第十章
10
心電図の音が聞こえるその部屋では、生命維持装置をつけられ、瀕死を彷徨っているクレートが眠っていた。
キャムはずっと離れずにクレートの手を握って、目覚めるのを強く念じている。
「クレートお願い、目を覚まして。今、あなたはどこにいるのですか」
クレートは何も言わず、身動きせずに眠っている。
シドはいたたまれなくて、見てられない。
スペースウルフ艦隊は乗組員の健康の管理のため医者を雇い、医療設備も病院並のものを揃えている。
クレートが撃たれた後、すぐに治療が施されたが、意識不明となったまま、回復の兆しが見えない。
キャムは自分のせいでこうなってしまったと、自分自身を責めてばかりいた。
ジッロとマイキーも側で見ていて苦しくて仕方がない。
このままでは本当にクレートを失ってしまうのではないかと恐れてしまう。
キャムは四葉のクローバーのペンダントをクレートの掌の中に持たせ、その上から自分の手を重ねて握っている。
「シロ、お願い。夢の中で彷徨っているクレートをここまで導いて」
キャムは食事もせず、ずっとクレートの側で祈っていた。
クレートはまたはっとする。
今度は大草原の中、風に吹かれて立っていた。
前方には山の稜線が見え、後方には湖が水面をキラキラさせて輝いていた。
空は青く、雲が流れ、虹がかかっている。
「ここはどこだ。とても気持ちがいい」
クレートは辺りを良く知りたいとゆっくり歩いて行く。
可愛い声で鳥が囀って自分の頭の上をかすめて飛んでいった。
色とりどりの花が咲いたところでは、チョウチョがひらひらと優しく舞い踊っている。
他にも、兎、狐といった小動物が時々顔をだし、クレートの様子を伺っているようだった。
クレートは生まれて初めて見る景色とこの心地よさにすっかり心奪われていた。
全てを忘れてしまいたい。
ネオアースに執着していた頃の自分、キャプテンとして責任感をおった任務、宇宙の不自由な生活。
それらは一体なんだったのだろうと、記憶が徐々に薄れていった。
先へどんどん進んでいけば、さらに美しい緑に包まれた壮大な景色が広がって行く。
木が見る見るうちに育って、赤い実をつけ、リスたちが忙しく遊びまわっている。
鳥が巣を作り、子育てしている。
花びらが風に舞って美しく渦を描いている。
「理想の世界だ」
もっともっと色々な美しい景色が見たいと、クレートは前を進む。
しかし、そのとき何かが足に絡まってそれを邪魔しようとしていた。
そこには真っ白いふわふわした毛に包まれた犬が、クレートの足の裾を噛んで引っ張っている。
「なぜ邪魔をする? 私は向こうへ行きたいんだ」
犬は「ワンワン」と吼え、そして違う方向へ向かうフリをした。
「どうした? そっちにも何かあるのかね?」
急ぐこともないと、暫く犬の相手をすることにした。
犬は嫌いじゃなかった。
むしろ小さい頃欲しくてたまらなかった動物。
少し遊んでやるのもいいと、クレートはその犬についていった。
犬が案内したところは、黒い雲が立ち込め、天気が怪しくなってきた。
今にも雨が降りそうで、クレートは怪訝な顔になる。
反対方向を見つめれば、清々しい天気と美しい景色が広がっている。
しかしこちらは正反対に、ゴツゴツした岩が増え、緑が少なくなっていた。
「あっちの方に一緒に行かないかい? 真っ白い犬君」
優しく語り掛けるも、犬は激しく吼えて、暗い方へと向かっていった。
クレートは迷いながらも、犬のことが心配になり、後ろを振り返りつつも犬の後をついて行く。
雨がポツリポツリと降り出したかと思えば、あっと言う間に本降りになってきた。
「濡れるぞ」
そしてイナズマが光り、雷までなったときは、クレートも不安になってくる。
こちらよりも、向こうの晴れやかな方がいい。
犬を放っておいて自分だけ方向転換をしようかと思ったとき、ふと足元を見れば、クローバーが沢山広がっていた。
「クローバー。なんだか懐かしい気持ちになる」
犬は少し離れたところでワンワンと吼えている。
真っ白いふさふさした毛並みだと思っていたのに、その犬は血まみれになって倒れてしまった。
その光景をみたとたん、咄嗟にその犬の名前を呼んでいた。
「シロ!」
そしてシロの側に駆けつけたとき、そこには雨に濡れてキラリと光った四葉のクローバが生えていた。
「これは」
それを見つけたとたん、降っていた雨は止み、次第に雲が流れて陽が差していく。
その四つ葉のクローバーにスポットライトを当てるように眩しく光り出した。
クレートはそれを迷わず摘んで、蜂蜜色に混じってキラキラと緑が光るオパールのような瞳を思い出す。
「キャム」
光が強く真っ白に輝き、辺りが白くなっていた。
クレートは真っ白な空間でぼんやりと目を開けていた。
体がだるく、背中に痛みを感じる。
自分の横には、誰かが覆いかぶさるように寝ていた。
手に違和感を覚えて動かしてみれば、先ほど摘んだ四葉のクローバーを持っていた。
──いや違う、これは……
そう思ったとき、横で寝ていたものが目を覚ました。
「クレート、気がついたのですね」
涙で溢れているが、一生懸命笑おうとしているその顔は、クレートをほっとさせた。
「キャム」
キャムはクレートに抱きつくと、また優しく頭をくしゃっと撫ぜられた。
「あまり強く抱きしめるな。痛い」
そして優しくキャムの頭を撫ぜながら笑っていた。
クレートは一命を取りとめたものの、絶対安静で治療に専念することになった。
その間、宇宙は激しく動き出す。
ガースや乱杭歯男は処刑を免れる代わりに条件を出され、ジュドーやネオアース側に不利になる証言をすることになった。
アイシャはキャムの進めもあり、スペースウルフ艦隊の考え方に賛成し、その歌唱力と人気を利用して、歌で宇宙の人々の心を掴み、一緒にネオアースに帰るキャンペーン展開をしていく。
スペースウルフ艦隊が中立の立場から一変して、宇宙側について宇宙に散らばった人々の心を一つに纏めて行く姿は頼もしかった。
人々はすぐにシドに扇動され、勢いづいていく。
宇宙の人々の心が一つになって、それは次第に大きくなり、ネオアース側に徐々に圧力を掛けて行く事となる。
話し合いがもたらされるのもそんなに遠いことではなくなりそうだった。
そんな時、キャムは一足早くPOアイランドに行く事を決心する。
母親からの声が頻繁に聞こえるようになり、心が繋がってくる実感を得ていたからだった。
「先に、ネオアースへ行って、母と話してきます」
まだベッドで横になるクレートにキャムはそう告げた。
「もしかしてこの宇宙から去るつもりなのか?」
「いいえ、僕はこの宇宙からは出て行かないというつもりです。話せばきっと分かってもらえると思います。ネオアース、いえ、元の地球に戻すためにエイリー
族にも協力してもらおうと思ってます。僕は先にPOアイランドに行きますが、クレートも早く怪我を治して来て下さい。そのとき僕はお伝えしたい事がありま
す」
「それは今じゃだめなのかい?」
「僕にも少しだけ準備する時間が欲しいんです」
「わかった」
「それじゃ、僕はクレートをそこで待ってますから」
キャムはそう言って、クローバーと一緒にネオアースへと向かった。
キャムが旅立つ前、ジッロとマイキーが名残惜しそうに見送ってくれた。
キャムは正直にクレートがずっと前から好きであったと、その時二人に知らせた。
二人はショックを受けつつも、クレートを看病するキャムの姿を見ていて、薄々感じていたと答えていた。
それでもキャムは二人の事も友達として大好きである事を伝える。
ジッロとマイキーはそれでも充分だと言う気持ちで、キャムの頬にそれぞれお別れのキスをしていた。
キャムは恥ずかしそうに笑っていた。
確実に宇宙が変化しつつある。
ネオアース側も、宇宙の民衆の声が無視できない状態になってきた。
ネオアースに住む一般市民も、この成り行きを見守っている。
アイシャの歌声がネオアースにも降り注ぎ、その力強い魅力ある歌に感動しては、徐々に心が開いていった。
ネオアースの一般市民側からも、話し合うべきだという事が少しずつ聞こえ始めてくる。
皆一人一人がやれる事をして、徐々にゆっくりと変えて行く。
この先の未来のことだけを思いながら──。
そして数ヵ月後のこと。
クレートの傷もすっかり治り、元の健康体に戻っていた。
この時、スペースウルフ艦隊と共にネオアースを目指している。
「とうとう、ネオアースに降りるんだな」
ジッロが興奮していた。
「ああ、とうとうだよな」
マイキーも目を潤わせている。
「だけどさ、まさかキャムから振られるとは思わなかったぜ」
「そうだよ。実はクレートが好きとかいうんだもんな。まいったぜ」
「でも仕方がない。クレートは命がけでキャムを守ったんだから」
「そうだけどさ、でもクレートは俺たちみたいに男を好きになるかな」
マイキーは横目で窓際で宇宙を眺めているクレートを見ていた。
それを聞いていたクレートは笑って答えた。
「私はストレートだ。男は好きにならない」
「だったら、キャムが可哀想だぜ」
「なんか俺たちみんな片思いってことになるね」
「何の話をしている」
「だから、キャムはクレートが好きなんだって。でもクレートは……」
ジッロがいいかけたときクレートはその後を続けた。
「私もキャムが好きだ。自分の気持ちに素直になるよ」
「だけどそれって矛盾してるじゃん」
マイキーが突っ込む。
クレートは静かに微笑んだ。
「キャムは女の子だよ」
「なんだ、女だったのか…… えーーー!」
二人は思いっきり大声を出して驚いていた。
頭を混乱させて、お互い顔を見合わせながらとてつもないショックを受けていた。
「だけどさ、それって、俺たち別に普通だったって事になるんじゃないの?」とマイキーが言えば、ジッロも、「そうだよな。キャムが女の子だったから、俺たち本能で好きになってたんだよな」
考えれば考えるほど滑稽になり、最後はやられたと大いに笑っていた。
二人はいつか撮った記念写真を手にして、一緒に見ている。
写真に写ったキャムの笑顔を見ていると、女の子にしか見えなくなってきた。
「なんで気がつかなかったんだろう。この写真で見たら、キャムは女の子じゃねぇーか」
「ほんとだ、頬がピンクになってる」
キャムの肩には何気にクレートの手が置かれていた。
それを恥じるように、また喜んではにかんでる様は女の子の表情だった。
キャムの胸に掲げられた四葉のクローバのペンダントがちゃっかりと写って、この二人はずっと前から両思いだったとジッロとマイキーは感じ取った。
「悔しいけど、お似合いだぜ」
「ほんと、ほんと」
二人は顔を見合わせて笑っていた。
クレートはコールドスリープカプセルで眠っていたキャムを見たときから気がついていた。
あの時、少年と一番最初に言ったのはクローバーだった。
わざと先入観を植え付け、性別を騙そうとしていたが、クレートはすでに違和感に気がついていた。
細かい毛がパラパラとカプセル内に落ちていて、また不ぞろいな短い髪の毛であったことから、慌てて切ったと想像した。
海賊に襲われたとき、そんな事をまずしなければならない理由。
それは万が一に備えて自分が男のフリをした方が助かる率が高くなると思ってのことだと推測した。
女だと確信したとき、もう最初からそのようにしか思えなくなっていた。
だが、ジッロとマイキーがそれに気がつけば、狭い空間で一緒に生活していたらどこかで不便さを感じるだろうと思い、クレートも騙されているフリをしていたという訳だった。
だから時々、無理をして男のフリをするキャムがおかしく、そして可愛く思えていた。
自分でもどうしようもないほど、キャムの魅力に囚われて、それを押さえ込むことが苦しいくらいクレートもキャムの事が好きでたまらなかった。
キャムはネオアースで自分を待っていてくれている。
きっとその真実を知らせようと精一杯女の子として自分を磨いていることだろう。
想像するとクレートの顔がにやけてくる。
「ネオアースに降りたって、君に会ったら、抱きしめてすぐにキスをしていいかい?」
そんなことを呟きながら、すぐそこに迫った瑠璃色の星を見ていた。
<The End>