第三章
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家に帰れば、お母さんが台所で夕飯の準備をしていた。僕が「ただいま」と言って自分の部屋に行こうとすると呼び止められた。
「翼ちゃんにもちゃんと挨拶した? 忘れずに話しかけてあげてよ」
翼は僕の弟だ。
生意気で、かっこつけて、ぼくよりもしっかりしてて、お母さんは僕よりも弟の翼の方がかわいくて仕方がない。
僕は我慢させられることばかりなのに、翼にはなんでも与える。
それが高くても、翼がほしがればお母さんはそれをすぐに買いに行く。
僕は黙ってそれを見つめるだけで何も言えなかった。
今日のご飯の献立も翼の好きなメニューだ。唐揚げ。
一度揚げ物が始まると油がもったいないとかで、次の日も違う食材で揚げ物になる。
明日は魚のフライかもしれない。それともコロッケだろうか。
もちろんそれも弟の好きなものだけど。
僕の好きなものはお寿司だ。
だけど弟は生ものを食べられない。
だから食卓に火を通してないものは出ることがない。
それはずっと伝統的のように続いている。
お肉もしっかりと焼き、たとえステーキであってもお母さんは焼きすぎるほど火を通す。
生焼けが好きなお父さんは少し不満そうだが、お母さんのやることに文句は言わなかった。
お母さんはあからさまに弟を可愛がっていることもお父さんは知っている。
お父さんですら、僕の方が大きいから我慢しなさいや、理解してほしいと強要する。
お父さんもお母さんが弟のための世話の拘りに疲れていた。
口を出せば、母は目に涙をためてぐちぐち言う。
だからややこしくなるよりは放っておいたほうがいいと思って、ふたりはあまり口を聞かない。
そんなふたりを見ていると僕は益々不安になってくる。
弟だけがいつも変わらない屈託のない笑顔をずっと見せていた。
僕はその顔を見るのがつらくて毎日目を逸らす。
そして僕は弟の部屋には絶対に近づかないのだ。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
弟の僕を慕う声。いつも耳から離れない。
弟はサッカーが大好きで、将来の夢はサッカー選手になりたいといっていた。
僕はそれを知っていたから、自分の方が上手いんだと見せたくてサッカーをやり始めた。
生意気な弟への仕返しだ。
僕の方が年上だからやはり上手くできる。
僕がボールを弟から奪えば、弟はいつも悔しがっていた。
それでよく喧嘩になった。
「兄ちゃんになんか負けないんだから。僕も大きくなって兄ちゃん以上に上手くなってやる」
それが弟の口癖だった。
でも弟は僕からボールを奪えず、そしてよくこけた。
いつもそればかり思い出してしまう。
弟の部屋のドアを見つめ、僕は声をかけずに自分の部屋へ行った。
毎日それの繰り返しだ。
僕は早くこの家から出て行きたい。
いつしかそう思うようになっていった。