第五章
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放課後、シアーズに呼び出されていたためにジョーイは職員室に向かった。
何を言われるのかわからないまま、顔はいかにもうっとうしいとばかりに会う前から反抗的な態度になっていた。
職員室に入れば、シアーズは自分の席について、デスクの上にある書類にペンを走らせていた。
ジョーイは気だるく近づき、不遜な態度を取った。
「(言われた通りにやってきましたよ。一体何の用ですか? 急いでいるので早くして下さい)」
シアーズはジョーイに視線を移すと一息ついて、言葉を選んでから口を開いた。
「(ジョーイ、何か悩んでいることでもあるのか?)」
「(はっ? そんなもんある訳ないだろ。なんで俺だけにそんなこと聞くんだよ)」
「(お前は態度が悪すぎるからだ。何か気に入らないことがあるからわざと学校でそんな態度を取っているのかと思ってな。お前は頭はいいが、その態度では内申書に響くぞ)」
「(そんなの気にしてない。悪くつけたければつけてくれ。話はそれだけか)」
「(ジョーイ、いい加減にしろよ。そろそろ進路も決めなければならない。もっとこれからのこと自分で考えろ。お前は一体何がしたいんだ? お前は恵まれた才能を持っているのに宝の持ち腐れだ)」
「(余計なお世話だ。恵まれた才能? 一体どんな才能だよ。俺のことまるでなんでも知ってるみたいな言い方だな)」
「(私はただ担任として助言しているに過ぎない。お前のような生徒は放っておけないだけだ)」
「(それじゃ俺から放っておいて欲しいとリクエストさせて頂きます。それなら担任風吹かせる必要もないだろ。余計なお世話なんだよ!)」
シアーズはここぞとばかりに先生の権限を示した。
「(ジョーイ、口を慎め。そんな態度を取るならディテンション〈居残り〉だ)」
「(おいっ、俺この後用事があるんだよ。そんなことしてられるか)」
シアーズはジョーイに黙ってプリントを差し出す。
「(これができるまで家には帰るな)」
落ち着いた態度の中に鋭く光る目つき。
容赦はしないとシアーズはジョーイを見つめていた。
ジョーイはこれ以上反抗したところで無駄だと思い、ひったくるようにそのプリントを手にした。
「(問題を解くくらい5分もあれば簡単にできる。それなら喜んで引き受けてさっさと帰ってやる)」
不敵な笑みを浮かべ、挑戦的にシアーズを睨み返した。
「(よし、その言葉に偽りはないな)」
「(ああ)」
そしてシアーズの隣の机が空いていたので、遠慮なく座り込みシアーズの目の前でプリントに取り掛かる。
しかし内容を見てジョーイはやられたと思った。
「(これ、英語でも日本語でもないじゃないか。おいっ、スペイン語なんて卑怯だぞ)」
シアーズに文句を垂れると、シアーズは黙ってスペイン語の辞書をジョーイに投げた。
「(喜んでやるって言ったのはお前だぞ)」
ジョーイは悔しがるが、シアーズは愉快とばかりに笑っていた。
「(くそっ、なんでスペイン語の問題なんか出すんだよ。俺、授業取ってねぇじゃないか)」
それでもジョーイは辞書を片手に、一心不乱で問題を解き始めた。
一刻も早く終わらせてキノに会いに行かなければならない。
焦る気持ちの中とにかく問題を解いていく。
そして30分後。
「(ほら、できたよ。これで文句ねぇだろ)」
「(ああ、まあいいだろ。とにかくだ、これに懲りて私に逆らうなってことだ。覚えとけ)」
ジョーイは、歯を食いしばって立ち上がり、プイとその場を腹立たしく去った。
シアーズは去っていくジョーイの後姿を見送り、そして答えたプリントをじっと見つめる。
「(辞書を片手に習っていない言葉をここまでやれるとは、やっぱりアイツは天才だ)」
シアーズはふっーと漏らすようなため息をついた。
そして腕時計を見て時間を確認していた。
「くそっ、すっかり遅くなっちまった。キノの奴待ってるだろうか」
ジョーイは慌てて校門まで走るが、その付近にキノらしい姿がすでに見えないことに気がついていた。
校門を出てもキノの姿は見当たらなかった。
「やっぱり先に帰ってしまったんだろうか。くそっ、シアーズの奴。一生恨んでやる」
ジョーイはキノと連絡の取り方も分からず、イライラして頭を掻き毟る。
しかし、あの手渡された情報雑誌のことは無視できず、なぜキノがそれを持ってきたのかも依然謎のままだった。
ギーからのメッセージの線が濃く、追求したいために一人でそこへ行くことを決意した。
「一体何が分かるというのだろうか」
ジョーイはもう一度学校の校舎を振り返り、キノの姿を確認する。
大幅に遅れてしまったことで、もうキノは帰ってしまったと思い込み、眼差しは寂しくなっていた。
がっかりと肩を落とし、気だるく駅に向かって歩いていたが、まだ駅前に居るかもしれない期待にはっとして、早足になっていた。
だが、それも打ち砕かれ、一喜一憂する激しい気持ちの変化に疲れてしまった。
不満から、いつものふてぶてしさが戻り、ジョーイはぶすっとして目的地に向かった。
そこはカウンセリングに来るためにいつも来ている場所だが、さすがにこの日は夜桜祭りとあって人で溢れていた。
灰色の街の中で、ピンク色の桜がずらっと並んでいる光景は、一時の幻想のようでもあった。
人々はそれを眺めるだけではなく、そこで催しされているイベントや、屋台などの店に群がって、思い思いに楽しんでいた。
無機質な街が、この時は魔法がかかったように彩られて賑やかに心躍らされる。
そんな中を、仲良く手を繋いだカップルが歩いている。
それを見てジョーイはハッとした。
「もしキノとここへ一緒に来ていたらデートになっていたじゃないか」
ジョーイは急に我に返っていた。
しかし、自分から誘っておきながら、結局、約束を果たせなかったことは無責任で罪悪感に苛まれた。
次、キノと顔を会わせた時、また気まずくなりそうなのが気掛かりだった。
混雑した街の中、そんな複雑な思いを抱えながら歩くのは適してなかった。
ジョーイは前から歩いてきた男と、この時ぶつかってしまった。
しかしそのぶつかり方は、決してジョーイだけが責められるものではなかった。
肩をいかつかせながら横柄に、周りのことも気にせず歩く相手にも充分非があったが、その相手が悪かった。
いかにも堅気ではない雰囲気が漂う派手なスーツを着たその男は、見るからに敬遠したくなる。
ジョーイもぶつかった瞬間、少しヤバイと本能的に感じとっていた。
だからこそ素直にジョーイはすぐに謝った。
「すみません」
「ん? すみませんだと」
丁寧に謝ったつもりだったが、その男はジョーイの顔を見るなり気に入らない態度を露骨に示す。
「おい、兄ちゃん、なかなかムカつく顔してるじゃないか。今ちょっとむしゃくしゃしてたんだよ、いい機会だ、おい、顔貸せ」
あまりにも理不尽だった。
却って呆気に取られているうち、あれよあれよと、その男の仲間と思われる数人の男達に挟まれていた。
「ちょっと、ちゃんと謝ったじゃないですか」
そう言っても許してもらえず、二人の男に腕をつかまれ、全く人気のない路地に連れ込まれてしまった。
そして胸を強く押されて、ジョーイはよろめいた。
かつてない危機に遭遇し、ジョーイはごくりと唾を飲み込む。
じりじりと後ずさりをするも、誰かがすでに後ろに立っていた。
「よぉ、兄ちゃん、歯食いしばれ。一発殴ったら許してやる」
態度はでかいが、その男は小柄だった。
殴られてもたかが知れてると覚悟を決め、ジョーイは歯を食いしばった。
だが男が殴ろうと勢いつけて拳を飛ばした時、咄嗟の反射神経でジョーイはよけてしまい、男は勢い余って転倒してしまった。
またそれが更に怒りを買ってしまい、男の怒りは頂点に達してしまった。
男の合図と共に周りの仲間がジョーイを押さえ込む。
ジョーイはほんのちょっとぶつかっただけで、サンドバックのような殴りを腹に数回お見舞いされてしまった。
「ごほっ」
ジョーイは抵抗できないまま苦しみもがく。
そこに誰かがかなきり声を上げながら駆け込んできた。
「いやー! 誰か、誰か助けて!」
その悲痛な叫び声が功を奏し、チンピラたちは素早く逃げていった。
ジョーイは体をくの字に曲げ、よろめきながら叫び声の主を見つめた。
「ど、どうしてここに君が……」
腹を抱えながら地面に膝をつく。
意識が朦朧としていく中で、ジョーイは再びビー玉が転がる光景を思い出していた。