第六章
2
「コンビニで起こったことはあなたが見た通りよ。あれは確かに私が起こしたこと。あの騒ぎは私の犬がやってしまった。でもそれは隠さなければならなかったの。ツクモは……」
「ツクモ?」
「あっ、犬の名前なの。ツクモは過去に人を噛んで怪我をさせたことがあって、それで危険だからって処分されそうになったの。それを私が預かって絶対人に役
立つような犬にするからって約束したわけ。これがさっきも話したプライベートな理由。もし今回のことがばれちゃうとツクモを庇いきれないの。でもあの時、
事件を無視できなくてついあんなことをしてしまった。私のせいでツクモがまた凶暴な犬だなんて思われたら困るからつい嘘をついてるってことなの。私だって
嘘をつくのは悪い事だと思ってるけど、守るためには仕方がないこともあるの。だからごめんなさい」
最後はぐっと歯を噛み締めた絞った声となり、咄嗟に頭を下げたキノの態度は本当に悪いことをしていると分かっている様子だった。
ジョーイは不意打ちをくらって当惑してしまう。
──守るためには仕方がない嘘
ジョーイの頭にはその言葉がぐるぐるしていた。
そこにキノの殊勝な態度を見せ付けられると、さっきまで強気でいたジョーイは萎えてしまった。
「そ、そうだったのか。ごめん。俺の方こそなんか好き勝手に話してしまって」
どうして良いのかわからないくらいばつが悪かった。
「でもこの事は誰にも言わないで欲しい」
「ああ、わかった」
キノは安心したかのようにほっと息をつき、ニコッと微笑んだ。
「だけど、他の事件は本当に偶然なの。皆、勝手に想像してくれてるみたいだけど、私の方が訳が分からない状態。それにミラ・カールトンって、そんなに有名な人で、本当に私に似ているの?」
「いや、俺も最近知ったんだけど、確かにキノにそっくりだった。というより、本人かと思ったくらいだ」
「それは本当に私じゃないわ。でもそんなに似てるのなら見てみたい。世の中自分とそっくりな人が三人いるっていわれてるもんね」
愛想程度に適当に答えていたが、似てると言われてもキノはあまり嬉しくなさそうだった。
「それもそうだな。そっくりな奴が三人いるって話はよく聞く話だな。それにミラ・カールトンはキノに瓜二つだけど、肌や目の色が違っていた。落ち着いて考えればやはり偶然に似てたんだろな。俺の方こそ勝手に思い込んで嫌な思いさせてすまなかった」
「ううん、誤解が解けてよかった」
ジョーイはそれでもまだ半信半疑だった。上手くはぐらかされたようでもあり、まだまだ真相がはっきりと見えてない。
そこには前日雑誌を持ってきたことも含まれている。あれはどう説明すればいいのだろう。あの雑誌を手にしたせいで、チンピラに絡まれ、そして前もってそ
の事件が起こることを伝えられて助けに来てくれたリル。さらに、あの場所に現れたギー、確かに全てが仕組まれたことだと分かっていても、そのことについて
はもうこれ以上キノには問い質せそうにもなかった。
キノは全てが終わったように、すっきりした表情でジョーイと並んで歩いている。
ジョーイもその雰囲気を壊したくない思いで、遠慮がちになってしまった。
おどおどとキノを見つめると、そこには少しの間、キノをアスカに例えて勝手に想像してしまっている自分がいた。
まだキノからアスカのイメージが拭えない。
「あっ、そうだ」
ちょうど駅の前に着いた時、ジョーイは突然思い出し、ポケットに手を突っ込んだ。
中からビー玉を取り出して、それをキノに差し出した。
「これは」
「これもホームに落ちてたんだ。あの時落としたビー玉だと思って持ってたんだ」
キノは恐る恐るそれを受け取った。
「ありがとう。覚えていてくれてたんだ」
「覚えているも何も、あんな派手なこと目の前でされたら、忘れられないよ。俺も子供の頃ビー玉で遊んだことあったからなんか色々思い出したよ。昔の友達のこととか」
ジョーイの瞳はキノを捉えているのに、その瞳に映し出された姿はキノの存在ではなかった。アスカを思い浮かべて瞳の焦点が合っていない。
キノはジョーイのそんな瞳をつい見つめてしまった。
──キノがアスカなら俺は……
ジョーイの心も完全に飛んでしまっていた。
駅前の人通りの激しい場所なために、側を通る人々は二人をちらりと横目で見ながら歩いていく。
自分達の世界に入り込んでいる仲睦ましい若いカップル。
見るものには初々しく映っていたかもしれない。
そして駅の周辺にいた一人は、複雑な思いを抱きながら、その若いカップルを見ていた──リルだった。
友達の付き合いで寄っていた店から出た瞬間、その光景がすぐに目に飛び込んだ。
ジョーイと見詰め合う女の子の存在に、リルの心は穏やかではなかった。
リルは感情に導かれるまま、二人に近づいて行く。
「ジョーイ」
自分の名前を呼ばれ、ジョーイは現実に引き戻された。我に返った時、キノを通してアスカを感じていた事がありえないと、面食らっていた。
その戸惑った中に、無愛想なリルまでが視界に入ってきた。
リルはキノを敵視して睨みつけ、一層きつい顔になっている。
また足元でビー玉が転がった錯覚を覚えた。
「ジョーイ、あれから具合は大丈夫なの?」
前日まではまだ『さん』付けだった。それが呼び捨てに変わっている。
リルのジョーイに対する気持ちの変化がそれだけで感じられた。
「ああ、大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
「それだったらいいんです」
二人にしかわからない会話をしていることに優越感を抱いて、リルはキノをちらりと見た。
キノは挨拶程度にニコリと返すが、リルは愛想笑いする事もなかった。
「この人が、キノね」
ジョーイが前日口にした女の子だと、リルは直感した。
そこにライバル意識も芽生えている。
なにやらぬ不穏をジョーイは感じ取った。
キノも挑んでくるリルの視線を気にし、わざとらしく腕時計を見つめる。
「ジョーイ、そろそろ電車が来る時間。私それに乗りたいから行くね」
キノは二人に気を遣って、さっさと行ってしまった。
「俺も、それに乗る。リル、それじゃまたな」
またキノがするりと逃げていくのが嫌で、ジョーイは後を追った。
置いてけぼりにされたリルは、感情をあからさまに顔に浮かべ、唇を無意識に噛んでいた。