第二章
4
憧れの高校での私の高校生活。
うきうきと待ちながら春休みを過ごしている間に、私の家にオーストラリアから留学生がやってきた。
事前に配られていた注意事項など説明がかかれた手引書と一緒に留学生の情報も知らされていたが、そこにはミッシェルという名前が載っていたことでものすごくドキドキとしていた。
同じ名前の人もたくさんいるので、実際会うまで半信半疑だったけど、やってきたのは私の知ってるミッシェルだった。
私が断ったせいでミッシェルは明穂の家に行ったことになった、あのなかったことの世界。
それが書き換えられたのだ。
家族で空港までミッシェルを迎えに行き、飛行機が到着するのを待っていた。
すでに顔を知っていた私は、税関から出てきたミッシェルをすぐに見つけ走りよって行く。
「ミッシェルでしょ。ハロー」
あまりにも嬉しくてつい抱きしめてしまった。
ミッシェルは最初びっくりしていたけど、すぐに把握すると笑顔でそれに答えてくれた。
「えっと、コグレファミリー?」
「そうよ。ナイス トウ ミー チュー」
私は嬉しくて知っている限りの英語を話す。
挨拶くらいはできるし、その後はカタコトに英単語を混ぜたりして気分高々に話してしまう。
ミッシェルは私の高揚した態度に少し驚いていたが、楽しそうに合わせてくれた。
父も母も英語に全くなれてなかったので、ヘラヘラと側で笑うだけだったが、私がいたから全ては私に任せてくれた。
そうやってミッシェルを家に連れて行く。
そんなに大きくはないけども、一般家庭としては普通の一軒屋だ。
日本の家としては悪くはないはずだ。
「ミッシェル、シューズオフね」
なんて言いながら、靴を脱ぐ事を伝える。
「それ、知ってます。日本は家の中で靴履かない」
それを聞いて父も母も感心していた。
父はぎこちなく、母もそわそわとしている。
初めて会った日、大歓迎の意味をこめて夕食はすき焼きにした。我が家ではご馳走の類だ。
「お肉はオージービーフなの」
母はちょっと恥ずかしげに言う。
ミッシェルはテーブルの上でぐつぐつ煮込まれていたすき焼きをじっと見つめていた。
母が割った生卵が器に入れられ、それを差し出されて少し驚いている。
「卵をといて、それにつけて食べるんだよ」
私が説明して最初に食べると、ミッシェルは露骨にいやな顔をした。
箸を持っていた私の手が止まった。
「ナマタマゴ嫌いです……」
ミッシェルは申し訳なさそうにしていた。
父も母も私を見つめ助けを求めている。
日本食を何でも試そうとすると知っていたので、この対応は私もショックだった。
「そのうち慣れるんじゃないかな。日本の卵は安全だよ」
私は安全を強調して生卵の入った器をミッシェルの前にさらに突き出した。
ミッシェルはそれを見つめて辛そうにしていた。
「いいじゃない。無理やり勧めることないわよ。ごめんね、ミッシェル」
母は別の小皿を出した。
ミッシェルは無理に笑いかしこまって食卓に座っている。
気を取り直してお箸を持った。使い方がぎこちない。
「ミッシェル、お箸はこうやって持つんだよ」
彼女の手を取り私が教える。うまくやっぱり持てそうになかった。
それでもかろうじてつまめる感じだった。
彼女なりに一生懸命にしている。
それだと時間がかかりそうなので、母がフォークをそっと差し出した。
ミッシェルは迷っていたが、フォークを使うことにした。
すき焼きも彼女の口に合わなかったのかあまり食が進んでなかった。
飛行機の長旅に疲れているミッシェルはすぐ部屋に篭った。
ミッシェルのためにと私の使っていたベッドを譲った。
もう一つベッドを買う余裕など家にはなかった。
ミッシェルが来てから私は床に敷いた布団で夜を過ごすことになった。
ミッシェルの勉強机はリサイクルで安く買ったもの。
それが唯一用意した家具だ。
殺風景な部屋だけど、勉強しにきているのだから大丈夫に違いない。
そこは彼女も分かっていると思っていた。
人の家で暮らすのだから、多少は目を瞑ってくれるだろう。
それに日本が大好きで明るいミッシェルならきっとすぐに楽しく日々を過ごしてくれる。
明穂の家で暮らしていた彼女を見ただけに私はそう思いこんでいた。
ミッシェルがいないところで母が私に訊いた。
「彼女はどんな食べ物が好きなのかしら」
生卵を嫌がっていたから心配になったようだ。
「基本的には日本食が好きだと思う。何でもチャレンジしたいんじゃないかな」
私がそういうと、母は少し安心していた。
だけどなぜかミッシェルは食事の時あまり食べようとはしなかった。
父が朝から納豆を食べているのを見て驚いたり、朝ごはんに焼き魚や味噌汁を出すと要らないという。
「すみません、シリアルはありますか?」
ミッシェルのリクエストに母は急遽近くのコンビニに買いに走った。
春休みはミッシェルと過ごし、できるだけ日本の生活に慣れるように色々説明しながら私もずっと一緒に付き添ったけど、彼女はどんどん元気がなくなっていくようだった。
そういえば最初はホームシックにかかったと、書き換え以前の話では言っていた事を思い出した。
そのうち慣れてくれれば明るさを取り戻すと思いあまり気にしなかった。
「ねえ、ミッシェル。日本語の名前をつけようか」
私は元気をつけようと言ってみた。
ミチコという名前を気に入っていたから、日本人と同じ名前をつけたら喜ぶに違いない。
でもミッシェルは私の期待とは裏腹に首を横にふる。
「ミッシェルでいい」
「えっ、ミチコって名前だよ」
「ミチコ? そんなの嫌」
拒絶するとは思わず、私はあまりにも驚いてしまう。
あの時と同じにならない。
「ナルミ、少し離れて欲しい。プライベートがほしい」
ミッシェルに言われ、私ははっとしてしまった。
この春休みずっと側にいた。
それは家族になったのだからそうすべきだと思っていたし、私も一緒にいられる事が嬉しかった。
明穂の時は大好きとか抱きついていたのに、私にはつれない態度。どうして? なぜ上手くいかないの?
おかしい。なぜあの時と同じにならないのだろう。
そこで、私なりに色々と考えてみた。
明らかに影響を与える違いがある。
明穂の家が金持ちだという事を思い出し、明穂の父親も社長だった。
仕事上海外経験もあって、英語が話せて外国人との接し方にもなれているに違いない。
そこに財力があったから、食の細いミッシェルのためにレストランに連れ出して食べる事の楽しみを植えつけたのではないだろうか。
お金があるお陰で贅沢させてあげられた。
きっとその時にしか発生しない日常があり、ミッシェルは段々と心を開いて全てを受け入れるようになったのじゃないだろうか。
そんなときに明穂の父からミチコという名前をつけられ、日本人になろうと努力する。
だから嫌いな食べ物も文化を知るために必要だと思ってチャレンジする。
そうやって生活していくうちに、日本が大好きになって明るく楽しく過ごせるようになった……。
実際のところはわからない。
それに一度目はなかったことになって、それは発生しないイベントだ。
今が現実だから、ミッシェルはそんな生活が起こったかもしれないなんて考えようがない。
でも、なんだか私は切なくなっていく。
自分は思うように高校に入学できたけど、私が変えてミッシェルは別の道を進まなければならなくなってしまった。
ミッシェルは私よりも明穂と暮らした方がよかった。
そんな事を考えると、私はミッシェルが好きではなくなりそうで、頭を強く振って否定していた。
暫くしてからミッシェルが私よりも一年上だと知った。
同じ学年じゃなくて少しほっとしてしまった。
表面上はミッシェルと仲良くしているが、どこかよそよそしく、私たちの間には溝があるようだ。
家では少しギクシャクするけど、まだ生活は始まったばかりだ。
きっとミッシェルも打ち解ける日がくる。
私も高校生活が始まったら自分の友達ができてきっと楽しくなるに違いない。
私は希望に満ちて高校生活に期待した。
そんな時、高校から電話が掛かってきた。