第二章
10
親代わりとして育ててくれたカザキ博士が亡くなったのは、キャムにとってまだ極最近の出来事に過ぎない。
老いによる寿命のため、日に日に衰弱していく姿を見ていたキャムは、避けられない無常の摂理に覚悟をしていたことだった。
寝たきりになった頃から、カザキ博士も自分の死期がいつ来るのか分かっている様子も見ていて辛く、徐々に迫り来るその時が怖くて仕方がなかった。
カザキ博士の側から離れず、キャムが奇跡を願いつつ必死に看病する中、声を無理に絞り出した弱々しい博士の声がした。
「キャメロン、ネオアースのPOアイランドへ行きなさい」
キャムは手を握り、涙を一杯溜めて何か言おうにも胸が詰まって言葉が出てこない。
「そして、私がいつも通信を送っている相手に『四葉のクローバー』とメッセージを打って欲しい」
キャムは言葉なく、ただ頷く。
「宇宙は危険で一杯だ。だがお前は守られている。だから怖がるんじゃないぞ。ネオアースへはきっと何かが導いてくれるはずじゃ。自分の運と勘を信じて迷わずに目指しなさい。きっとそこで待ってる人がいる」
博士はいい終わった直後に咳き込んだ。
キャムは慌てて、抱え込むようにして上半身を起こし、そばにあった水差しを口に近づけた。
博士は少し口に含んで落ち着き、深く息を吐いた。
「すまないな」
「そんなことないです。博士には感謝してます」
「キャメロン、本当に優しく、そして美しい娘に成長してくれた」
博士はキャムの長い髪を慈しむように撫ぜた。
そして間もなく博士は安らかに息を引き取った。
キャムは暫く喪に服し、博士と過ごした日々を懐かしむ。
シロは側について、できるだけキャムを励ましていた。
「シロ、大丈夫だから。それにシロがいてくれるから寂しくないよ」
キャムは優しくシロの頭を撫ぜてやるが、クーンと鼻を鳴らす声が心配でならないと言っているようだった。
シロはキャムがヨチヨチ歩きした時から一緒に暮らしている。
キャムが17歳となった今、シロはとても年老いた犬となってしまった。
博士の次にシロが逝ってしまうのはキャムにも分かっていた。
森の中、地面に座り込んでシロを抱きしめ、喪失感に心を支配されぼーっと過ごすことが多くなった。
「シロ、私はもうここでずっとシロと暮らしていたい。どこにも行きたくない」
悲しみと落ち込みがキャムの気力を奪っていた。
このままここで永遠に寝ていいとまで思い、コールドスリープカプセルを引っ張り出してその準備までしてしまった。
シロはキャムの落ち込んだ気持ちを敏感に感じ取り、励まそうと尻尾を振りながら擦り寄る。
そして突然走って、後を振り返り何度も吼えた。
「シロ、どうしたの? そっちに何かあるの?」
シロのいる場所へ行けば、そこは足元にクローバーが広がっていた。
シロは地面に鼻をつけてくんくんとにおいを嗅いで何かを探しているようだった。
「何してるの? シロ?」
その時ふと柔らかい声が微かに耳下で聞こえたような気がした。
そう思っただけで気のせいなのかもしれないと、キャム自身それが何を意味しているかわからなかった。
「でも、なんだろう。この感覚」
キャムが誘われるようにふらふら歩いて、ふと足元を見れば、ぱっと四つ葉のクローバーが目に飛び込んできた。
「四葉のクローバー!」
そしてその時、はっとした。
博士との約束を思い出したのだった。
慌てて、通信機械の前で、博士がいつも打っていた操作キーを思い出して「四葉のクローバー」とメッセージを送信する。
「この人にはこれで何か伝わるものでもあるのだろうか。でも博士はなぜかクローバーに拘っていたような気がする」
もう一度四葉のクローバーのあるところへ戻り、再び見つけたときそれを摘もうとしたが、ふとこのままここに生えている方がいいように思えた。
「四葉のクローバーか」
どこか落ち込んでいた気分から解放されていくように、キャムはそれを見て微笑んでいた。
シロは尻尾を振って、何度も足元でじゃれ付いてはワンワンと元気に吼えていた。
しかし、やっと立ち直りかけてきたその数日後に、海賊達がやってきて、コロニーが攻撃されることになってしまったが、あの時は全く突然の攻撃に、震撼してしてしまい死を覚悟した程だった。
このまま乗り込んでこられて殺されるか、それを逃れても拉致は免れないと思い、キャムは長い自分の髪を乱雑に切り男のフリをすることを決めた。
急いでシロを抱いて隠れるところを探し、偶然自分が準備していたコールドスリープカプセルに潜り込む。
「まさか、こんなときにこれが役に立つなんて」
皮肉な気持ちが混じりながら、敵の目を誤魔化せるかもしれないとそれに賭けた。
しかし、シロはキャムを守ろうとして、扉が締まる直前にすり抜けてしまった。
咄嗟にキャムが扉を開けようとするが、シロはカプセルのサイドにあった自動スタートボタンをすでに前足で押していた。
カザキ博士の助手として物を取ったり、ボタンを押したりと、介護犬のように訓練されていたシロには簡単なことだった。
睡眠を促進するガスがカプセル内から出てくると、すぐさまキャムの視界がぼやけてくる。
悲しみの中、意識が朦朧としながらも、涙を浮かべてシロの名前を呟いた。
そしてその思いの中でキャムは眠りについたという訳だった。
目が覚めたときは、暗い静かな闇の中で暫く感覚が戻らず体が強張って動けなかった。
頭も痛く、ただ不快で不安な気持ちに包まれていた。
脳が覚醒し、自分が生きてると気がつくと、手足が動かせるようになっていた。
カプセルの中だと思い出し、警戒しながら扉を開けゆっくり起き上がって辺りを見回した。
コロニーの中ではないと思ったとき、海賊に捕まってこのまま売り飛ばされてしまうと思い込んだ。
逃げなければと本能が危険を察知する。
カプセルからそっと出て、薄暗い中、音を立てないようにと充分に注意して行動する。
しかし、辺りが静まりかえっていることが、とても不思議でならなかった。
もしかして今起きてるのは自分だけなのだろうか。
用心して部屋の外に出れば、人が居る気配がしない。
無防備に寝静まっているとしか思えなかった。
ここからどうやって逃げればいいのか。
それを考えるも、まずはシロのことが気になって仕方がない。
もしかしたら一緒にこの船に乗せられているのかもしれない。
一縷の望みにキャムは希望を持って、そして艦内を探し回った。
あるドアの前に来たとき、ガーガーと雑音が耳に入って来た。
鼻から吹き出る荒々しい鼾だった。
誰かが寝ている。
そこで恐怖心が強くなり、キャムは逃げ口を求めてその場を離れるも、見知らぬ船の中では迷路そのものに感じる。
それでも貨物室に辿り着く事ができ、そこで小型宇宙船をみつけた。
だが、まだそれに乗って逃げることはできなかった。
「このままシロの事を放っておいて自分だけ逃げたら後悔する」
キャムはただそれだけのために一人で脱出することができなかった。
シロの情報が手に入れられるまで、危険を顧みずも貨物室に身を隠していた訳だった。
結果上、それが正しい判断であったのだが、これもカザキ博士が言っていた、守られているというご利益なのだろうかとキャムは考える。
そしてクレートがくれた四葉のクローバー。
シロに案内され、偶然に見つけたといっていたが、それもまたどこかで何かが繋がるような思いだった。
アクアロイドの識別番号にもクローバーという文字を見つけ、キャムは四葉のクローバーが自分を守ってくれるラッキーなお守りだと益々確信していく。
チーム名にそれを押したのも、幸運の兆しを感じた閃きが心に強く植えつけられていたからだった。
きっと何かが導いてくれる。
そうじゃなければ、クレートに助けられることはなかった。
自分の運を信じてみよう。
クレートから貰った四葉のクローバーを胸元に掲げ、キャムはチームメイトの一員として頑張っていこうと決意する。
だが、自分が女であるという部分だけは隠すことにした。