第一章
8
渡した手土産は柏餅とチマキだ。母が近所の和菓子屋で買ってきてくれた。
明穂は喜んでそれを受け取ると、すぐにミチコに見せた。
こどもの日を説明し、その時に食べる伝統的なお菓子というと、ミチコも日本らしいものを見た嬉しさから私に突進してきて抱きしめた。
「おー、ありがとうございます。こどもの日、いいですね」
力強くハグされて私は戸惑いながら訊いた。
「和菓子好きですか?」
顔を上げたミチコは「はい」と返事する。
「ミチコね、食べ物は文化だっていって、嫌いなものでも日本食なら何でも食べようとするの」
明穂が微笑んだ。
「だって、パパさんが教えてくれた。日本に来てるんだから、もったいない。チャレンジ、チャレンジ」
「最初は慣れるまで元気なかったもんね。それで父が色んなレストランつれていってるうちに、日本料理の奥深さに気づいたんだよね」
「だよね」
息がぴったりに受け答えしている。
日本贔屓のミチコは私が理想とする外国のお友達だ。
今更ながらホームステイを断った事を残念に思った。
「最初ちょっとホームシックだったけど、でもすぐに楽しくなった。明穂の家に来てよかった。明穂も明穂の友達サイコーだし、ラッキー」
少なくとも私もミチコに気に入られている。
きっと私の家に来ていても同じ事を言ったかもしれない。
ミチコが話すと、そこにいたものがみんな和やかになり楽しくなる。
ミチコのお陰で私は心の中のわだかまりをごまかせそうだ。
小渕司に極力視線を合わせないようにしながら、私はこの日をやり過ごそうとした。
でも誰も見ていないところでこっそりと彼の様子を窺っている。
いやだ、いやだ。自分だけが後ろめたい。自己嫌悪に落ちまくりだった。
「それじゃ、クッキー作り始めようか。材料も用意しておいたよ」
明穂には予めレシピを渡しておいた。
みんなで作るから費用を割り勘にしようといったけど、小麦粉とバターと砂糖くらいなので家にあるからと明穂は断った。
明穂は細かいことは気にしない。やはり金持ちは違うと思わされる。
どうしようもない境遇だけど、羨ましいのが悔しい。
何も思わないように、明穂を先頭にぞろぞろと移動するみんなの後をついていく。
その時、小渕司が足を引きずって歩いているように思えた。
明穂に連れられてキッチンに行くと、テレビにでてくるような統一感のあるデザインに驚いた。
広々としていてまるで異国のキッチンだ。オーブンは七面鳥の丸焼きが作れる程でかかった。
「素敵なキッチン」
アズミが言った。真鈴も理央も口々に同じような事を言う。
「アキホのパパさん、プレジデント。色んなものこだわってる。本当に素敵な家。私のオーストラリアの家よりもいい」
ミチコが言った。
プレジデントは社長だ。ミチコはこの家が金持ちだと意味しているに違いない。
そうするとその社長の娘の明穂はお嬢様になるではないか。
「パパさん、英語ペラペラ。アキホもペラペラ」
ミチコは自分のことのように自慢した態度で言った。
それに私はドキッと反応した。
「ちょっと言い過ぎだって。ミチコは日本語だとなんでも話すから。それに私、英語ペラペラでもない」
明穂は否定する。
「でも、昔、アメリカに住んでいたでしょ」
ミチコの言葉に誰もがびっくりし、明穂に視線が集まる。
「小学生の頃何年かはアメリカで過ごしたけど、英語ペラペラだなんていうほどじゃないのよ。今はすっかり忘れてるし。もう、ミチコやめてよ」
明穂は困ったようにミチコを責めるが、ミチコは全然懲りてない。
「明穂って帰国子女だったの?」
アズミが訊く。
帰国子女。自分が知っていた明穂のイメージがどんどんと覆される。
「そんなもんじゃなくて、父の仕事で仕方なく数年アメリカに住んだだけで、私はまだ幼かったから英語はすっかり忘れちゃったの。お姉ちゃんがいるんだけど、お姉ちゃんは帰国子女だとはっきり言えるくらい、英語ペラペラなんだ。今は大学で家を出ちゃってるけど」
みんなの明穂を見る目が違っていく。
「明穂すごい」
どっちかって言うとアズミの腰巾着だった真鈴と理央は、賞賛しながらすっと明穂の側に寄っていく。
これだけのものを見せられたら、アズミより明穂と仲良くしたいと思うのだろう。
気の強いアズミですら、一目を置くように明穂を見る目が違っていた。
小渕司も自分がひとり男であるから落ち着かないものを感じていそうだったが、みんなと溶け込もうとして、始終笑顔を絶やさない。
私だけがそこに馴染まない水と油的なものを感じる。
明穂は私なんかよりもずっとすごい人だった。
それを知れば知るほど私は嫉妬に刈られていく。
これが明穂の復讐なのだろうか。
見下している私とわざと仲良くし、私が目指していた高校の留学生とその高校に受かった小渕司を家に招待して、自分がどういう立場の人間か私に思い知らしめる。
クッキーを作ろうといったのは、私をここにおびき寄せるためだったんだ。
ここぞとばかりに全てをさらけ出して私を貶める。
私が行きたかった高校にいけなかったことを本当は心の中であざ笑っていたに違いない。
私はさらなる深い穴に落ち込んでいくようだ。
負けた。自分が馬鹿にしていた明穂にすら、私は彼女の足元にも及ばなかった。
ただ虚しく悔しい。
自分の力不足のせいだと言葉では分かっていても、妬みは止まらない。
その気持ちを必死に抑えるも、苦しくてこの場から消えたかった。
クッキー作りはそのあとどのように進んでいったのだろう。
みんなの笑い声が水のように耳の側を流れて行った。
目で見るものも記憶に残らないままただ映っていた。気がついたらクッキーは出来上がっていた。
甘ったるい匂いが部屋いっぱいに充満し、私は吐きそうになっていた。
その側で出来上がったクッキーをつまんでみんながおいしいと感想を述べ合っている。
「これ、やっぱり、いつも自分が作るよりすごく美味しくできた。ナルのお母さんのレシピはやっぱりすごい」
母が細かく説明したレシピの紙を明穂は手にして褒めていたが、私は上の空だった。
「みんなで作るととてもおいしい」
ミチコがいうと、すでに仲良くなっていたみんなは次々に「楽しかった」「また作りたいね」と言い出した。
今日会ったばかりとはいえないくらい和気藹々と楽しんでいる。
「最初は場違いかなって思ったけど、僕まで仲間に入れてくれてありがとう。すごく勉強になった」
小渕司も丁寧に礼を言う。
爽やかな笑顔がちょっと憎い。
「ミチコがどうしてもツカサ君を誘いたいって言ってきたからさ、言われたときはこっちも驚いた。だってツカサ君、中学ではサッカー部でもヒーローだったでしょ。来てくれて私も嬉しかった」
明穂は馬鹿正直に答えている。
「あっ、明穂の中学さ、昨年サッカー地区大会で優勝したよね。ツカサ君ってその時にもしかして選手だった人?」
アズミがうろ覚えに言い出した。
「うん、ツカサ君が大活躍したから優勝したんだよ」
明穂に言われて小渕司は謙遜してひらひらと手を振っていた。
はっきり言えばいいのに、自分が導いたって。
その活躍があるから高校もサッカー推薦で受かってるというのに。私はイライラしていた。
「高校でももちろんサッカーやってるんでしょ?」
ついに私は小渕司に言葉を投げかけてしまった。
そこにはサッカーのお陰で高校に受かったくせにという見下した気持ちがあった。もちろん、そんな事は悟られないようにした。
「えっ、あ、ああ、一応サッカー部に入ったんだけど、今足をちょっと怪我しちゃって、休んでる」
最後は笑ってごまかす小渕司。
サッカー推薦で入っておいて、足を怪我したから休んでいるだと?
何をふざけた事をいってるんだと、かぁっとしてしまったが、みんなは不慮の怪我を心配した表情になっていた。
「早く治るといいね」
「絶対、早く治るから」
優しい言葉をそれぞれかけている。
小渕司は照れながら礼を言っていたが、私を見たとき笑顔が消えて戸惑った顔になっていた。
私ははっとする。
自分が報われなかったせいで、小渕司の境遇を素直に心配などできず、無意識に睨みつけていたに違いない。
それでも私は取り繕うこともなく曇った表情のまま視線をプイと逸らした。