Lost Marbles

第四章


「ごめん、ジョーイ。私、はしゃぎ過ぎちゃった。ジョーイが普通に私に接してくれて嬉しくて、そんなジョーイが益々好きになっていくし、恋が止まらなかった。私こんな風に恋したことなかったんだ」
「だったらもっと俺に好かれようとか、そう思わないのか」
「もちろんそうなんだけど、ジョーイには私のありのままの姿をみて欲しかったんだ。嘘偽りない自分の姿を」
 詩織の目に溜まっていた涙はそこに留まり切れないと、つーっと頬を伝っていく。
「あのさ、俺、ハンカチとかもってないんだ。だからほら」
 ジョーイは詩織の制服の袖を取ると、彼女の腕も一緒につられて上にあがった。
 そしてそれで拭おうとする。
「ちょっと」
「仕方ないだろ、泣く方が悪いんじゃないか。制服汚したくなかったら泣くな」
 詩織はジョーイの顔をむすっと見つめて、堂々と自分の制服の袖口でワイパーのように一拭きした。
 そして肩が動くくらいの大きな息を吸って吐くと、そこにいつもの笑顔が戻っていた。
「あのさ、私、子供の時、自分がちやほやされて当たり前だって思ってたの。みんなかわいいっていつも言ってくれたし、自分でも愛されてるって子供心ながら自覚していた。
 だけど両親が離婚して、私は経済的な理由から父親に引き取られ、母はその後仕事先で知り合ったアメリカ人に見初められて、あっという間に再婚。そして渡米して異父姉妹ができた。
 私は母親に会う権利があったし、父もそれについては理解があったので、海外で少しだけ母たちと一緒に過ごしたの。英語なんて全然分からなかったけど、いろいろなところに連れてって貰えたし、それなりに楽しかった。
 妹もお姉ちゃんができたって喜んでくれて、懐いてくれたの。妹はハーフで本当にかわいかった。だけど私は嫉妬したの。優しいお父さんとそして私の母にたっぷり愛されてるところを目の当たりにすると耐えられなかった。
 だから妹に覚えたての英語で『I don't like you』なんて言っちゃった。妹はショックだったのか泣きながら家を飛び出してしまって、夕方になっても戻らなくてそれで警察ざたになっちゃった。
 あの時私もことの大きさに気がついて頭が真っ白になっちゃったから、そのときの記憶があやふやなんだけど、とても嫌な思いだけは残ってるんだ。
 その後はいい子になろうって、人を傷つけちゃいけないんだって頑張ってきたんだけど、男の子には好かれても女の子にはいい子ぶってって嫌われることが多 かった。仲良くしてくれる男の子とちょっと楽しく話したら、すぐに告白してきたり、その男の子を好きな女の子には睨まれるし、本当に最悪。
 そんなトラブルばかり続くから、みんな色眼鏡で私のこと見ちゃって、私は自分の思うままに接しられなかった。
 だけど、ジョーイは違ったの。ジョーイはかっこいいのに、それを鼻にかけない、寄ってくる女の子にも見向きもしない、自分の思うままに生きているって感じがした。そんなジョーイに恋をして自分は本当に楽しかったんだ。だから自分も思うままにジョーイに接したかった」
 詩織は詩織なりの悩みを持っていた。
 一度見れば忘れられないくらいの美人。
 しかしそれ故に嫉妬の対象にもなりやすく、そして彼女自身、嫉妬とは何かを身をもって経験している。
 詩織にも詩織なりのコンプレックスがあった。
 ジョーイは一言も発さず最後まで静かに聞いていたが、詩織が静かになった後を見計らって口を開く。
「わかったよ。でも俺はお前とは友達だが、恋人ではない! そこだけはっきりさせておく」
「でも私がジョーイを思い続けていてもいいよね」
「それは詩織の自由だ。だが、俺には何も期待するな」
「うん、これからはジョーイに好かれるように努力して、いつか振り向いてもらえるように頑張る」
「無駄なことは頑張らなくていいぞ」
「でも、ジョーイは一生恋をしないつもりなの?」
「そんなの知るか! マイナス1点!」
「は? 何よそれ」
「はい、解説します。俺が気に入らなかったことを発したときや、または行動で表したとき、点数をつけることにしました。マイナスの数が増えれば、どんどん離れて、最後には友達解消です」
「えー、ちょっと、それ嫌だ。あっ、でもプラスになればいいんだ。だったらそれグッドアイデアかも。点数が10点になったとき、私のこと考えてくれる?」
「それはありません。プラスの点数はつけないことにしてます」
「ジョーイ!」
「とにかくだ、俺の気に障ることをするなよ」
「ううん、約束できない。だって私はありのままの私でいたいから」
 詩織は吹っ切れたような笑顔をジョーイに向けた。
 やっぱりそれは詩織らしい清清しい潔さに見えた。
 そういうところはジョーイ自身羨ましく思えるのだった。
 詩織は嫌いではないとジョーイは軽く詩織の頭をこついた。
 詩織の目は先ほどの涙で潤っていたが、それが効果的により一層輝きを増す。
「ジョーイ、それじゃまたね」
 詩織のプリーツの入ったスカートが軽やかに揺れて、これ以上の長居は必要ないとばかりに自ら引き際を見せる。
 後腐れないところは気に入った。
「プラス1点……」
 ジョーイが小さくつぶやくが、詩織の耳に届くことなく、詩織の姿は押し寄せてくる人ごみに同化されていた。
 ジョーイが腕時計を見れば、電車の発車時刻が近づいていた。
 慌ててホームに向かって、ドアが閉まるギリギリのところで電車に飛び込む。
 リル、詩織と二人と係わって色々とあったが、こんな出会いも悪くはないとぼんやりと考えながら、電車に揺られていた。
 何かと悩む事もあるが、この時の一番の悩みは夕食の献立だった。

 電車から降り、改札口を出ると足はスーパーの方へ自然と向いていた。
 そんな主婦のような気持ちでいた時、突然知らない男から声を掛けられ非常に驚いた。
「ジョーイ・キリュウ」
 名前をフルネームで呼ばれるが、発音とイントネーションが日本語読みではなかった。
 振り返れば、周りの人間よりも遥かに大きい男が目に入る。
 黒い革ジャン、ジーンズ、ツンツンに立てたダークな髪の毛、そして黒いサングラスとそれらが合わさるだけでも目立つというのに、さらにそいつは日本人ではなかった。
 ポーズをとるようにサングラスを粋にはずして、気取った笑顔を見せるが、ジョーイは警戒し、訝しく見つめた。
「(少し時間あるかい?)」
「ノー」
「(おいおい、その態度はないだろう)」
「(母から知らない人には気をつけろと言われてますので)」
「(君は知らなくとも、私は君を知っているんだが、とにかく少し訊きたい事があるんだ)」
 上から目線の横柄な態度が鼻につき、ジョーイは睨みつけた。
 ジョーイの警戒する態度は逆にやる気を起こさせ、その男は笑みを浮かべながら、懐から何かを取り出し、自慢げにそれをジョーイの目に突き出した。
 ジョーイは目に付いたところを口に出して読んだ。
「(FBI…… ガイ・ダルビー?)」
「(おっと、Guyと綴るが、読み方はギーだ。ギー・ダルビー、よろしくな)」
「(FBIが日本で何を?)」
「(おや、この状況でまず最初になぜ自分に関係があるのだろうと思わないんだ?)」
「(俺は悪いことなど何もしてない。FBIに声を掛けられても自分のことに関係しているなどと全く思えない)」
「(まあ、いいんだけどね。そのうちわかることだから。ところで、最近誰かから連絡なかったかな?)」
「(一体何がしたいんですか。あんたのこともよく知りもしないのに、俺には答える義務はない)」
「(一筋縄ではいかないと思ってたけど、君から情報を得るのはやはり困難だ。君は何も知らなさ過ぎる。知ろうともしないけどね。だけど少しは知っておいた方がいいんじゃないかい? まあ、私もお節介だとは分かってるんだけど、君を見てたらイライラしてきてね)」
「(一体、何が言いたい。回りくどく真相をぼやかしたことを言われてもさっぱり理解できる訳がないだろうが)」
「(はいはい、すみませんね。私もはっきりと君に言ってやりたいんだが、上からの命令でそれができない。だけどヒントをやろう。それで君が勝手に気づけば、私は直接言ったことにはならない)」
 ギーはポケットから小さな粒を取り出し、それを手のひらに転がしながらジョーイに差し出した。
「(なんだよ、これ。ただの大豆じゃないか)」
「(いいからいいから、これが真相なんだ。ほら受け取れ)」
 ジョーイは近くで見てやろうと挑むように受け取った。
「(それじゃ今日のところは、これで失礼する。そうそう、サクラは今いないんだったな。真相を知るチャンスかもな)」
「(おいっ、どうして母さんのことを)」
 ギーはサングラスをまた掛けると、悪意のある笑みを片方の口元に込めて吊り上げた。
 ジョーイが引き止めても振り返ることなく去っていった。
 追いかけて問いただしても無理だと思うと、ジョーイは後姿を睨むことでしか気持ちを処理できなかった。
 手のひらの一粒の大豆をぎゅっと握り締め、地面を蹴るように踵を返して、ジョーイは家路に向かった。
 一体、この大豆は何を意味しているのか。
 ギーの目的は何なのだろう。
 指で大豆をつまみ、気を取られていると、ぼやけた視界の中で大型犬を連れた人とすれ違った。
 ジョーイははっとして振り向くが、キノじゃないと分かると大きなため息が出た。
 ノンストップでねじ込まれるように何かが迫ってくる。
 それはキノが転がしたビー玉から次々に連鎖反応を起こすように作動し始め、不思議な事件や事柄がびっくり箱を開けたように登場する。
 まるで自分がお遊びに仕掛けられたピタゴラ装置の転がる玉のような気分だった。
 そのきっかけを最初に作ったキノは一体何者なんだ。
 本当にハリウッド女優なのだろうか。
 ジョーイは思い立ったように方向を変えると、足は本屋を目指していた。
 雑誌コーナーを目指して映画やハリウッドスターのものはないかと探すが、間違ってアダルト雑誌が目に入るとジョーイの体に電流が走った。
 そんな時不意に周りの人たちと目が合うと気恥ずかしい。
 だが、慌てて去るのも、じっとその場にいるのもどちらも嫌だった。
 そのままカニ歩きになりながら、ゆっくりずれていると、やっと映画雑誌を見つけた。
 手にとってみたが、付録がついてるのか紐で閉じられて中の様子が見られない。
 表紙にはミラ・カールトンという名前も載っていないところを見ると、まだ日本では知られてないように思えた。
 仕方なく諦めて、本屋を出ようと思ったが、今度は大豆のことが気になって、何か関連する本はないだろうかと、その辺を歩き回った。
 料理本のところで、ヘルシー大豆料理特集というのが目に入ったが、ぱらぱら見ても食べ方くらいしか載ってない。
 分からないことだらけだと、ジョーイは不満な顔つきになりながら、何も買わずに本屋を後にした。
 ジョーイが去ったその直後、本屋の中で、ジョーイが手にした本を峻厳な目で見ていた者がいた。
 同じように手に取り、喫緊の問題のように捉えていた。
 それは前日もスーパーでジョーイを陰から見ていた男だった。
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