第三章 知らなかった道

 1
「再び、お疲れ様でした」
 ぼんやりとしている私の目の前に、例のタキシード男がいる。
「えっ? 一体何が起こってるの? あっ、小渕君は!」
 うろたえている私に優しく声が掛けられた。
「落ち着いて下さい。ここは大丈夫です。何も心配することはないです」
 にかっと笑って見せた白い歯が薄暗い部屋で浮き上がった。
「もしかして、また時間が撒き戻ったの?」
 タキシードの男はゆっくりと首を横に振る。
「だったら撒き戻して。私、小渕君を助けにいかなきゃ」
 私が慌てているというのに、タキシードの男は喜びとも取れる満足した笑みを私に向けた。
「やはりあなたを選んでよかった」
「ちょっとどういう意味よ。とにかくどうなってるのか説明してよ」
「ここは、あなたを軸にして未来を映し出す迷いの館。ここであなたはふたつの未来を体験しました」
「ふたつの未来を体験……」
「そうです。でも厳密にはどちらもまだあなたの現在では起こってません」
「だから時間を撒き戻したってことでしょ」
 タキシードの男は首を横に振る。
「今ここにいることも、本当の時間軸にいるあなたから見ればまた未来なのです」
「未来?」
「あなたは、ある人のためにこの未来を見ています。本当のあなたはその時点ではまだ小学生です」
「えっ? 小学生?」
「そうです。この迷いの館は小学生のあなたが成長して高校生になった未来を映し出してます。その人があなたを通じた世界を見たがったからです」
「ちょっと待って、ややこしくて全然わからない。私は本当は小学生だけど、早送りで大きくさせられて未来を体験しているってことなの? しかもこの私の未来を誰かが見たがったから?」
「はい、そうです。だから小学生のあなたに戻れば、あなたはこの世界の事を忘れてしまう。なぜなら、小学生のあなたから見れば、まだ確定していないけど も、起こりうるかもしれない仮定の世界だからです。あなたの正しい現在に身を置けば、そこからは自分で思う未来を築いていくことになります。でもその前 に、あなたに助けてほしいのです。それがこの未来を見ている人の願い」
「一体誰がこの未来を見ているの?」
「小渕司を助けたい人です」
「小渕司を助けたい人!?」
 私は思わず叫んでいた。
 他にも彼を助けたい人がいる。
「そうです。小渕司は未来で自殺を図ってしまうので、どうしてもそれを阻止したいのです。ここで見た一度目の未来は、小学生のあなたが大きくなったそのま ま進んでいく未来。この時、小渕司と最後に会うのはあなたでした。一度目は小渕司が自殺を図るのを知る前にあなたをここへ呼び戻しました」
「えっ、一度目のときから、彼はそういう結果になる予定だったの?」
 全然そんな予兆がなかったから、どこにそんな『自殺』という要素があったのか不思議でならない。
「そうです。そこで、あなたを通して新たな未来を作ろうとしたのです」
「私が志望している高校に合格させた未来」
「はい。未来が確定していないここにいるあなたは、そのさらに先の未来から時間が戻っても一度目に体験した記憶を無くさないのです。その時、小渕司と喧嘩 をしたことで、それがあなたの印象に残りました。記憶が残るあなたは罪悪感から許しを請いたいために二度目は小渕司と深く関わりあいました」
 タキシードの男は淡々と説明する。
「だけど、二度目であっても、私、小渕君を救えなかったじゃない。なんでそんな大事なこと最初に言ってくれなかったの?」
「大切なのは小渕司が自ら解決する糸を見つけなければならないということ。どこに要因があるのかわからなかった。でも、あなたは小渕司から助けるヒントを得ることができました」
「ヒント?」
 小渕司が自殺する事を見抜けなかったというのに、助けるヒントを得たといわれても私には全然わからなかった。
「もう一度、小渕司を救うために力を貸してくれませんか?」
まだ把握しきれてないけど、チャンスがあるのなら私は助けたい。その答えには迷いはない。
「もちろんよ」
「ありがとうございます。それではこの靴を履いて下さい」
 タキシードの男は男物のスポーツシューズを私に差し出した。
 所々擦れて傷があり、薄汚れていて誰かが履いていたのが分かる。
 それを手に取った私は、訳がわからないとタキシードの男を見た。
「とにかくこれを履けば全てがわかります」
 タキシードの男にそういわれると、私は自分の履いていた靴を脱いで、言われるままにその靴に足を通してみた。
「サイズがでかくて、ごそごそする」
「それはちょっと我慢してください」
 靴紐をしっかりと結んだ後、跳んだり撥ねたりして履き心地を確かめている時、茶色い犬が現れた。
「これから、この犬が案内します。この靴を履いている限り、あなたは小渕司の視点で物事が見られます。小渕司の側にはいますが、この靴を履いているとあなたの姿は彼には見えません。もちろん犬の姿もです」
 ドラえもんみたいな便利なグッズだと思い、私はその靴を再び見た。
 改めてみればどこかで見たような気になった。
「それでこっそりと小渕君を観察するのね」
「残された時間はあまりありません。その犬が消える前に全てを解決しなければならないのです」
足元に寄り添う茶色犬。ちょこんと座って首を上げ、私をすがるようにじっと見つめている。そして口を開いた。
「ナルお姉ちゃん、助けて」
 あどけない子供の声で、私の名前を呼んで願っている。
 犬が喋ってびっくりしたけど、驚いてる暇はない。小渕司を助けないと。
「うん、わかった」
 私が返事すると、犬は腰を上げて歩き出す。
 その犬の後をついていくと、暗かった部屋に光が差し込み周りの景色が浮き上がってきた。
 それは見たことのある光景。
 中学生の学ランを着た小渕司が友達数人に囲まれて下校している。
 その先にセーラー服を着た私がいた。
 私の心に誰かの感情が流れてくる。これは小渕司の感じたことだ。
 私は小渕司と同化していくように彼の側に吸い寄せられた。
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