第二章 


 あの茶色い犬の出現は何を意味しているのか。
 タキシードの男からチャンスを貰って私は人生をやり直している。
 二度目は希望通りに望む高校に受かり、順風満帆に進んでいる……果たしてそうなのだろうか。
 ミッシェルとは少しギクシャクしているし、高校に入れても担任がかもし出す神経質さが不安になる。
 新入生代表に選ばれても、入試は実力ではない後ろめたいものもあって、手放しに大喜びとはいかない。
「あーだめだ、だめだ」
 頭を抑え、悪く考えないように奮い起こす。
 だけど、家に帰った時、寂しげな表情をしているミッシェルを見るとちょっと落ち込んだ。
 ミッシェルに離れてほしいといわれてから、私は「どうしたの?」と声をかけることすらできなかった。

 新学期が始まり、ミッシェルも学校に慣れるまで苦労している様子だ。
 日本語はある程度話せるとはいえ、授業についていくのは大変なことだろう。
 母もミッシェルのお弁当作りに苦労していた。
 ミッシェルに合わせるとサンドイッチやパンばかりになってしまう。
 日本食が好きだったあのミチコは幻に終わってしまった。
 どうしたらミッシェルがあの時のミチコになるのか私には考えている暇がなかった。
 それよりも私にはやらなければならない事があった。
 小渕司を怪我から救うべくサッカー部のマネージャーに志願する。
 サッカー部は花形スターが集まるだけ人気のクラブで、十人の女子希望者がすでに殺到していた。
 とりあえず、多くても断られることなく入る事ができほっとする。
 すでに小渕司も入部していた。
 すでに面識がある私が小渕司と話をすれば、一緒に入った女生徒たちから冷たい視線を浴びたような気がした。
 そんな事を気にしていられず、誰が小渕司を怪我させるのか気を張り詰めて見ていた。
 学校生活は忙しく、たくさん出される宿題と自分でしなければならない予習復習。
 そこに授業が早く進んで黒板を写すだけで疲弊してしまう。
 入学して早々、これでは先が思いやられた。
 救いなのはエリが仲良くしてくれること。
 私も精一杯それに答えたくて彼女を大切にしていた。
 それなのに、急に横から西浜千春が割り込んできた。
 どうやら千春もエリが大好きで、私から奪いたい様子。
 かなりエリに執着していて私と張り合い、私がエリといると必ず間に入ってくる。
 グループとして仲良くなれば私も別にそれでいい。
 だが千春はエリと一番仲がいい友達になりたいオーラが露骨に出すぎている。
 エリは優しく慈愛に溢れているのでみんなと仲良くしているが、私は少しもやもやする。
 私もエリの一番になりたかった。
 千春は秀才肌で、授業で先生に当てられても物怖じすることなくはっきりと答えを言う。
 私は当てられるのが怖くてハラハラしている身だ。
 それが自分が得意とする英語の授業であってもだった。
 周りは私以上に英語ができ、中には帰国子女がいてそれは完璧な英語で発音する。
 私も英語はできると思っていたが、このクラスの中では足元にも及ばない。
 自分の中の自尊心が傷つけられていく。
 英語の時間、私が当てられ教科書を読むが、帰国子女の英語を聞いた後ではあんな風にきれいに発音できないのが悔しい。

 そして休み時間、エリを中心にみんなで集まっている時、千春が言った。
「そういえば、ナルって中学の時、英語のスピーチ大会の予選に出たよね」
「う、うん。そうだけど?」
「あんなレベルでよく予選に出ようと思ったね」
 周りのみんなもヤバイと思ったのだろう。
 その場の空気が冷え込んだのを感じていた。
 実際あの時、散々ではあったけど、私は言いたい事を言えたと自己満足していた。
 特に審査でどうこう言われたわけではないし、ドタキャンの穴埋めだったから自分でも仕方がないと開き直っていた。
 それを今頃になって千春から指摘されるとは思わなかった。
「あれ、ちょっと学校の事情があって、無理やり出場させられたの。ほんと恥ずかしいレベルだよね」
 とりあえず自虐しながら、なんでもないことのように振舞った。
「ナルって、新入生代表に選ばれたってことは、入試で最高得点取ったってことだよね。しかも、ほぼ満点なんでしょ」
 私の触れられたくない事を千春はズケズケと言う。
「だけどさ、授業当てられても答えられないし、なんか最高得点取った感じじゃないね」
「千春、ちょっとやめなよ」
 他の誰かが小声で注意する。
「でも、みんなおかしいって思わないの?」
 まだ新学期が始まって間もないのに、ここまで見破られるとは千春の観察力に驚く。
 それに思った事をズバズバと悪気なく言ってくる。
 何かに拘ると執拗に追い求め人の気持ちがわからない感じはもしや、天然なのだろうか。
 人を貶めるつもりで言ってるわけではないが、私も千春が普通と違いすぎて違和感だらけだった。
 頭がいいということも人と違う脳を与えられているから、その反面どこかで何かが欠けているのではないだろうか。
 詳しいことはわからないが、なんとなくそんな感じがしてくる。
 決め付けるのはあまりよくないだろうが、ここまで私にはっきりといってくるその神経は普通じゃない。
 千春を見ていると私は怖くなって、腹が立つどころか逃げたくなってくる。
「そうだよね。ちょっとまぐれだったかも。たまたま勉強した事が入試に出たんだ。ラッキー」
 特別なノートを手にしたわけだからラッキーには違いなかった。
 でも苦笑いになってヘラヘラとごまかして笑っていた。
「運で済むなんて、一生懸命頑張ったものを馬鹿にしてるみたい」
 千春が憤慨する。
 馬鹿になんてしていない。
 だけど私が受かったことで誰かがひとりこの世界軸で落ちているはずだ。
 それは奪ったことになって気の毒ではある。
 しかし、千春にここまでディスられるのも気分が悪い。
 みんなもどう言っていいのか分からず、顔色を窺いながら気まずい思いをしていた。
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