第一話


 暫く街の喧騒のざわざわした音を身に纏うように気まずい気持ちを誤魔化していたが、由香はトキアの事をよく考えようと初めて出会ったときの事を思い出していた。
 それと同時にはっとする感情が表れ、言葉が口をついた。
「そういえば、昨日も困ってるところ助けてくれたよね。お礼まだだった。あの時はありがとう」
「ああ、別にどうってことないよ。逃げただけだし、お礼なんて言われる筋合いはない」
「あのさ、変なこと聞くけど、トキア君は私のことどう思う?」
 何か情報が欲しい。トキアとこの世界の自分はどういう関係なのか知りたい。
 それを期待していたが、トキアは間髪入れずにすぐに一言で答えた。
「変」
「えっ? 変?」
「うん、由香は俺のことトキア君なんて君付けで呼ばないし、そんなに潮らしくなくてさ、いつも命令口調で俺には怒ってばかりなのに」
「私、いつも怒ってるの?」
「ああ、俺だけにはな。そんなこと聞くなんて、無意識でやってたのか? だけど最近なんかあったんだろ。見てたら戸惑ってるみたいだし、悩みでもありそうだ」
 トキアの言葉通りには間違いないが、それをどう説明していいのかわからない。
 この状態が夢なのか、現実なのか、それすらわかってない。
 由香は俯き加減に口を閉ざした。
「やっぱりそうか、人には言えないような話があるみたいだな。俺でよかったら聞いてやってもいいけど、由香は俺みたいな嫌われ者なんかにいう訳ないしな」
「私って、そんなにトキア…… に酷いことしてるの?」
「酷いことっていう訳じゃないけど、俺のことはいい印象持ってないっていうのはあるな」
「ごめん」
「別に謝ることないだろ。だって俺だってその責任はあるんだから」
「責任?」
「ああ、俺いい加減だし、俺の方が由香に対して悪い態度とってたよ。本当は由香のこと好きでたまらないのにさ、俺、由香が嫌がることばっかりしていた。なんでだろうね」
 トキアはまるで昔から由香と友達のような接し方をしていたみたいに聞こえた。
「例えばどんなことしたの?」
「そんなの由香が一番知ってるだろ。それでこの間言い争いして大喧嘩したじゃないか。だから気まずくなってずっと口聞かなかった。由香だって俺のこと無視するしさ。それでよそよそしい喋り方になってるんだろ」
 由香にはさっぱりわからなかった。
 唯一トキアとは一番親しくしていたような、そんな言い方だった。
 状況が飲み込めないまま、由香はトキアと暫く黙って歩いている。
 小一時間は歩いただろうか。街並みが慌しい都会の風景から少し閑静な住宅街へと変わっている。多少、足の裏も痛くなって疲れてきた。
「ねぇ、これからどうするの? 学校へ戻るの?」
「由香はどうしたい?」
「うーん、やっぱり学校いった方がいいのかな?」
「かなり遅れてしまうけど、行くだけ行ってみるかい?」
「うん」
 由香はこの後キャラクター達はどう動くのか見てみたい気になった。
 なぞのシルクハットの男も見つけられないのなら、自分でこの世界を把握しなければならない。
 逃げていては何も得られないと、由香は乙女ゲームの主人公を演じようとしだした。
 果たして本当に自分の思うようになるのだろうか。
 試してみる価値はある。
 また学校が見えてきた。由香とトキアは門をくぐった。
 そんな油断していたとき、不意にトキアが質問してくる。
「由香は一体誰が好きなんだい?」
「えっ? 誰が好きって、そんなこと聞かれても」
 全てが分かっていない状態だが、いずれは誰かを選ぶつもりで男の子達を観察していた、またはこれからその様子を見ようと少なくとも思っていたときに、なんだか見透かされたような気持ちになって由香は同様してしまった。
 言葉に困りながらも、トキアに見つめられると、態度だけがそれに応じようとトキアを見つめ返した。
 トキアの瞳は確かに由香を見ていたのに、それ以上にもっと深い何かを捉えて憂いが生じているようだった。
 由香はどう切り替えしていいのかわからない。
 それは自分がこの状況を把握してないからではなく、トキアの瞳に何か不安が見えてそれが心を捉えてしまい、同じようにいたたまれない同情を感じたからだった。
 その時、住吉先生が現れ、由香を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。
「神谷、一体今まで何をしてたんだ。朝、会ったのに教室に居ないからびっくりするじゃないか」
「あ、あの、すみません。その、ちょっと怖気づいて」
「怖気づく? もしかして英単語のテストのことか?」
「あっ、はい」
 そういうことにしておいた。
「何言ってんだ。仕方ないな。しかしなんで志雄と一緒に居るんだ?」
「えっ、シオ?」
 住吉が横目でトキアを見たので誰のことなのか遅れて理解する。
「俺はちょっと野暮用で、その辺ぶらぶらしてたら会っただけです」
「何が野暮用だ。ほら、二人ともさっさと教室に入れ」
 下駄箱に向かい、由香はもじもじする。
 自分の上履きがどこにあるのかわからない。
「由香、ほらお前の下駄箱にまたなんか入ってるぞ」
 トキアが指で示している先を見れば、そこには上履きの上に手紙が乗っていた。
 そこが自分の上履きだと思い、由香はその手紙を手に取ろうとすると、住吉がそれを先に取ってしまった。
「なんだ、ラブレターか?」
 住吉は勝手に封を開けて、中身を取り出し読み始めた。
「先生、そんな勝手なことしていいんですか?」
 トキアが言った。
「ああ、いいんだ。悪戯なら許せないからな。何々、今日の放課後、体育館の裏で待ってます。佐々木敦」
 住吉がため息と共に哀れな声を出した。
「佐々木の奴は大胆にもこんなことしやがって。ハートマークまでつけてからに」
「あ、あの佐々木敦って誰ですか?」
 新しいキャラクターの登場だと由香は思った。
「この学校の生徒会長じゃないか」
「生徒会長?」
 益々、乙女ゲームのキャラクターの設定だと思ってしまう。
「真面目で秀才ときてる奴だ。まさか神谷に気があったとはね」
 住吉が呆れながら息を吐くように呟く。
「由香はこの学校のアイドルだからね。モテて不思議じゃないですよ」
 トキアが補足する。そして住吉も由香を好きな一人だと言うことを知っているように、意味ありげな目つきで住吉を見ていた。
 それに気がつかないフリをして住吉は二人を追い立てた。
「ほら、今からなら4時間目に間に合うぞ、急げ」
 由香は住吉に背中を押されるまま、目の前の廊下を真っ直ぐ歩いていく。
 三年一組の札が出ている教室を探して、それが目に入るとはっとするように体がビクッと跳ね上がった。
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