第三章

 7
 僕が木暮成実とふたりきりになって話せたのは、パーティが終わって帰る途中、三人の女の子たちをバス停で見送った後だった。
 木暮成実はバスに乗った三人の女の子たちが見えなくなると、すぐさま自分の自転車に乗って去っていこうとした。
 僕はすぐにそれを止めた。
「ちょっと待って」
 僕の呼びかけに振り向いた木暮成実は僕を見て狼狽していた。
 あれだけきついにらみをしていた目がおどおどとして泳いでいる。
 不意をつかれたことで、攻撃していた仮面が外れたようだ。
「何?」
「ちょっと話をしたいなって思って。いいかな?」
 今度は僕が強気になる。
 それに蹴落とされて、木暮成実は仕方なく頷く。
 僕たちは疲れたようにダラダラと一緒に歩いた。
 光と闇が逆転するちょうどその切り替わりの中途半端なトワイライト。
 心も闇に傾くように我慢していた箍が外れて、僕は無性にイライラしてきた。
 怪我した足も重くて痛みが増した。
「それで、一体何?」
 冷静を装うとしている木暮成実。でもその声は苛立っていた。
「前から気になってたんだけど、木暮さんはどうして僕の事をいつも睨むの?」
 ずっと訊きたかったこと。
 中学の時に話してみたいと思ったこともあったけど、こんな形で険悪になるなんて思わなかった。
「私、目つき悪いから。目が合うとそう見えるだけ」
「ううん、そんなんじゃないよ。何ていうんだろう、僕に腹を立ててるような睨み方だ」
ごまかそうとしたって無駄だ。君の睨みは僕を嫌っている。
 的を射ていたのだろう。
 はっきりいわれると落ち着きをなくし、呼吸が乱れている。
「そんな風に思われてるんだったら謝るよ」
 木暮成実は、はぐらかそうとするけど、できるだけ感情的にならないように僕は深く息を吸い込む。
「ごまかさないで。それに謝って欲しいなんて思ってない。僕はただ理由が知りたいんだ。僕が気に入らない事をしたから? もしそうなら、僕の方が謝らなければならないから」
 僕は強気になろうとした。
 でも結局相手の顔色を窺ってしまって下手にでてしまう。
 僕が謝らなければならない? 自分で言っておいて馬鹿げていると思った。
 僕は人にいいように見られたい。
 自分を認めてほしい。理不尽に僕をないがしろにしないで。
 僕だって多感に感情を抱き、傷つきやすいんだ。
「小渕君は何も悪くない」
「だったらなぜ?」
「本当は分かってるんでしょ。あの合格発表の時の私を見てるんだから」
「君が志望していた高校に僕が受かって、君が落ちた……ってこと?」
 自分が受からなかったことが悔しくて、合格した僕が気に入らなくて感情が僕に向いてしまったのか。
「そうよ。私は不合格だった。行きたかった高校に入れなかった」
「だからといって、なんで僕なんだ。同じ中学から他にも合格者がいるのに」
 それでもなぜ僕ばかり憎しみをぶつけられなくてはならない。
「ごめん、嫉妬深くて。小渕君、特に目立つからつい矛先を向けてしまったの」
「そんなに飛翔に入りたかったんだ」
 ここまであの高校に執着していた。
 受かるならどの高校でもよかった僕にはよさが理解できない。
「当たり前でしょ。いい高校なんだから」
「そうかな。僕はそこに入った事を後悔している」
 僕はもっと抗うべきだった。
 先生に決められ、お母さんの顔色を窺い、高校に受かる事ができても、僕は何も満足してない。
「えっ? 私の気を和らげようと高校の価値を下げようとでもいうの?」
「違うよ。きっと木暮さんなら楽しいと思ったんじゃないかな……っていっても余計に腹立つよね。ごめん」
 自分の夢に向かう木暮成実なら頑張れるところに違いない。
 この僕と違って。でもそんな事説明しても希望通りにいかなくて不満を持っている彼女にはわかってもらえないだろう。
 だけど僕だって辛いんだ。
 それを口に出せない僕は馬鹿らしくなってくる。
 この虚しさはそろそろ限界かもしれない。
「足を怪我して、サッカーできないからそんなこと言うの?」
「どうだろうね。サッカーしなくていいからちょっと気が楽になったかも」
 明確な言い訳は僕には都合がいい。
 サッカーなんて本当はやりたくなかったんだ。
 足を怪我したことは僕にとって逃げ道だった。
 それなのに、木暮成実はまた理不尽に怒り出した。
「そんな、あの高校に入ったのはサッカーするためなんでしょ。なんでそんな事いうの。一生懸命頑張っても入れなかった私が余計に惨めになるじゃない」
 この言葉は、僕にとって聞き捨てならなかった。
『なんで怪我なんかするの。サッカーするためにあの高校に入ったのに。これでレギュラーに入れなかったらどうするの。サッカーやりたくてもできない翼ちゃんに申し訳ないと思わないの』
 あの人と同じだ。
 僕の怪我を見てサッカーができなくなると思ったお母さんは怒った。
 僕の気持ちなんてこれっぽっちも考えてない。
 僕はなぜ決め付けられなくてはならないんだ。
「君に何がわかるっていうんだよ。これは僕の人生で君の人生じゃないんだ。人それぞれ事情というものがある。勝手に自分の中だけで決め付けるな」
 冷静を保っていたはずだった。
 でも一番触れてほしくないあの人と同じ事を言われたら我慢ならなかった。
 僕は誰に向かって吼えたのだろう。
 目の前には驚いた顔をした木暮成実がいた。
「これ以上一緒にいても、私は小渕君を怒らせるだけだと思う。ただ私はあなたが羨ましかった。恵まれたあなたが」
 僕が恵まれている?
 泣きそうな顔をした木暮成実は自転車に跨り、僕から逃げるように行ってしまった。
「あっ、木暮さん!」
 木暮成実は振り返らなかった。
 なぜ僕は彼女に怒鳴ってしまったのだろう。
 怒りをぶつけるのは彼女じゃない、お母さんだ。
 お母さんには何も言い返せず、木暮成実にだけ感情をぶつけた。
 僕は卑怯者だ。
 自分の思うように行かない時、人は自分を見失う。
 木暮成実もそうだったに違いない。
 僕はその気持ちが分かるはずなのに、僕は正しい道を選べなかった。
 僕の中の何かが音を立ててくずれていった。
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