第三章
6
初夏の爽やかな青空が広がったその日。僕はミチコの家を訪ねた。
丘の上に立つ家は坂道がきつく、負傷した僕の足首に負担をかけた。
腫れが収まって、痛みも弱まっていたけどまたぶり返したようにピキッと刺激を感じた。
ミチコが滞在している家の大きさを知って、僕は躊躇してしまう。
思い切ってベルを押し、受け答えをすれば玄関からミチコが出てきた。
ミチコに案内されて玄関に足を踏み入れる。
「いらっしゃい。この場合なんていうんだろう。初めましてでもないし、やっぱり久しぶりかな? 中学では喋ったことなかったけど」
「あっ、えっと、ほんとだ。なんか会ったことあるね」
僕もどう挨拶していいのかわからなかった。
中学では話したことなかったけど、顔は見た事がある。
棚元明穂とフルネームを聞けば、そういえばそんな感じの名前だとうろ覚えに知ってるような気がした。
「ほら、ツカサ、上がって」
ミチコに手招きされ、僕は「お邪魔します」と靴を脱ぐ。
脱いだ後揃えて端に置いた薄汚れた僕のスニーカーをきれいな玄関に置いておくのが恥ずかしかった。
L型のソファーがある大きな部屋に通されて、僕は恐る恐るそのソファーに腰掛けた。
ミチコも側に腰を掛け、この家のすごさを説明してくれた。
僕と棚元さんが同じ中学を卒業した事を知ったミチコは、その偶然を喜び、どんどん盛り上がる。
「この後、アキホの友達がもっと来るよ。女の子いっぱい。よかったね」
ミチコのジョークだと分かってるから適当に喜んでおいた。
「同じ中学だった木暮成実って知ってる? その子も今日来るんだ」
棚元さんが僕に訊く。
名前を聞いただけではぱっと思い出せなかった。
「顔を見たら思い出すかも。同じクラスになったことないと、ピンと来ないな」
「うーんと、英語が好きな子で、本当は飛翔国際高校に行きたかったんだけど、落ちちゃって、二次募集で私の高校に入ってきたの」
「えっ?」
もしかしたら、あの子だろうか。
「受験に失敗したこと、まだちょっと引きずってるんだ。飛翔国際高校って言う名前を聞くとちょっとアレなんだ」
アレってなんだろう。
「だから、あまり気にしないであげてね」
落ちたから敏感になっているということだろうか。
僕はここに来てよかったのか戸惑っていると、訪問客を知らせるベルが家中に響き渡った。
そして、木暮成実が僕の知ってるあの子と分かった時、ドキッとする。
木暮成実も僕を見て驚いていた。
合格発表の日、あの大粒の涙と焼き付けるような睨んだ目つきを僕に見せた木暮成実は再び僕の前に現れた。
堂々と英語でスピーチしていたあの時と違い、彼女は表情乏しく口角が下がり気味だ。
僕と目が合う度に冷たい視線を僕に向ける。
ある程度他の女の子たちとは言葉を交わしたけど、木暮成実だけは一度も話さなかった。
それよりも僕の近くにくることもなく、僕は避けられていたように思う。
これが棚元さんが言った『アレ』な事なのだろうか。
僕は気にしないようにしていたが、中学の時のサッカー大会の話が出てきて、僕の話題になったとき、ポロッと木暮成実は僕に話し掛けた。
「高校でももちろんサッカーやってるんでしょ?」
それはとても冷たく聞こえたような気がした。
「えっ、あ、ああ、一応サッカー部に入ったんだけど、今足をちょっと怪我しちゃって、休んでる」
ヘラヘラと笑いながら何でもないことのように言った。
「早く治るといいね」
「絶対、早く治るから」
心配されて労いの言葉を掛けてもらった僕は恥ずかしくて照れてしまったけど、木暮成実を不意にみたとき、僕はショックだった。
彼女は怒りをぶつけるように睨んでいたからだ。
あからさまに僕を嫌っている感情を受け取り、僕はすっと背中に寒いもの感じた。
心にぽっかりと穴が開いて、そこに塩を刷り込まれたように痛い。
人に嫌われる事を僕は恐れるタイプだ。
僕は木暮成実に嫌われたくなかった。
そうじゃないと僕はまたひとり嫌いな人が増えてしまう。
これ以上憎しみを抱いて人を嫌いになんかなりたくないのに。
僕の満たされない思いと虚しさは徐々に溜まって僕を圧迫していく。
気晴らしにミチコに誘われて笑い声が集まる場所に来てみたが、僕は僕のままで、その僕は僕を演じている。
笑い声を聞くと楽しくなるよりも、無理をしてそれに合わせないといけない義務を感じてしまう。
僕は笑うのも疲れてきた。
理不尽に木暮成実に睨みをぶつけられて、それも嫌気が差してくる。
一方的に人の気持ちも知らないで我を通す人と関わるのは我慢ならない。
くすぶった思いを抱き、楽しくクッキー作りがされていく様子を遠くから見つめるように、僕は時間が過ぎていくのを待った。
帰る前に木暮成実と話す機会はないだろうかと思いながら、出来上がったクッキーを静かにかじっていた。
みんながおいしいと口々にいうけど、僕には味がわからなかった。
ここ最近、何を食べてもおいしい味がわからなくなっている。
何を食べてもおいしくない。
特に母が作る料理が一番まずい。