第一話


 秀介と先生との接触を避け、二人の様子を確認する間もないまま逃げるように野球部の部室を出てきたが、その後自分はどこへ行っていいものか由香は大いに悩んでしまう。
 自分の上履きの場所も、三年一組の教室もどこにあるかわからなかった。
 生徒達は既に教室に入り、周りを歩いている者は誰も居ず、大きな校舎は静寂に包まれていた。
 今から教室に行くと遅刻間違いなし。
 そして知らない人に見つめられながら知らない教室に入っていくのが怖く感じる。
 気がついたとき、腰をやや屈めながら学校をこっそりと抜け出した。
 どうしていいかわからずに、家に帰ろうとしたが、翔太に途中まで自転車に乗せてもらったせいでよく覚えておらず、帰り道もあやふやで挙動不審のように辺りを見回していた。
 周りは自分のことを知っているのに、自分だけが知らない世界。
 終わりも見えないままに、でも夢から覚めて現実に戻るのも辛いものがある。
 あの変わった風貌の男さえ見つけられれば答えも判るというもの。
 由香はあの時見たタキシードの変な姿の男を探し出そうと思った。
 そしてどうすれば良いのか思いつめている時、横に黒のコンパクトカーが突然止まった。
「由香ちゃんじゃないか。こんなに早くまた会えるなんて。でも学校はどうしたんだい」
 前日ペットショップで会ったホマレだった。
 心配事を抱え込んだ由香の表情にホマレは気になり、眉根を潜めた。
「何があったんだい。こんなところもなんだから、乗りなよ。困ってることがあるなら相談にのるよ」
 由香は助けが欲しいと言われるままにホマレの車に乗った。
 もし自分の思い通りになるのなら、ここはそうするに限る。
 自分でシナリオを作ればきっと何かが動いてくる。
 一か八かに賭けてみた。
「ホマレさんこそここで何してるんですか?」
「大学行く前に家の手伝いをさせられて、ドッグフードの配達してきたところなんだ。由香ちゃんは学校に行かずどうしたんだい」
「私、その…… 人を探しているんです」
「誰を探してるんだい?」
「タキシードを着て、シルクハットを被った変な男なんですけど」
「えっ、なんだいそりゃ。お店の宣伝のなんかのキャラクターかい?」
「いえ、なんだかわからなくて、でも探さないといけないんです」
「じゃあ、大通りにでも出てみようか」
 ホマレはハンドルを握りなおし、奮闘するかのように車を走らせた。
 由香は車を運転するホマレが素直にかっこいいと思った。
 ハンドル裁きにキレがあり、半袖のシャツから出る腕にも程よく筋肉がついていて男らしく見えた。
 自分のために真剣になってる姿にも心打たれるものがあった。
 ホマレは高校生の男の子達と違って少し大人っぽい所が頼れそうに思えた。
 このまま甘えたくなってくる。またここでホマレもいいななんて軽く思っていた。

 暫く走行して大通りに出るが、人と車の数が増えただけで何も手掛かりは見つからない。
 しかし、賑やかな場所で、周りにはビルやおしゃれなお店が沢山あるというのに、 どこを見ても知らないものばかり。
 全く身に覚えのない場所であった。
 そこに、自分も20歳も若返り、女子高生としてそこそこかわいいとこの場合言い切って、自分が主人公となっているし、そして回りの男達は自分に気があっては次々とときめいた展開へと進んでいく。
 上手く行き過ぎたこの世界自体が架空に作られたものとしか思えない。
 こういうパターンの映画が確かあった。
 主人公は眠ったままで違う世界を見せられてその中で生きていると思い込ませられる。
 もしかして自分もそうなのだろうか。
「由香ちゃん、どうしたんだい。顔が青いよ」
「えっ、いえ、大丈夫です。それよりホマレさん、大学に行かないと」
「いいんだよ、別に」
「ダメです。私ここで降ります。私は大丈夫ですから大学に行って下さい」
「そうかい。それじゃ授業が終わってからまた会おう。夕方ペットショップに来てくれるかい?」
「はい、わかりました」
 この場合は仕方ないと軽く安請け合いしてしまった。
 道路の端に車は止まり、由香はホマレに礼を言う。
 このまま放って置いては不安でならないと強張った顔をしているホマレを見ると、由香の母性本能はまたくすぐられた。
 自分がこの世界に閉じ込められてるにせよ、出会う男達は全て自分の虜になっている。
 これだけは気持ちがいいものだった。
 ホマレの車が去ると、由香は何かを暴こうとするように都会の街を歩き回った。
 家に帰る道は今となっては全くわからない。
 でもゲームのように必ずどこかにリンクしているものがあると信じていた。
 それに触れればまた新たなストーリーが展開して場面が変わる。
 そしてあの変な男も出てくるはずだと、このゲームの結末を見届けようとした。
 このままこの世界に留まるにしろ、本来の自分に戻るにしろ、由香が知りたかったのははっきりとした理由だった。
 いくら自由に恋ができるといっても、何も知らされずにいることが我慢ならなかった。
 由香は闇雲に辺りを歩き出した。平日だというのに辺りは人がひっきりなしに歩いている。
 適当に店にも入ってみた。
 まずはカジュアルな服屋。
 ファッションに関してはこの時期流行のデザインの物が並び、つい目的を忘れて魅入ってしまう程だった。
 いけないと、首を振り周りの人間を注意して見るが、特別変わったところを見つけられず、じろじろ人を見るのが辛くなってきてしまう。
 次に場所に何か変わったものはないかと、少し通りを離れて裏路地に入ってみた。
 夜だったら怪しげで危なさそうだが、午前中はまだ寝ているようで目覚めていないひっそり感がした。
 その時、後ろから肩を叩かれた。
 何か進展があるのかと期待を込めて振り向くとそこには警官が立っていた。
「この時間は学校のはずだろう。一体ここで何をしているんだ」
「えっ? あの、その」
 突然のことに由香はしどろもどろになってしまう。
 それが余計に怪しい行動に見えたのか警官は訝しげな顔つきになった。そして施すように注意しだした。
「高校生がこんなところにいちゃいけないじゃないか。学校はどこだ?」
「その、それは……」
 自分の学校と言えど名前も知らず、この世界をよく分かっていない由香に答えられなかった。
「なんか怪しいね、君。もしかして援助交際とかやってるんじゃないのか?」
「いえ、そんなことしていません。ただちょっと人を探していただけです」
 由香もどうしていいのか分からなかった。
 その時また、あの男の子が現れた。不良に絡まれて助けられたけど、唯一名前を知らない男の子。
「由香、こんなとこで何してるんだよ」
 名前を呼ばれて、この人も自分のことを知っていた。
 由香はじっとその男の子の顔を見つめていた。
「君の知り合いかね」
 警官に聞かれてその男の子はこくりと頷いた。
「今日は特別クラスがあって、外に出てただけなんですが、こいつ、方向音痴ですぐに道に迷ってしまうんです。俺も探していたところでした。ご迷惑お掛けしてすみません」
 嘘も方便だったが、真実を確かめるよりも前に、礼儀正しく丁寧に頭を下げられると警官は何も問題はないとあっさりと判断した。
「そういう訳なら仕方がない。とにかくこの辺は子供が立ち入るところじゃないから、早く行きなさい」
「はい。すみませんでした」
 その男の子は由香の袖を取ってその場から引っ張っていく。由香はされるがままに後を着いていった。
 賑やかな通りに出たところで、由香は恐る恐る声を掛けてみた。
「あ、あの、あなたは一体誰?」
「やっぱり、そんな言い方するんだな。俺はトキアに決まってるだろ」
「トキア? だけど学校で見掛けたのになぜここにいるの?」
「君だって、朝、学校に居たのにここに来てるじゃないか」
「だけど、私は目的があってここに居るわけで……」
「じゃあ、俺も用があったからここにいるんだ」
 由香は黙り込んでしまった。
 トキアと名乗る男の子も自分のことを何か知っていそうだが、自分はどういう関係なのかわからない。
「それじゃ、俺もう行くな」
「あっ、待って。あの、あなたと私は友達なの?」
 どれだけ間抜けな質問であるか由香は分かっていたが、何も知らないだけにこんなことしか聞けなかった。
 トキアはくすっと笑っていた。
「君が望むなら、それでいいけどね。だけど、俺なんてもう君に相手にされないって思ってたよ。どんなに俺が君の事好きでもね」
 トキアもやはりこの恋愛ゲームのキャラクターの一人だった。
 しかし、出てきた中で一番ぱっとせず、顔もかっこいいとはお世辞にもいえない。トキアはどこにでもいそうな高校生の男の子だった。
 その風貌のお陰で、どこか話しやすい親しみが湧いてきた。
「あのさ、もう少し一緒に居てくれる? できたら一緒に家の近くまで帰ってくれると嬉しいんだけど」
「俺と一緒に? 別にいいけど」
 由香はトキアと一緒に肩を並べて歩き出した。
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