第一章
9
「うげぇ! うそー」
マイキーは目玉が飛び出すほどに目の前の光景に驚き過ぎて、体から血の気がすーっと引いては青白くなっていた。
ジッロもドキッとしては信じられないと身構える。
そこにはおどろおどろしい数体のゾンビが睨んでいた。
皆がそれに釘付けになったとき、ちょうど掘りだされた墓場から、埋まっているはずのボディが上半身起こしていた。
「うわぁ、墓の死体も蘇った」
マイキーは怖くて腰が抜けそうになりながらジッロを背中から抱きしめていた。
「マイキー、力を入れてしがみつくな。重いし、動けないだろうが」
がんじがらめになり、銃が構えられないジッロはじたばたする。
アクアロイドは傍観するようにただ静かに見つめている。
クレートも落ち着こうとはするが、目の前のゾンビたちに驚きを隠せない。
海賊が逃げ出す理由をやっと理解するが、ふと白いものが森の間でチラチラしているのがみえた。
ゾンビたちは怖い姿を晒してはいるが、どうもそれ以上のリアクションがなく、全く寄ってもこなかった。
違和感を感じ、クレートが墓の中を確認したとき、死体は寝たままにちゃんと土の中に埋まっており、それなのに土からは上半身が起き上がっている。
二重のその姿にはっとして、クレートは木を横切る白いものに向かって銃をぶっ放した。
静かな森の中で風を切るような音が流れて、標的に当たった手ごたえがあった。
それと同時に、ゾンビたちが一瞬で消えた。
「一体どうなってんの?」
周りが元の森に戻り、マイキーの怖がって縮んでいた体の緊張がとけた。
ジッロも体の自由が利いて、マイキーを振りほどくと耳を研ぎ澄ませて銃を構えた。
辺りの空気を乱す何かの唸る声が微かに聞こえてくる。
それはどんどん近づいて、クレートたちの前に姿を現した。
歯茎までめくれ上がった口からは鋭い牙が恐ろしくむき出しにされている。
敵意をもっているために獰猛で悪魔のような表情だが、その姿はふさふさとした真っ白い毛に覆われて美しい。
「犬……」
クレートは目の前の存在に魅了された。
白くふさふさとしているその脇腹辺りは、赤い血で汚れている。
クレートが撃った銃で被った怪我だった。
だが急所は外しているように見えた。
「早く、手当てをしないと」
クレートが腰をかがめて近づこうとすると、犬は後ずさり、唸り声を高くして威嚇する。
撃ってしまったことに罪悪感で一杯だったが、なんとか犬に分かってもらいたいと懇願した目で見つめた。
「すまない。生き物だとは思わなかったんだ。大丈夫か」
すぐに手当てをしてやりたいとクレートは姿勢を低くして近づくが、犬は警戒心を持ち続けたままだった。
このままでは犬が飛び掛ってくるかもしれない。
「クレート、危ないから近づくな。その犬は我を忘れているぞ」
ジッロはもしものためにと銃口を犬に向けた。
殺気立った感情は収まる事を知らず、犬は襲うタイミングを窺っている様子だった。
「ジッロ、その銃をさげろ。私は大丈夫だ」
ジッロは様子を見ながらも、クレートの言う通りにする。
クレートは落ち着き、穏やかな目でその犬を見つめた。
手を出しながら少しずつ近づき、敵意のないことを知らせる。
「大丈夫。私は敵ではない」
ゆっくりだが、犬との距離は確実に縮まっていた。
犬も戸惑っているのか、後ずさることをやめ、唸り声も小さく消え入りそうになっていた。
そしてクレートの指先が、犬の鼻先に近づいたとき、犬は鼻をヒクヒクさせてその匂いを嗅ぎ取っていた。
次第に警戒していた緊張が徐々に取り除かれ、犬の唸りが消えると同時に、どうしていいのか分からない困惑した瞳が揺れていた。
「心配しなくていい。早く怪我の手当てを……」
犬は穏やかな感情を読み取り、クレートの手をペロッと舐めると、敵ではないことをやっと感じ取った。
クレートもほっと一息ついて、そっと犬の頭に触れた。
犬は抵抗することなく、目を細めて、甘えた声を出していた。
だが、クレートが立ち上がり、もっと近くに近づこうとしたとき、犬は同じ距離を後ずさる。
「どうした。怖がらなくていいんだぞ」
クレートは犬が好きだった。
コロニーでは飼いたくとも飼えず、映像や玩具でその姿を認識していた。
ふさふさしたその毛にもっと触れたいのと、一刻も早く傷口を手当てしてやりたい気持ちで感情が溢れてくる。
「さあ、来るんだ」
だが犬はくるっと踵を返し、森の中へとゆっくりと入っていった。
だが時々後を振り返る。
まるでついて来いといわんばかりに。
クレートは意図を察して、犬の後を静かについていった。
黙って残りの三人もついていく。
犬は弱々しく、少しよたつきながら森の奥へと案内して行く。
そして犬が立ち止まり、かしこまるように地面に座り込んだ。
一定の距離を保って皆もそこで立ち止まる。
その様子を確認すると、犬は近くに転がっていた石を鼻で動かした。
それはよくみれば何かを操作するスイッチだった。
その時、周りからいくつかの木が消え、ぽっかりとした空間が現れた。
先ほどのゾンビといい消えた木は立体映像だった。
「これは一体」
突然現れた空間の真ん中には巨大な丸太がどでーんと横たわっていた。
年輪だけでも何百年分の輪が出来てるような大木だった。
犬はクレートの側に近づき、クーンと甘える声で鳴いた。
クレートは迷わず犬の頭を優しく撫ぜてやると、犬は目を細めて満足し、そしてばったりと地面に横たわり、暫く激しく呼吸をしていたが、やがてそれも止まりピクリとも動かなくなってしまった。
「おい、しっかりしろ。かすっただけでそんな深い傷じゃないじゃないか」
クレートが助けを求めようとアクアロイドを呼び寄せた。
アクアロイドは、犬の目や口の中を見る。
「この犬は相当、年を取っています。かなりの無理をして走り回っていたのでしょう。ふさふさの毛に隠れてますが、とてもやせ細り、体力も尽きる寸前だった。寿命だったんです。ここまで案内できたのが奇跡だったのかもしれません」
「そんな」
クレートが撃ったことも、寿命を縮めてしまった原因に思えてくる。
「クレート、そんなに気にするな。この犬はクレートに何かを預けたみたいだぜ。最後に信頼できると思って満足して力尽きたんだよ」
「そうだよ。仕方なかったことだったんだって。会えただけでもよかったじゃないか。まあでも、悲しいけどね」
ジッロとマイキーが慰めようとする。
クレートは気丈に立ち上がり、目の前に出現した大きな丸太に近づいた。
その周りには沢山のクローバーやシロツメクサが生えていた。
ふと足元を見れば、四つ葉のクローバーがぱっと目に飛び込んだ。
それに導かれるように摘み取り、掌の中で握りしめた。
犬の命と引き換えに巡りあったような気持ちになり、犬の冥福を祈ると共に、どこか偶然ではない意味のあるもののように感じていた。
犬は何を私に伝えたかったのだろうか。
目の前に現れた巨大な丸太に近づき、暫く眺めていた。
だがどうも目が霞んで視界がぼやけてくる錯覚を覚える。
それは何かに似ていた。まるで陽炎が揺らめくような、不確かな映像。
クレートは鋭い眼差しを向け、丸太にふれようと手を伸ばした。
その時、目の前の丸太がおかしいことに気がついた。