第一話
5
その二人の男性はいつものパターンと少し違った。雰囲気が怖く、怪しい目つきでいかにも不良っぽい。
睨むような悪意を伴って、何かを品定めしている。
それが自分のことを意味していると由香は危険を感じ、来た道を戻ろうとしたが既に遅かった。
もう一人別の人物が背後から現れ、道を塞ぐように立っていた。
二人だと思ったら三人連れだった。
「よっ、お嬢さん。どこへ行くんですか。よかったら、一緒に遊びませんか」
道を塞いだ男がジリジリと由香に近づいていく。
自然と後ずさりすれば、今度はさっきの前に居た二人と距離が縮まっていく。
すっかり恋愛ゲームだと思って遊んでいたものが急に興ざめしだした。
自分は本当は何かに騙されて命を脅かされているのでは──。
背筋に冷たいものが走ると同時に顔がすっーと青ざめて行く。辺りの温度が急激に下がったように体が震えだした。
三人にジリジリと取り囲まれていく由香は足がすくんでしまった。
もうダメだと思った瞬間、ヤケクソなほどに無駄に叫んでいる大声が聞こえると、素早いスピードで黒い影が迫ってきた。
その黒い影は棒のようなものを持ち、
勢いつけて殴りかかろうとしていた。
三人の男達が怯んで身構えているとき、その黒い影は由香の前まで全速力で走り、棒を関係ないところに投げ飛ばして、意表をついた隙に由香の手を引っ張ってさらに猛スピードでその三人の男達の間を駆け抜けた。
ひたすら二人は逃げる。
三人の男達はハッとするも、追いかけることもせずに、なんだったんだろうと気が抜けたようにその場に取り残されていた。
必死で走り続け、やっと人通りのある道路まで出たとき、二人は前屈みになり息を切らしていた。
由香は、助けてくれた人の背中を見ていたが、相手も相当苦しいのか、ひたすら腰を曲げてハアハアと言っているだけだった。
「あの…… ありがとう」
由香が途切れ途切れに息をつきながら言うと、その男の子はゆっくりと顔をあげ由香を見た。
だが、その男の子は体を起こすとにこっと笑って何も言わずに去ろうとする。
「待って」
由香が呼び止めると、ただ手を振って背中を向けて黙って去っていった。
今までと全く違うパターンに由香は戸惑った。
なぜならその男の子は普通すぎて特別かっこよくもなく、そして由香には見向きもしなかった。
でもニコッと笑った顔が妙に印象深く心に残る。
由香はボーっとしてその場に立っていた。そしてまた雨が降り出した。
どこへ行っていいのかわからず、夢ならそろそろ目覚めてもいい頃なのに一行になんの予兆もない。
一体これからどうなるのだろうとトボトボと首をうなだれながら、道路沿いの歩道を歩いていた。
すると後ろからクラクションが聞こえ、真横に白いセダンの車が止まった。
「おい、何してるんだ、神谷」
声を掛けられ、由香が振り返ると、そこには眼鏡をかけ、グレーの背広を着こなし、キリリとした表情のハンサムな男性が乗っていた。
「どうした、何かあったのか? 雨も降ってるし家まで送っていってやろう」
「誰?」
「ふざけてないで、早く乗りなさい。担任をからかうものじゃない」
担任と聞いて学校の先生だと理解する。
自分の家もわからないまま、歩いていても仕方がないととにかく車に乗った。
「先生?」
「なんだ? 神谷はいつも危なっかしいから先生も冷や冷やするよ。こんな時間に傘も持たず雨に濡れながら歩いているなんて一体どうしたんだ。明日は英単語の小テストもあるんだぞ。勉強しないとだめだろうが」
「単語のテスト?」
「そうだ、マイ フェイバリット ステューデントだからといって内容は教えるわけにはいかないがな。あっ、いやこっちのこと」
何気なく英語が入ったその言葉の意味に、先生にまで自分が好かれていることに由香は気がついた。
また最初のパターンに戻ると、さっきの危なかった出来事はなんだったのだろうと不思議になってきた。
暫くすると車が止まる。
そこには唯一見たことのある家が建っていた。
「ほら、着いたぞ」
「あっ、ありがとうございます」
由香は車を降りようとすると、先生がボソッと声を発した。
「アメリカならハグをするところなんだけど、先生と生徒じゃヤバイしな。神谷が卒業したとき、先生に会いにきてくれよな。そしたら問題は解決するから」
「えっ?」
「それじゃ、また明日な。いい夢見ろよ。もちろん私も登場させてだけど」
由香は先生のアプローチに圧倒されながら車を降りた。クラクションを一回鳴らされ、そして車は去っていく。
その音で家から母親が慌てて出てきた。
「由香、一体こんな時間まで何してたの」
「迷子になって、担任に送ってもらった」
「あら、住吉先生が来てたの。もうなんで早く呼ばないの。挨拶したのに」
由香はキョトンとしていた。
そして家に入り、ダイニングにはおいしそうな食事が用意されていた。母親と二人で食事を取りながら周りを観察する。
置かれてある家具や装飾品、どこを見ても金持ちさがにじみ出ていた。しかし父親がいない。
「ねぇ、お父さんはいつ帰ってくるの?」
由香はそれとなく父親の存在を確認する。
「海外出張だから暫くは帰ってこないわよ」
由香はどんな人なんだろうとまだ見ぬ父親の姿をあれやこれやと想像していた。きっと父親もダンディな渋さを持ったカッコイイ人なんだろうと漠然と思っていた。
他に人が居ないということは自分は一人っ子なんだと推測する。
少しずつ状況が飲み込めてきたが、どこかあやふやな感覚に落ち着かなかった。
この後、お風呂に入り、そして夜が更けてこのまま寝てしまうと、きっと起きたとき元の世界に戻れているとそんな気になってきた。
そしてベッドに入り、この日会った人を思い出していた。
雨の中、傘を差し伸べてくれた戸上リキ。
幼馴染の池田翔太。
子犬を追いかけていた小泉ヒナタ。
ペットショップに居たヒナタの兄、ホマレ。
担任の住吉先生。
そして不良に絡まれているところを助けてくれた人。
この人だけ名前がわからない。
知らずのうちに瞼は重くなり、由香は眠りについていた。
そして朝が来て目が覚めたとき、元の世界を想像していたが、部屋の中はピンクのまんまだった。
ベッドから飛び起き、慌てて部屋の中に置いてあった鏡を覗き込んでみたが、姿もやはり高校生のままだった。
それはそれで少しほっとしてしまった。
自分はこの状況を受け入れているのか、それすらはっきり分からず、一体どうなっているんだと困惑してしまう。
しかし、元に戻ったところで、自分には離婚と38歳という年取った元の体が待ってると思うと、戻ることにも抵抗を感じる。
でもこの夢のような生活がずっと続くとも考えられなかった。
時間が経つにつれ最初ほどの楽しさが薄れ、不安の割合が増えていくようだった。
「由香、いつまで寝てるの。学校に遅れるわよ」
母親がドア越しに起こしに来た。
ここでは高校生の生活をするしか仕方がない。
由香は慌てて身支度を始めた。
その後、朝食を食べ終わると鞄を持ち「いってきます」と母親に告げて、玄関のドアを開けた。
その時はっと驚いた。
門の外では自転車に跨った幼馴染の翔太が待ち構えていた。