Lost Marbles

第八章


「トニー、こんな時間までどこに行ってたんだ?」
 トニーはジョーイに目もくれないで、俯いて靴を脱いでいる。
 かなりもたついて、どこかふらつき加減で靴紐を解いていた。
 立ち上がって家に上がりこんだとたん、よたついて倒れこんだ。
 それをとっさにジョーイは受け止めたが、あまりの酒臭さに顔を背け、乱暴に突き放してしまった。
「トニー、酒飲んできたのか」
「ああ、ちょっと同郷の奴と知り合って仲良くなってな、ノリで飲んできたよ」
「おい、未成年だろうが。一体何が起こったんだよ」
「なんだか飲まなくっちゃやってられなくなったんだよ。家にいたらお前のお守りばかりさせられるからな」
「俺のお守りってなんだよ、それ。俺いつからお前にベビーシッターしてもらってたんだよ」
「この家に来たときからだろうが」
「トニー、いい加減にしろ。お前、かなり酔ってるな」
「ああ、酔ってて何が悪い。ジョーイはいいよな。皆から守られて大事にされて。俺なんて親も居ない孤児だぜ。子供の頃は学習障害(ディスレクシア)で文字も碌に読めなくてずっとバカ扱いだった」
「俺が守られて大事にされている? 何言ってんだ。それにトニーの過去のことは知らないが、今じゃ日本語ペラペラじゃないか。学校では人気者で友達も多いじゃないか」
「でも俺はジョーイのベビーシッターさ。腫れ物触るように付き合って、自分の意見も押し殺し、どこに行くこともできない俺の身にもなってくれ」
 主張するように訴えるが呂律が回っていない。
「トニー、まだあの時のことを根に持って怒ってるのか。もう気にしてないから。それに俺も悪かった。謝るから、機嫌直してくれよ。ごめん」
 廊下でフラフラになっているトニーの目の前で、ジョーイは頭を下げた。
 トニーは最初きょとんとしていたが、ジョーイが素直に謝ってる姿に目をパチパチとして驚いていた。
「ジョーイ、一体どうしたんだ。お前が謝るなんて」
 ジョーイは驚くトニーの顔を見て笑うと、トニーは一層びっくりして、目を丸くした。
「ジョーイ、お前笑ってるぞ」
「ああ、笑っちゃいけないか」
「オー、ジョーイ」
 トニーは、ジョーイを力強く抱きしめ、キスしそうな勢いで顔をくっつけてすりすりしていた。
「おいっ、それはやめてくれ」

 トニーは冷たいシャワーを浴び、酔いを醒ます。
 タオルで頭を拭きながらダイニングに顔を出し、テーブルの上に乗っていた食べ物を一つつまんで口に入れた。
「やっぱりジョーイはいい奥さんになれるな」
「はいはい、なんでも好きに言ってくれ」
 ジョーイも怒る気になるどころか、またいつものトニーに戻ってくれたことの方が嬉しかった。
 トニーと本格的な喧嘩をしたのはこれが初めてだったが、喧嘩してみてトニーの大切さに気がつく。
 心を閉ざして壁を作り、周りを排除して自分を守ってばかりだった。
 どれだけ自分は無駄な時間を過ごしてきたのか、思い知らされた。
 トニーがテーブルにつくと、ジョーイも向かい合って座る。
 すっかり冷たくなった遅い夕食だったが、仲直りで気が晴れた後では充分美味しいと感じられた。
「だけどさ、一体何があったんだ。いきなりジョーイが変わったみたいだ」
 トニーの質問に、ジョーイは真剣に向き合った。
「実はさ、今日キノとデートした」
「えー、キ、キノとデート? 女に全く興味のないお前が? 嘘だろ」
 ジョーイは今日起こったことを一部始終話し、その間何度もトニーは驚いて声を上げていた。
「トニー、鳥じゃないんだから、奇声上げるのやめろよ」
「だって、弁当作ってもらって一緒に食べたとか、目が合ってドキドキしたとか、一緒にガキの野球の応援したとか、ジョーイらしからぬ話にびっくりしてんだよ。しかもそれを隠さず俺に言うなんて、それも信じられない」
「まあな、この俺ですら驚いてるくらいだ。自分でもなぜそうなったのか分からないんだ」
「なあ、ジョーイ、俺思うに、ジョーイはキノを好きになったんじゃないのか。恋をすれば人は変わっちまうからな」
「俺が、キノを好き……」
「別に恥ずかしがることなんてないぜ。男ならそういうのは当たり前の感情だ。俺なんかしょっちゅう女に惚れてるぜ。ジョーイの場合、やっと目覚めたってところかな」
 ジョーイは少し黙って何かを考え、そして決心がついたのか勢いつけて口を開いた。
「トニー、俺、過去にアスカっていう女の子に会った事があったんだ。実はその子がキノなんじゃないかってずっと思ってた」
 ジョーイは出口を見つけたくて、助けを懇願する瞳をトニーにぶつけた。
 トニーは訳ありだと察すると、持っていた箸を静かに置き、真面目に語りだしたジョーイの話に耳を傾けた。
 ジョーイは過去の自分の記憶をトニーに語りだした。
 家の爆発のこと、父親が行方不明なこと、そしてアスカが目の前から消えてしまったこと、なぜ自分の感情が欠如してしまったのか、子供の頃に受けたトラウマを説明していた。
 トニーも真剣にジョーイと向き合い、ジョーイの気持ちを汲み取るように頷きながら聞いている。
 ジョーイが心を開いて話をしてきたことに、頼られているのも嬉しかった。
「そうか、そういうことがあったのか。そんなことも知らずに、俺は時々ジョーイに対して無神経なことを口走ってたのかもしれないな。すまなかった」
「トニーは何も悪いことなんてしてないよ。寧ろいつも俺を励まして、俺のために努力してくれていたよ。謝らなければならないのは俺の方だ。それにずっと甘えてたんだからな」
「なーに、それはお互い様って言うことでいいじゃないか。これでようやく俺はジョーイと分かり合えたような気分だよ。アスカがキノかどうかは分からないけど、でもキノは確実にジョーイに変化をもたらせたみたいだな。もう勢いで付き合っちゃえよ」
「えっ、お、俺が付き合う?」
「ああ、俺が言えた義理じゃないけど、キノと付き合えば過去のトラウマが改善されるような気がする」
「そんな治療みたいに言われても」
「何言ってんだ、俺は恋をしろって言ってんだよ。完璧なお前に唯一つ足りないのが女だったからな」
「恋……」
 女のことはトニーに任せろというくらい、その晩、遅くまでトニーのレクチャーが行われた。
 お陰で次の日二人は寝不足だった。
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