Lost Marbles

第九章


 ジョーイが慌ててトニーの後を追えば、そこから歯の浮くような言葉が聞こえてきて、恥かしくなってしまった。
 トニーは教師と生徒という間柄も忘れ、甘い言葉を惜しげもなく囁き、積極的に眞子を口説いている。
 眞子は教師からぬ色気を出して、トニーを益々促しているように思えてならない。
 そこに何か企みがあるような、意図されたものをジョーイは感じ取っていた。
  廊下を曲がったところで、シアーズと鉢合わせになり、眞子は表情を変えて挨拶をする。
 シアーズは眞子に目礼し、その後黙ってジョーイを一瞥するが、いつもの小言は省略され、代わりにトニーに視線を向けた。
「(トニー、少しいいか)」
 シアーズから顎で指図され、トニーは支配される威圧感に舌打ちする。
 静かに歩き出したシアーズの背後で、トニーはジョーイに向けて肩を竦めた。
 ジョーイが何か話しかけようと心配した目を向けると、トニーはおどけてウインクして、すぐさまシアーズを追いかけて行った。
 二人が廊下の奥へと消えていく様子をジョーイは不安げに見ていた。

「あいつ何やったんだ。シアーズにあんな風に呼び出されるなんて珍しいな。まさか酒飲んだこと……」
 そこまで言うと眞子の手前上、ジョーイはハッとして口をつぐんだ。
「ジョーイはトニーのことなら何でも知っているの?」
 眞子は聞かなかったフリをして、笑みを軽く添えて訊いてきた。
「大体のことなら分かってるつもりだけど、先生には関係ないだろ」
「なんだか私は嫌われてるって感じね。トニーから聞いたけど、生意気っていう意味が分かったわ」
「トニーの奴、俺の悪口でも言ってたみたいだな」
「悪口ではなかったけど、愚痴はこぼしてたわよ」
「それなら、昨日解決したよ。ちょっとアイツとやり合ってきっちり謝ったよ」
「あら、そうなの」
「でも、トニーは先生には気を許して何でも話してそうだな。アイツ先生には本気みたいだから」
「まあ、光栄だわ」
「まさか、先生も本気ってことないよな」
「さあ、どうかしら。フフフ。それは冗談だけど、でもトニーはまだまだ子供ね。少し優しくしただけで何でも話してしまうわ。揺れ動く年頃ってところかしら。まだまだ思春期で不安定なのね」
「先生がトニーを弄んでるんじゃないか」
「私が弄んでる? あら、そんな風に思われるなんて私も気をつけなくっちゃね。私はこれでも生徒のことを考えて行動してるだけだわ」
「それにしては、キノにはなんか冷たい印象がしたのは気のせいなのか?」
 ここぞとばかりに、ジョーイはクラブ活動中に抱いた違和感を単刀直入にぶつけた。
「あら、どういうこと?」
 眞子の顔つきが少し変わり、ジョーイを見つめる目が厳しくなった。
 癒し系でおっとりしていた眞子が豹変する。
 どこか抜け目なく、物事を鋭く見るような目つきに変貌していた。
 本能であまり係わりたくないと思うくらい、その時の眞子は威圧的だった。
「いえ、別になんでもありません」
 ジョーイは圧倒されて、一歩引いた。
「それじゃ、私は用事があるので失礼するわ」
 最後は穏やかな優しい笑みを浮かべ、眞子は去っていった。
 薄暗い廊下に、コツコツと響くヒールの音が、妙に耳に付く。
 得体の知れない、怪しげな雰囲気が漂い、その音は不安を誘った。

 生徒指導室と書かれたサインがドアついている小さな部屋で、シアーズはトニーに厳しい目を向けながら注意をしていた。
「(トニー、日曜日はどこに行っていた。なぜ携帯電話に連絡をしても答えなかったんだ? お前がここに居る理由を忘れたのか)」
「(もちろん覚えてますよ。俺はジョーイの監視役。そしてシアーズ先生は俺の保護者であり、雇い主。ジョーイの側にいる条件で、俺は憧れていた日本での留学を提供された)」
「(そこまで分かっているのなら、最近の行動は何だ)」
「(俺は何も詳しい事情を知らされてない立場だ。一切それについての質問をするなと釘を刺された上で、この仕事を引き受けた。ジョーイの身の回りに変わったことはないか監視するだけの役目であり、それ以上のことは責任はないはずだ)」
「(だからといって、羽目をはずしてもいいとは言っていない。ジョーイとの関係は常に気をつけろと言ってあるだろ。土曜日はなんだか喧嘩してたように見えたが)」
「(今までずっとあいつの態度に我慢してきたんだ、時には頭に来る時だってある。それにその件についてはすでに仲直りした。それくらいやった方が却って自然じゃないか)」
 シアーズは一度ため息をついた。
「(ジョーイの身の回りで不穏な空気が流れている。そのうち学校にも入り込もうとしてくるかもしれない。何か気がついたことはないか)」
 トニーは横に首を振った。
「(そうか、だが何か気がついたことがあったらすぐに連絡して欲しい。白鷺先生に現を抜かしてばかりいるなよ)」
「(分かってるよ。だけど俺のプライベートなことには口出しはしないで欲しいもんだ)」
「(お前は立場わかって言ってるのか。お前の女好きだけは誤算だった)」
「(だから、俺の他にもう一人ジョーイの監視役を置いてるんだろ。電車の中でずっと前にそれらしき人物に出会ったよ。見かけは日本人だったが、あれは純粋 な日本人じゃなかった。時々ジョーイと外を出歩くとそいつを見かけたから、追いかけて声を掛けたよ。そいつは何も言わなかったが、振り向きざまに俺のこと 知ってるような顔をして嫌味ったらしく笑っていた)」
「(そっか、ノアとは面識があったのか。それなら話は早い。そうだ、彼もジョーイを監視している一人だ)」
「(ノア…… やっぱりそうか)」
「(とにかく、不審な動きがないかそれだけは目を光らせておいてくれ。何か気がついたことがあればすぐに連絡をしろ)」
「(一つ聞きたいんだが、キノはこの件に関係あるのか)」
「(言ったはずだ、この件に関しての質問はするなと)」
「(シアーズ先生からは詳しいことは何一つ知らされてないが、昨日ジョーイが過去の話をしてくれたよ。家が爆発して、アスカという女の子が消えたとかな。そしてジョーイはその消えたアスカがキノなのではと思っていることまで色々と話してくれたよ)」
 シアーズの目の色が変わった。
「(ジョーイがそこまでお前に心を許したとは驚きだ。だがそれ以上首を突っ込むな。場合によってはお前は日本にいられなくなるぞ)」
「(最後は脅しか。なんだかシアーズ先生に興ざめしちゃうな。まあ約束だから仕方ないけどな)」
「(話はこれで終わりだ。もういい、行け)」
「(はいはい。では失礼します)」
 トニーは飄々として部屋を出て行った。
 シアーズは限界を感じるように、部屋の隅のデスクに腰掛けて気難しい顔をしていた。
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