Lost Marbles

第六章


「ジョーイは今の自分に満足してる?」
 心の準備もなく、自分のコンプレックスを突かれた質問に、ジョーイの喉から反射した声が漏れた。
 自分の心の奥を覗かれたように面映く、どう答えていいのかわからない。 「はい」か「いいえ」を言う簡単な問いだというのに。
「ごめん、変なこと聞いて」
「いや、いいんだ。もしかして詩織に言われたことまだ気にしてるのか?」
「少しね」
「そうだよな、俺達血が混ざり合ってるから特別な目で見られるもんな。キノもなんかそれで嫌なことでもあるんだろ」
 キノは返事しなかった。線路を挟んだ向かい側の駅のホームをただぼんやりと見ている。

 やがてホームに入ってくる電車を知らせるメロディが流れてきた。
 それに合わせて周りの乗客も乗り場に集中し、急にせわしなくなるというのに、キノは取り残されたように、虚空を見ていた。
 電車が入ってきても、気がついてないように、いや、まるで自分がここに存在してないかのように突っ立っている。
 ジョーイもその気持ちが分かるようだった。
 電車から乗客が溢れるように降りてくる。
 また空席目指して必死に乗り込む人たちがいる。
 毎日当たり前に見ている光景が、どこか別の世界の遠い出来事のように思えてくる。

 キノがやっと足を動かし、電車に乗り込んだ。
 ジョーイもキノの後をついていった。
 キノはまたドア付近に立ち、ドアが閉まるのを見届けた。
 電車はやがて動き出す。
 最寄の駅に近づけば、一緒に居られる時間が少なくなっていく。
 ジョーイはまだ話をしたいというのに、キノは寂しげな瞳を眼鏡のレンズの奥に潜ませて、先ほどと変わらないようにぼんやりと外を見続けていた。
 何か気の利いたことでも言えたらと、ジョーイは話すきっかけを探ろうとするも、そこには簡単に入り込めないとてつもない厚い壁が見えるようだった。
 キノは身の回りの全ての事柄を遮断し、思いつめていた。

「ジョーイ」
 キノが思い出したように声を掛けてきた。
 ジョーイの方が現実に引き戻されたような気になった。
「なんだ?」
「ジョーイの将来の夢って何?」
「えっ、将来の夢?」
「そう、ジョーイがやりたいこと」
「それがわかんないんだ。高校三年だし、進路を決めろって言われるんだが、何をしていいのかしたいことすらないんだ」
「でも、ジョーイは勉強がよくできるんでしょ。学校一の秀才だって噂を聞いたことがある」
「えっ? 噂? それって俺のこと前から知ってたってことなのか」
 どうりで初めて会ったとき、昔から自分のことを知っているように聞こえた訳だとその謎が解けた。
 面識がなかったが、噂が耳に入っていたということだった。
 また自分の中のアスカが遠くなっていった。

「そういうキノの夢はなんだ?」
「私の夢は人の役に立ちたい。自分ができるのなら惜しまずにその力を役に立てたい」
「へぇ、偉いな」
「ううん、それは私に課せられたことだからって、そんな風に思いたいの。こんな風に生まれてきたのも意味があるんだって思いたいの」
「俺も自分の容姿にはそれなりのコンプレックスはもってるけど、キノも相当根深そうだな。だけどそんなに気にするな。自分もそうだから人に偉そうに言えたことじゃないけどな」
 二人はまた暫く、静かに移り変わる窓の外の景色を見ていた。
 駅について降りた時、これでまたキノとお別れかとジョーイは残念に思った。
 もう少し話をしてみたい。もう少しキノと親しくなりたい。
 キノはアスカではないと結論が固まるまでに、自分の心の中にいるアスカをキノを通じてもう少し見てみたい。どうしてもそこに拘っていた。

 改札口を出て、賑やかな町のショッピングセンターに続く連絡橋を歩く。キノとはここでお別れだった。ジョーイはギリギリまでキノの側に居ようと試みる。
「キノは駅前に住んでるのか」
「うん」
「これからツクモの散歩でもするのか」
「そうだね。きっと待ってると思う」
「そっか。もし盲導犬の訓練で何か手伝えることがあったら言ってくれ」
 咄嗟にそんなことを言ってしまったが、ジョーイ自身自分の言葉に驚いていた。
「あ、ありがとう」
「そろそろこの辺でお別れだな。じゃーな」
 ジョーイはもう充分だと潔く去ろうとする。
「ジョーイ」
 キノは咄嗟に呼び止めた。
 ジョーイは振り返る。
「明日午後から、子供達の野球の試合があるの。知り合いが出るんだけどもしよかったら見に来ない? ツクモも盲導犬の訓練として連れて行くつもり」
 子供達の野球の試合、知り合いの出場と聞いて、ジョーイは駅前でおばあちゃんを待っていた野球帽を被った男の子を想起した。あの時日曜日にキノと会う約束があるとも言っていたことも同時に思い出す。
『何見てんだよ、バーカ!』
 あの言葉も蘇った。
 生意気そうなガキだっただけに、どんな試合をするのか興味も湧いてくる。そして何よりまたキノと居られると思うとジョーイは「ああ、行くよ」と笑みを添えて答えていた。
「試合は午後一時からだけど、場所は北口側の向こうにある花園小学校っていうところ。分かる?」
「ああ、分かるよ。それじゃまた明日な」
 ジョーイは軽く手を振って連絡橋の階段を下りていった。
 キノは暫くその場でジョーイの後姿を深く瞳に捕らえていた。

 その油断していた時、キノの鞄からスマートフォンの音楽がタイミングよくかかってくる。
 キノは渋々、それを手に取り、通話ボタンを押した。
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