第一話
6
「よぉ、おはよう! 今から学校だろ。途中まで送ってってやるよ。後ろに乗りな。ほら、ぐずぐずしてると遅刻するぞ」
由香の顔がまともに見られないまま、少しぶっきらぼうな口調になっていた。
この場合言うとおりにした方がいいと判断した由香は、戸惑いながらも翔太の自転車の後ろに横座りした。
自分の制服のデザインとは違う翔太のブレザーをぎこちなく掴むと、翔太は走り出した。
風が頬をすり抜けていくのを黙って感じていると、翔太が反省したようにぼそっと呟いた。
「昨日は、ごめんな」
一生懸命ペダルを漕ぐ翔太の力強さが反動で体に伝わってくると、思春期の初心な気持ちが由香の心をくすぐった。
それに合わせる様に由香も翔太にさらりと呟いた。
「ううん、別に怒ってないよ」
「そっか、それならいいけど。でも俺、リッキーって奴に嫉妬しちまった。でも由香が好きなら応援するよ」
意外にも殊勝な翔太がいじらしい。
由香も知らずとついいい訳をしてしまう。
「えっ、違う、リッキーは昨日初めてあんな風に喋っただけで、翔太が思ってるような関係じゃない」
「なんだ、そうなのか。でも、俺、最低だよな。つい幼馴染だからって由香を独り占めしたくなってしまって。リッキーに挑戦状叩き付けてしまった。ほんと馬鹿だったよ。由香にだけは嫌われたくないのに」
「翔太……」
「おっと、このままでは俺まで遅刻しちゃう。ちょっと飛ばすぜ、しっかり摑まってろ」
素直に自分の気持ちを言ったのが恥ずかしく、足に力を込めて翔太はペダルを早く漕ぎ出した。
速度が増して急にぐらついたせいでバランスを崩しそうになり、由香はとっさに翔太の背中にもたげた。
密接に体と体が触れ合うと、由香は心地良いドキドキを感じてしまった。
そっと目を瞑り、翔太の背中に耳を当ててみる。
翔太のハートも同じようなリズムが刻まれて動いているような気がした。
学校の近くで降ろしてもらい、翔太は仲直りできてすっとしたのか、軽やかに自転車を漕いで笑顔で去っていった。
由香は翔太の後姿が見えなくなると、自分と同じ制服を着た生徒達が行く方向を一緒に歩き出す。
学校が見えてくると、その近代的な博物館並の造りに驚いた。
学校まで美しく、優雅そのもので、ドラマに出てくる作り物の学園のように何もかもが整っていた。
校門の前で見とれていると後ろから肩を叩かれた。
「おはよう、由香ちゃん。昨日はどうも」
「あっ、リッキー、おはよう」
二人して肩を並べて歩く。
リッキーは時折ちらりと由香を見つめて、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
背が高く、モデル並みのその姿に、由香はまたドキドキしてしまう。
さっきまで翔太にときめきを抱いていたが、次から次へと男性のアプローチがあると影響を受けない方がおかしい。
素直に楽しむべきなのか、何か裏があるのか、複雑な感情が混ざり合いそれだけでも普段と違う感情が絶えず湧き起こってドキドキを助長させていた。
その時、沢山の生徒に紛れて、前日不良に絡まれているところを助けてくれた男の子を見つけた。
「あ、あの人。同じ学校の生徒だったんだ」
由香は咄嗟に足が動いていた。
「あっ、由香ちゃんどこ行くの?教室はこっちだよ」
リッキーの呼び止めにも答えず由香は無我夢中で近づこうとする。
男の子は気がついたのか逃げるように校舎の裏側へと走っていった。
「待ってよ。どうして逃げるのよ」
由香が校舎の角を曲がったとき、どーんと何かにぶつかり大きく跳ね返って地面に尻餅をついてしまった。
「お、おいっ、どこ見てんだ」
由香が顔を上げると、また新しいキャラクターが登場した。
今まで会った中で一番身長が高く体もがっしりとしている。
顔は男らしさが感じられる硬派なかっこよさが出ていた。やっぱりこの人もハンサムだった。
「ご、ごめんなさい」
「ほら、立てるか?」
低い声で手を差し伸べられて、由香は恐る恐るその手を掴むと、ひょいと軽々と引っ張られた。
「あの、今、ここに男の人が走ってきませんでしたか?」
「えっ、気がつかなかった。気がついたときはあんたが突っ込んできた。あっ、手、怪我してるじゃないか」
後ろに転んだ際に、由香は咄嗟に手を付き、その時手のひらをすりむいたみたいだった。
「あっ、これくらい大したことないです。それじゃ、し、失礼します」
「待てよ、怪我させてそのままにしておけるか。ちょっと来いよ」
由香は手首を引っ張られると、運動場の端にあった運動部の部室に連れて行かれた。
中に入れられると、バットやグローブが目に入る。
野球部の部室だった。
そして由香は無理に椅子に座らされ、圧倒されるその大きな体に畏怖してしまう。
男は高い棚の上にあった救急箱を軽々と取り出し、由香の傷口を消毒し始めた。
「俺、野球部のキャプテンさ。もうすぐ受験勉強で3年生は引退してしまうから道具だけでもきっちり整備してやろうと思って朝早くからボール磨いてたんだ」
相槌をうつ代わりに、消毒薬が傷に染みて由香は少し痛そうな顔をした。
「お前、一組の神谷だろ」
「私は三年一組?」
「何言ってんだ。自分のクラスも覚えてないのか。そしたら俺の名前も知らないだろうな。俺は片山秀介。宜しくな」
秀介は最後に絆創膏を貼ってやると、由香を見てキザに笑っていた。
「ありがとう」
その絆創膏を何度もさすっては由香はまた血液がドクンドクンと体を駆け巡っているのを感じていた。
次から次へと出会いがあり、全ての人がかっこよ過ぎて、これほどのトキメキはかつて味わったことがなかった。
秀介もまた自分に夢中なんだろうかと由香は秀介をじっと見ていた。
「おい、何で俺をそんな目で見てるんだよ。なんか顔についてるか? それとも俺にキスでもして欲しいか」
「えっ、ち、違います」
由香はこれは違うパターンだと位置つけると、立ち上がってさっさと去ろうとした。
「ハハハハハハ、冗談だよ。こっちの方がして貰いたいくらいだけど。実はさ、俺、ずっとお前のこと見てたんだよ。まさかこんな形で話せるとは思わなかった」
また来たと由香はその時思った。
やはり出会ったかっこいい人は全て自分に気があるパターン。
これだけ判りやすいと、由香もなんだか面白みにかけて慣れてくるようだった。
でも恋の駆け引きは文句なしに面白い。
秀介のようなタイプもまた由香は気持ちをそそられた。
どの人と恋に落ちても満足しそうなのはわかっていても、まだ誰と本格的に恋をしたいか自分でもわからなかった。
リッキーも翔太もヒナタもホマレも住吉先生も秀介もそれぞれタイプは違うが、甲乙つけがたく申し分ないほどカッコいい。
これほどこんなにモテルというのに、あの男の子だけは違った。
由香を助けたというのに、どこか避けるようにしている。
特別かっこいいわけでもないのに、つかみ所のないミステリアスさが気になっていた。
「神谷? どうしたんだ。俺、もしかして嫌われちまった?」
さっきまで硬派でどっしりと構えていた秀介の態度が緩和され、子犬のように哀れんだ目になって困惑していた。
「いえ、そ、そんなんじゃなくてその」
答えに困ったとき、ドアが勢いよく開いた。
「何やってんだこんなところで」
住吉先生だった。秀介を私怨の目で睨みつけてみている。
「ほら、早く教室へ入らないと遅刻になるぞ」
由香は、慌てるように部室を出て行くが、ちらりと後ろを見ると住吉先生は疑いの目で秀介を見ていた。
先生らしからぬ苛ついた態度が、ただの男の嫉妬に見えた。
由香はみて見ぬふりをして、走ってその場を去った。