第五章 仕掛けられた罠
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「キ、キノ!?」
独りよがりに求めて、探せば探すほど会えなかった人物が、自ら声を掛けてきた。
不意打ちをくらい、突然降って沸いたこの状況に、ジョーイが驚くのも無理はなかった。
いつものポーカーフェイスとは程遠く、目の見開いた姿を無防備にさらけ出していることに本人も気がついてないくらいだった。
何かを話さないといけない圧迫を感じるが、口許はワナワナと震えるだけで言葉にならない。
キノもまた緊張し、ややうつむき加減になりながら、人差し指でメガネを押さえつけるしぐさをして戸惑っている。
二人はモジモジとして、中々話せず、喉で声が押し込められたようになっていた。
ようやくキノが、喉を整え声を出した。
「おはよう……」
それに引っ張られるようにジョーイもやっと声が出た。
「ああ、お、おはよ」
キノは上目使いにジョーイを見ながら質問する。
「あの、これ落としませんでしたか?」
キノの手から情報誌が差し出された。
見知らぬ雑誌。
突然声をかけられるだけでも落ちつかないのに、落としたこともないものを突き出されて、面食らって間抜けな表情を向けた。
思わず声が裏返ってしまう。
「えっ? こ、これを俺が落とした?」
「はい、ここに名前が書かれた紙が一緒に挟まれていたんです。もしかしてジョーイのかなって思って」
キノが情報誌の中を開くと、紙が確かに挟まれていた。
走り書きされたような筆記体でJoey Kiryuと記されている。
紛れもなく自分の名前だった。
その開いたページには、油性らしき黒いペンで何重にも丸で囲んだ印も入っていた。
見覚えのある風景。
自分がカウンセリングで通うクリニックがあるビルの写真が掲載されていた。
「これを一体どこで拾ったんだい?」
「あの、その、日の出公園という場所で、昨晩犬の散歩をしてた時、偶然この雑誌が落ちていて、ゴミ箱に捨てようと持ち上げたらその紙が出てきたんです。それで雑誌をぺらぺらめくっていたら、ページに印がついてたので、一応確認した方がいいと思ってその……」
日の出公園は駅前から東へ向かったところに位置する、街の大きな広場になってるところだった。
朝日が昇るのが見られるのでそんな名前がつけられている。
犬の散歩をしていたというのは、あの例の盲導犬のことなんだろう。
しかしジョーイは前日にそこへは行ってない。
だが、この雑誌が何を意味しているのか心当たりはあった。
これがギーからの連絡なのだろうか。
それしか考えられないが、なぜキノがメッセンジャーの役になっているのかがわからない。
「あの、やはりこれはジョーイのもの?」
ずれたメガネの奥のキノの不安な目が、ジョーイの反応を探っている。
「ああ、そういえば俺のだ。わざわざ届けてくれてありがとう」
わざとらしかったかなと思いながら、ジョーイはその雑誌を手にする。
キノは戸惑った目をむけながら、そわそわしていた。
「あの、余計なことかもしれませんが、印で囲んであったところ、今日そこへ行くつもりですか?」
「えっ、どうしてそんなこと聞くんだい?」
キノは何かを知っているのだろうか。
彼女の行動は常に普通ではない。
ジョーイは動揺して、唾をごくりと飲み込んでいた。
「いえ、その情報誌にそこで春の夜桜祭りがあるって書いてたから行くのかなって思って」
ジョーイは雑誌に目を通した。
確かにキノの言った通りのことが書いてある。
あの辺りの街路樹は桜が植えられていた。
それがライトアップされ、この日だけ大通りの車の出入りを禁止して、歩行者天国となるとあった。
「今、桜の見ごろだから夜桜もきれいでしょうね」
キノは話を繋ぎ合せるように言った。
「まあ、そうだろうな」
無難に返事したが、ジョーイの心は穏やかではなかった。
それが声にも現れて、あまりいい印象に聞こえなかったのかキノはまたおどおどしだした。
「あっ、すみません。長々とお話して。それじゃ失礼します」
「ちょ、ちょっと待って」 走って去ろうとしたキノの腕をジョーイは咄嗟に掴んでいた。
掴んだ方も掴まれた方も思わぬ接触にお互い顔を合わせた。
その一瞬でドキドキとして、どちらの心臓も早鐘を打った。
「ご、ごめん。その色々と聞きたいことがあるんだ」
咄嗟に手を離せば、せき止めていた熱いものが一気に体から溢れ出る。
ジョーイがこんなにも、胸を高鳴らせて焦ったのは初めてだった。
「あの、一体なんでしょう」
怖がっているともとれるくらいの小さな声。
キノは身を縮めながら質問を覚悟した。
その時、学校のチャイムが鳴り出した。
タイミングが悪いとばかりジョーイは顔を歪める。
このチャンスを逃せば、また次いつ訊きたいことが訊けるか分からない。 ジョーイは恥を忍んで覚悟する。
それは自棄を起こして暴走していた。
「なあ、今日、夜桜祭り一緒に行こう。放課後校門で待ってるから。それじゃまたな」
ジョーイは返事も聞かず走り出した。
自分が桜のように頬が染まった祭り状態だと、体の中のガスを抜くように猛スピードで走っていった。
「何やってんだ俺……」
キノはその場で暫く突っ立っていたが、自分も遅れるとばかりに慌てて校舎へと走っていった。
キノもまた考える余裕がないまま、鳴り終わりそうなチャイムの中、スカートの裾が大きく揺れて、パンツが見えてもお構いなしなくらい必死に駆けていた。
教室に飛び込んだジョーイは、息切れを起こしていたが、それは走ったことによるものなのか、血迷ってキノをデートに誘ったことなのか、ドキドキとする心臓辺りを押さえながら戸惑っていた。
体が熱く火照って、胸の鼓動のドキドキが中々止まらない。
自分の席に着くと、突然燃え尽きたように、ヘナヘナと体の力が抜けて机の上に覆いかぶさっていた。
(俺、何やってんだ?)
その後、シアーズが教室にやってきて、ホームルームが始まってもふにゃっとしたままだった。
シアーズが睨みを利かした目でジョーイを一瞥する。
それでもお構いなしにジョーイは自分の世界に入り込んでいた。
シアーズも特に注意をすることなかったが、たるんだジョーイの態度に少し訝しげな目を向けていた。
ホームルームが終わると、シアーズはその態度が気に食わなかったのかジョーイの側にやって来た。
「(ジョーイ、今日の放課後でいいから、私のところに来なさい)」
ジョーイは突然のことに面食らった。
何か言おうとしたが、シアーズは返事も待たずにさっさと教室を後にした。
「ちぇっ、ついてねぇ」
ジョーイは突然の呼び出しに、納得いかず、放課後のキノとの約束に支障をきたすのではと心配になっていた。
「おい、ジョーイ、シアーズに呼び出しくらっちまったな。なんかあったのか?」
トニーが心配している素振りを見せながら近寄って来るが、ニタッと白い歯を見せたところで茶化していた。
「えっ、何もしてないのに呼び出されちまったぜ。くそーシアーズめ」
「日ごろの態度が悪いからシアーズも我慢の限界だったんだろうな」
「俺、そんなに態度悪いか?」
「ああ、無茶苦茶生意気だぜ。まあそれがお前らしいんだけどな。やっぱ年上には失礼なんじゃないか」
「面倒くせー、特に今日は急いでるのに」
「ああ、そういえばカウンセリングの日だったな。少しくらい遅れてもいいんじゃないか」
「えっ、ああ、そ、そうだな」
トニーの前ではカウンセリングのことになっていた。
まさかキノと夜桜祭りにいくなんて言えない。
しかし、その裏に意図されたギーの連絡のことも気になる。
キノのことで浮かれている場合じゃなかったと自制するも、自分の置かれている状況がわからなくなってしまい、表情に翳りが出てしまった。
「どうした? なんか他にあるのか?」
「いや、なんでもない」
ジョーイは一時間目の教科書を鞄から取り出す。
そして担当の先生が現れるとトニーも自分の席に戻り、いつも通りの授業が始まった。
この日はどうも落ち着かず、一層一人になることを好んだ。
休み時間も極力トニーから離れ、全ての授業が早く終わればいいとそればかり考える。
昼休み、適当に昼食を済ませ、一人ぶらぶらとジョーイが構内に向かって歩いている時、リルの姿を見かけた。
校舎と校舎の間の中庭で友達と話をしているが、相変わらず仏頂面は健在だった。
それでも友達の話を聞いて、たまに首を振って相槌を打っている様子だったので、とりあえずは輪に溶け込んでいた。
ジョーイはついリルを観察してしまう。
そして周りが急に派手に笑い出したその時、リルの口元がかすかに上向いた。
「あいつ、今笑ったぞ。あいつもあいつなりに努力してるんだな」
自分も変化がある状況の中、ジョーイは他人事のようには思えなくなっていた。
リルがふいに首を動かしたとき、ジョーイの存在に気がつく。
自然に手を上げ、遠慮がちながらもジョーイに向けて振った。
ジョーイも躊躇することなく、手を上げてその挨拶に答えてやった。
そのやり取りを見ていたリルの周りの友達は、その光景に目を見開き驚いた。
リルがジョーイと友達なことが信じられないとばかりに、大騒ぎしだした。
ジョーイはその様子を見て巻き込まれるのはごめんだとさっさと退陣したが、リルがなんとか皆と上手くやっている姿に安心して鼻から息が自然と抜けた。
自分の事のようにどこか捉えてしまったのかもしれない。
そして、そのリルとジョーイのやり取りをまた遠くから見ているものがいた。
キノだった。