第二章 


 次の日、小渕司が足を引きずって学校にやってくると目立っていた。
 部活が終わってから不注意で怪我をしたと小渕司は言っただけが、私の耳に入った時は違った話になっていた。
「ねぇ、ナル。サッカー部で何があったの?」
 その日の昼休み、私がサッカー部のマネージャーだから、みんなから色々と聞かれた。
「ちょっと部室のテーブルが倒れてさ」
 最初から最後まで見ていたわけではないので事故のことは上手く説明できなかった。
「やっぱり、誰かが故意にやったんでしょ。小渕君を妬んでる誰か」
「えっ?」
 面白そうに陰謀があると決め付けている。
 その方がみんなにとって興味深いのだろう。
 無責任な事を言う人たちに憤りを感じていると、その噂が流れた根拠がわかって驚いてしまった。
 小渕司がいつになく暗いのだ。
 一段と落ち込み元気が全くない。
 それを見た周りのものは、足を怪我してショックを受けているからに始まり、そこからわざと怪我をさせられたからショックを受けているに変わり、先輩の虐めに繋がって陰謀論が出来上がってしまった。
 本人があまりにも暗く口を閉ざしているので誰も真相を訊けないでいる。
 噂だけが一人歩きしていた。
 足の怪我が酷くてサッカーができなくなった事がショックで落ち込んでいるのだろうか。
「小渕君」
 放課後、昇降口で靴を履き替えようとしている小渕君を引き止めた。
「足、大丈夫?」
「ああ、大したことない。でも暫く部活休むよ」
 無理に笑顔を作っている小渕司はどこか苦しそうだ。
 私は思い出す。
『サッカーしなくていいからちょっと気が楽になったかも』
 あの世界では怪我をした事を喜んでいるような言い方だった。
 でも私はその言い方にカチッとして言い返した。
『そんな、あの高校に入ったのはサッカーするためなんでしょ。なんでそんな事いうの。一生懸命頑張っても入れなかった私が余計に惨めになるじゃない』
 その後、小渕司も怒ってしまった。
『君に何がわかるっていうんだよ。これは僕の人生で君の人生じゃないんだ。人それぞれ事情というものがある。勝手に自分の中だけで決め付けるな』
 そして喧嘩別れしてそれで時間が撒き戻り、全てがなかったことになった。
 小渕司は何か問題を抱えている。
 あの時の罪滅ぼしをするには、この問題を解決するしかないように思う。
「小渕君、一緒に帰ろう」
「部活休むの?」
 返事する前に私は靴を履き替えていた。
 足を引きずっている小渕司の隣を同じ歩調で私も歩く。
 授業を終えた放課後は開放されたように校舎までもリラックスしているように思える。
 私たちと同じように下校している者、友達と立ち話している者、同じ制服で辺りは溢れていた。
「小渕君、この学校好き?」
「どうしたんだい急に?」
「小渕君はサッカーが好きだから、この学校を選んだのかなって。ほら、サッカー部結構強いしさ」
「この学校も悪くはないけど、本当は僕、南甲高校に行きたかった」
 南甲高校はここよりもレベルが上だ。
 小渕君はしっかりと勉強できる人だった。
「でも、ちょっとギリギリだって言われて、それで一つ落とした。中学の担任も飛翔なら大丈夫だって太鼓判押してくれた。そして飛翔では必ずサッカー部に入 るか、なんて聞いてくるんだ。そこでサッカー推薦がある事を知ったよ。面談の時は隣に母もいたから、つい『はい』って返事しちゃったんだ。後で後悔だった よ」
「どうして? サッカー好きでしょ。すごく頑張ってるじゃない」
「だから、サッカーで優遇されて入って来たって思われるのが嫌だった。一応一般入試だったんだからね。それでも僕は本当に頑張っているよね」
 その後、自分をあざ笑うかのように虚しく笑い出した。
 サッカー推薦枠だなんて私は憤って不公平と思っていた自分が恥ずかしい。
 私が戸惑っている隣で、小渕司は虚空を見て心ここに在らずだった。
「足を怪我して初めて僕は自由になれたような気がしたんだ」
 ポツリと吐き出し、思いつめた顔をしたかと思うと、憎しみをこめて痛んだ足を突然地面に叩きだした。
「ちょっと、小渕君、何してるの」
 私は咄嗟に小渕君の腕を掴んでいた。
「このまま、治らなければいいな、なんて」
「小渕君、一体どうしたの。落ち着いて」
 小渕司の心は病んでいた。
 このままひとりにして返すのが怖くなり、私は小渕君の家までついていった。
「木暮さんの家って、あっちでしょ」
「ちょっとこっちに用事があったんだ。小渕君の家ってどの辺り?」
 こっち側は駅前に近くて賑やかだ。スーパーもあって町の人も集まってくる。
 車も自転車の通りも多くなり、私は小渕君が急に飛び出さないかハラハラしていた。
 住宅が立ち並ぶ通りで小渕君はぴたりと止まる。
「ここ、僕の家」
 二階建ての一軒屋。
 門の向こうの玄関先にはデザインがかっこいいスポーティタイプの子供用自転車が置いてあった。
 歳の離れた弟がいる感じだ。
「それじゃ、私、買い物があるから。足、無理しちゃだめだよ。お大事に」
 小渕君は元気なく家の門を開けて入っていく。
 それを見届けて、私はあてもなくスーパーがある方向へ歩いていった。
 スーパーまで来ると、お菓子でも買うつもりで入っていく。
 そこで後ろから「ナル」と声をかけられた。
 振り返れば制服姿の明穂がカゴを持って買い物をしていた。
 明穂の制服が懐かしく見えた。
「久しぶり。ナルも買い物?」
 明穂は突然の出会いに喜んでいる。
「うん、ちょっと近くまで来たから。ついでにお菓子でも買って帰ろうかなって」
「ナル、その制服すごく似合ってる。国際ってつくだけデザインも生地もかっこいいね。うちの制服なんて、安井高校って名前からして安っぽく見えてきちゃう」
 かつては私もそれを着たことがあった。
 なかったことになってるけど、でもそんなに悪くないと思う。
 ただ紺色のブレザーが地味なだけだ。えんじ色のリボンはその分映えてかわいいと思う。
「明穂は何を買いに来たの?」
「お菓子の材料」
「もうすぐ休みだし、友達と一緒に作るの?」
 あの時はそうだった。
「ううん、ひとりで作るつもり。よかったからナル遊びに来る?」
「えっ、あっ、ありがとう」
「是非来て、お菓子、一緒に作ろうよ」
 やはり、私がいないことで明穂の学校では違うイベントが発生している様子だ。
 色々とあの時のクラスの様子が気になってしまう。
「あのさ、クラスに高遠と菅井っている?」
「うん、いるけど、なんで知っているの? ナル、知り合いなの?」
「そういうわけじゃないんだけど、ちょっとね。あのふたり結構いいコンビでしょ?」
 あの馬鹿らしい掛け合いをしていたふたりが目に浮かんでくる。
「ううん、高遠君なんか菅井君虐めてる感じで、ちょっとかわいそうかな」
「高遠が菅井を虐めてる? なんで?」
「菅井君、受験に失敗して二次募集で入ってきたみたいなんだけど、気持ちの切り替えがすぐにできなくて、ちょっと高飛車な感じだったの。そしたら高遠君がその態度気に入らなくてさ、それで菅井君、はぶられてる感じかな」
「信じられない」
 菅井は私に『高遠を敵に回すな』と忠告してきたのに、なんでこんな展開に。
 その時私ははっとした。
『お前が反面教師になってくれたお陰でこっちは吹っ切れたよ』
 私が安井高校に行かなくなったことで、菅井は吹っ切れる反面教師を失ってしまったんだ。
 私の存在で未来が変わる人たちがいる。
「ナル、どうしたの。大丈夫。なんか顔が青いよ」
「ううん、大丈夫。ねぇ、明穂は学校で誰と仲がいいの?」
「えっと、アズミ、真鈴、理央っていう人たちと四人グループだけど、なんかアズミって気が強いから家来にされちゃってる感じ」
「なんとなくどんな感じなのか想像できた……ような気がする。へへへ」
 その部分は変わってなさそうだ。
 口をとんがらせて文句を言っているアズミの顔が浮かんだ。
「ねぇ、ナル、折角会えたんだしさ、今週末、是非うちに遊びにおいでよ。もっとゆっくりナルとしゃべりたいな」
「だったらさ、うち留学生がいるんだけど、一緒につれていってもいい?」
 なんとしてでもミッシェルをホームシックから立ち直らせたい思いで明穂の力を借りてみたかった。
「すごい。もちろん大歓迎だよ」
「明穂もさ、学校の友達誘って私に紹介してよ。その気が強いアズミをみてみたいな」
「誘ってもいいけど、本人には気が強いって言ったこと内緒にしてよ」
 明穂は苦笑いしていた。
 明穂にとってもアズミは苦手だったんだ。
 でも和を乱さずに表面上は仲良くしたいのだろう。
 明穂は相手の事を先に考える優しい子だ。
「もちろん、わかってるって。あっ、それから小渕司も誘っていいかな」
「えっ、小渕司? あのサッカー部のエースだった?」
「うん」
 もしかしたらなんとか上手くいくかもしれない。
 一回目に起こった事をもう一度発生させたらミッシェルは元気になり、私も小渕司との言い争いからの罪悪感を完全に吹っ切れるかもしれない。
 私はそんな期待をこめて明穂に頼み込む。
 明穂はもちろん断ることなどなかった。
 急に楽しくなってきたと、あの能天気……いや、フレンドリーな持ち前でわくわくしていた。
 明穂の事を理解している今、明穂がかわいく見えた。
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