第五章
3
「大丈夫、ジョーイさん」
涙を目に一杯溜め、リルはうろたえていた。
「リル? なぜここに?」
「ジョーイさん、立てる? 早く病院に行かなくっちゃ」
「だ、大丈夫だ。ごほっ」
ジョーイは無理をして立とうとするが、力が入らず息苦しい。
腹に受けたダメージは思ったよりも深刻だった。
地面に座り込み顔を歪ませた。
「どうしよう、どうしたらいいの」
苦しそうにしているジョーイを目の当たりに見て、感情を表さないリルが我を忘れて取り乱している。
ジョーイは安心させるためにも声を絞り出した。
「そこに、落ちてる、鞄を、とって、くれ」
リルは鞄を拾うとジョーイに手渡した。
ジョーイは中からスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。
「早川先生…… ジョーイです。今、近くに、居ます。助け、て、下さ……」
言い終わる前にジョーイは苦痛のあまり力尽きて気を失ってしまった。
「ジョーイさん! しっかりして」
リルが支えながら側で叫ぶ。
「もしもし、どうしたの? 一体何があったの? ジョーイ」
ジョーイの手から離れた電話はまだ繋がったままだった。
そこから早川真須美の声が聞こえててくる。
リルは震える手でそれを取り、この状況を伝えだした。
そして早川真須美は、リルの情報を頼りにクリニックのスタッフを数名連れて駆けつけた。
ジョーイが目覚めれば、そこは見慣れた部屋だった。
いつものカウンセリングで使う簡易ベッドの上に寝かされ、その側でリルが目を赤くして様子を伺っていた。
「やっと気がついたみたいね、ジョーイ。だけど一体何があったの?」
ジョーイは起き上がろうとするが、リルが押さえて、首を横に振る。
寝転がったまま、ジョーイは早川真須美の質問に答えた。
「それが俺にもさっぱりわからない。ただ変なチンピラとぶつかってしまって、謝っても許してもらえず、それで反感を買って殴られてしまった」
「そう、それは災難だったわね。でもどうしてジョーイは今日ここにやってきたの?」
「えっ? そ、それは、その桜夜祭りに興味があって」
「ふーん、ジョーイにしては珍しいわね」
早川真須美はそれ以上は何も言わず、ジョーイの側に寄ると腕を取り脈拍を測った。
リルはまだ落ち着かず、心配そうにその様子を見ていた。
「えーっと、リルちゃんだったね。ジョーイは大丈夫よ。この程度じゃ死にやしないから、安心して。ジョーイも隅に置けないわね、いつの間にか、こんなかわいい子と知り合いだなんて。てっきり女の子には興味ないかと思ってたわ」
「いえ、リルは、その」
ジョーイはどう説明していいかわからなかった。
「あの、私はただの後輩なだけです」
リルはもじもじとうつむき加減で答えていた。
その様子を早川真須美は優しく微笑んで見ていた。
「だけど、なぜあそこにリルが居たんだ?」
今度はジョーイが疑問に思った。
「えっ? そ、それは、私も夜桜祭りを見に来たの。そしたらジョーイが変な人たちに連れて行かれるところを見て、それで後をついつけてしまって、そしたら殴られてたからびっくりした」
「そっか、リルも夜桜祭りに来ていたのか。なあ、リルはキノって知らないか?」
もしかしたらキノも来てるんじゃないかとつい名前が出てしまった。
「キノ? ううん、知らない」
「あれ? 今度は違う女の子の名前? ジョーイ、一体どうしたの。この間のカウンセリングからなんか様子が違うわよ」
早川真須美の目が光る。
早川真須美を誤魔化せないのは分かっていたが、リルにこの状況を知られるには抵抗があった。
「カウンセリング?」
案の定リルは不思議そうにその言葉を繰り返した。
「ああ、ここは俺がカウンセリングに通ってるところだ。この人がその先生ってな訳」
ジョーイは観念したかのようにそのことだけは伝える。
「ジョーイ、何か問題抱えているの?」
「まあな」
ジョーイは言いにくそうに相槌を交わすも、リルはすぐにその気持ちを察知した。
「そう。ジョーイも悩みがあるんだ。でも、安心して、私、口堅いから。カウンセリングに通っているって誰にも言わない」
早川真須美は、気を遣うリルの様子を見て微笑まずにはいられなかった。
「ねぇ、リルちゃん。この堅物ジョーイとはどうやって知り合ったの?」
「えっ? どうやってって言われても……」
リルは首を傾げた。
「あのね、ジョーイは滅多に女の子に声を掛けるような子じゃないの。このお色気たっぷりの私ですら無視されるくらいなんだから」
「先生、一体何が言いたいんだ」
余計なことを言わないでくれとばかりに、ジョーイは顔を顰める。
「だから、なんだかジョーイが普通の高校生に見えてきたから、その原因を知りたくなったの」
「それはまた今度のカウンセリングで話すよ。それでいいだろ」
リルの前では、これ以上自分の素性を明かすのは嫌で、慌てて答えていた。
暫く休むと殴られた腹の痛みは和らぎ、気分が楽になっていた。
立ち上がれば、腹を押さえて少し前屈みになってしまったが、歩くには問題なかった。
「もっとゆっくりしていってもいいのよ。なんなら私が送ってあげるし」
「いいよ、先生。自分で帰れる。折角だから、夜桜見ていくよ」
「そうね、リルちゃんもいるし、余計なお世話だったわね」
「だから、そんなんじゃないって」
リルはこの時、じっとジョーイを見ていた。
二人はクリニックを後にして、夜桜祭りで賑わっている人ごみに入っていく。
桜はライトアップされ、浮き上がって見えていた。
それは素直に美しいと思え、しばし釘つけになって、その夜に映える淡いピンク色に心奪われた。
気持ちが穏やかになったところで、ジョーイは口を開いた。
「リル、助けてくれてありがとうな」
「えっ、ううん、そんなお礼を言われるほどでもない。でも本当にもう大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。だけど、すごい偶然だったよ。リルがここに来て俺を見つけてなかったら、今頃俺どうなってたか」
「ねぇ、今日、ほんとは誰かと会う約束してたんじゃないの?」
その瞬間ジョーイははっとしてリルを振り返った。
「どうしてそんなことを訊くんだ」
「あの、その、なんとなくそう思ったの」
それはとてもぎこちない答え方だった。
「リル、何か隠してるんじゃないのか。お願いだ正直に言ってくれないか」
またビー玉が転がっていくのを感じた。
「あの……」
リルが何か言いかけたとき、目の前にジョーイの知ってる顔が不敵な笑みを添えて現れた。
「ヨッ、ジョーイ」
「ギー!」