第一話

11
 ホマレは由香と二人でどこかに行きたがったが、どこまでも弟のヒナタがついてくるのでこの日は諦めざるを得なかった。
 今度ゆっくり会おうと漠然な約束をした後、ホマレは、未練がましく由香にくっついているヒナタを引っ張って帰って行った。
 由香は夕暮れの中、暫く立ち止まったまま二人に手を振っていたが、姿が見えなくなると疲れ切ったように息をもらした。
 楽しいはずなのに、事情が飲み込めず、素直にこの世界に飛び込んでいけない。
 誰を選んでも失敗しないくらい、アプローチをかけてきた男の子達はどの子も申し分なかった。
 このまま一人を選んだとしたらどうなるのだろうと思っていたとき、また後ろから声を掛けられた。
「よお、由香。なんだか悩んでそうだな」
 振り返ればそこにはトキアが様子を伺うように立っていた。
 唯一この世界でこのトキアだけが異質な存在だった。
 皆、由香をちやほやしてくるが、トキアは自分に気がありながらも友達として普通に接してくる。
 由香は困惑しながらぼーっとトキアを眺めてしまった。
「なんだよ、なんか文句でもあるのか? まあいつものことだから俺も慣れてしまってるけどな」
「あのさ、トキアは私のことどう思ってるの?」
 前にも尋ねた質問だったことも忘れ、もう一度由香は訊いてみた。
 それほどトキアの事が引っかかっていた。
「どう、思ってるって、そんなに力入れて聞かれてもな。まあ、今まで俺は由香に対して悪いことばっかりしてきたらから、すまないと一番最初に思ってしまう のが正直なところさ。由香の存在が大切なのに、どうも俺という人間はいい加減でさ、またその上プライドが高くて素直になれない。こんなことしたらいけない と分かっていながら、由香に甘えて酷いことばっかりしてしまった」
 トキアとの間にはどんな関係があったのだろうか。
 一切わからない由香にはちんぷんかんぷんだった。
「どんな事を私にしてきたというの?」
「由香が傷つくこと一杯さ。その度に由香は隠れて泣いていたんじゃなかったっけ」
「傷つくこと?」
「もういいじゃないか。俺も忘れたいというのか、思い出すと自己嫌悪に落ち込んでしまうんだ。でもこの機会を借りてただ由香には謝りたい。今までごめんな。許されるとは思っていないけど、もう一度やり直せるのなら俺は今度こそ由香のためになんでもしたいと思う」
「私に何をしてほしいというの?」
「別に何もして欲しいとは思わない。この先、由香が幸せになるのなら協力するってことさ。由香は今好きな奴いるのか? 同じクラスのリッキーか? それと も住吉先生か? そういえば生徒会長の佐々木も由香のこと好きみたいだったな。由香のことだから他にも一杯寄って来る男がいるんだろうけど、力になれるこ とがあるならいつでも言ってくれ」
 トキアは助け役にまわっていく。
 それでも由香を見つめる眼差しがどこか柔らかく、自分も好きであることを示しているようだった。
 だがトキアは他の男の子達と違ってそれ以上アプローチしてこなかった。
 風貌も他の男の子たちと比べるとハンサムとはいいがたいが、その辺にいる普通の男の子としては別に悪くもない。
 アプローチしてこない分、どこか落ち着いて普通に接することができるのはなんだか安心できた。
「それじゃ俺、帰るわ」
 踵を返そうとしたトキアに由香は咄嗟に叫んでいた。
「待って、トキア!」
 なぜ呼び止めたのか由香もわからないが、どこかトキアのことがひっかかる。
 トキアは呼び止められても、気にも留めずに、背中を向けながら軽く手を振って去って行った。
 その背中を見えなくなるまで由香はじっと眺めていた。
 その後、考え込みながら時折小石を蹴って歩いていると、どのように帰ってきたのか思い出せないまま、目の前には自宅であるあの家が視界に入って来た。
 見知らぬ世界でありながらも、自分を中心にこの世界は回っている。
 一体あのタキシードを着た男は何が目的で自分をこの世界に引きずり込んだのか、これがいい事なのか悪いことなのか疑心暗鬼になりながら家の玄関のドアを開けた。
 奥から母親の笑い声と、もう一つ男の声が聞こえてくる。
 足元には男物の靴がぬいであった。
 由香は恐る恐る「ただいま」と声のするダイニングに入っていく。
 テーブルの上にはご馳走が並び、母親が嬉しそうにお皿を並べていた。
 もう一人新聞を掲げて誰かがテーブルの側で座っている。
「あら、由香。お帰り。ちょうどお父さんが帰ってきたわよ。予定より早く帰ってこられたんだって」
 新聞を下ろしたとき、お父さんと呼ばれた男がニコッと笑って嬉しそうに声を掛けた。
「由香、元気にしてたか」
 その顔には見覚えがあった。
「あっ、あなたはあの時のタキシードの男!」
 まさにヨッシーと呼ばれる妖精だった。
「由香、お父さんにちゃんと挨拶しなさいよ」
 母親はヨッシーの隣に座ると、お箸で料理をつまんでヨッシーの口元に運んでいた。
「美味しい?」
「美味しいよ」
 新婚のような甘い関係を目の前で見せ付けられて、由香は唖然としていた。
「ほら、由香も突っ立ってないで、座って一緒に食べなさい」
 母親は何も疑問を抱かず、これが当たり前のというようにヨッシーといちゃいちゃしていた。
 ヨッシーはテレながらも、それに甘んじてされるがままだった。
「由香、とにかく座りなさい」
 ヨッシーからも声を掛けられて、由香は黙って座り込む。
 そして訳がわからないとぼやっとヨッシーを見つめていた。
「学校はどうだね。楽しんでるかい? それに恋愛も上手く行ってるかい?」
「あなた、娘にその質問はないでしょ」
 母親はくすっと笑っていた。
「いやいや、一番大切な話だからな。お前もしっかりとサポートしてやらないと」
 声色を使った父親気取りのヨッシーはロールプレイのように演じていた。
「はいはい、わかってますよ。あなたの仰せの通りにしてますよ」
 どうやら母親もこの状態をわかっているようだった。
「あの、一体どうなってるんですか?」
 由香は我慢できずにヨッシーに助けを求めた。
 その由香の切羽詰ったすがる思いに、ヨッシーも父親役を離れて真面目に答える。
「どうなってるも何も、好きにすればいいんですよ。ここでは全てが希望通りに動くはず。由香さんがどうしたいか、誰と恋愛したいか、楽しめばいいだけ」
「でもいつまでこの世界にいられるんですか」
「うーん、あなたはとても真面目な人なんですね。どうしてそう制限を作っちゃうんですか。ずっと居たければこのままなのに、そんな余計な事を考えるなんて、まだまだこの世界に入り込んでませんね」
「でも、急にこんなところにつれてこられて、しかも若返っている。疑問を持たない方がおかしいじゃないですか」
「ああ、やっぱりちょっとそこが難点でしたね。本来の望みならそんなこと考えてる暇ないんですけど、これはどうしてもそうなってしまうんでしょう……」
 ヨッシーは腕を組んで考え込んでしまった。
「えっ? 一体どういうことなんですか? 私にも分かるように説明して下さい」
「そうですね、それはまた後ほど考えるということで、とにかく、由香さんはこの世界で好きに生きて下さい。それとも現実に戻りたいとでも?」
「そ、それは」
 由香もあやふやになってしまって、はっきりと決められなかった。
「それじゃもし、私がこの世界で好きな人ができて恋愛を楽しんだら、その後どうなるんですか?」
「それもあなた次第ですよ。あなたがどうしたいのか決めて下さい。私は願いを叶えることができるだけで、あなたの人生を決めることはできません。でも一つ だけヒントを与えるのなら、今まで出会った人の中にあなたの望んでいる答えを導き出せる人が一人います。ただ、その人と恋に落ちたその後はもうやり直せま せん」
「それって、その人と結ばれるのが一番っていう意味ですか?」
「さあ、どうなんでしょう? それはあなた次第ってことですね。とにかく何も心配なさらずに、どうぞこの恋愛を楽しんで下さい。何度もしつこく言いますが、すべてはあなた次第ってことを忘れないでね」
 その後、ヨッシーは母親役の女性といちゃいちゃして、由香など全く目に入らなかった。
 由香が何も食べずにその場所を去っても誰も気にしなかった。
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