果たして本当の名前だったのだろうか?」
また記憶のあやふやさに翻弄され、苛立ちを払うように前髪を手でかきあげていた。