第三話

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 前を数歩先に歩く陽一の背中を見つめながら真紀は黙ってついていった。
 一定の距離が二人の間にあったが、真紀は肩を並べて歩くのがいいのか随分迷っている。
 しかし、結局そうする勇気がなかった。
 ほんのちょっと小走りに駆け出せば、すぐに追いつく距離なのに、彼の後ろを歩くだけでなんだか精一杯だった。
 あれだけ一緒に踊ってはしゃいでバカ騒ぎした時と比べて、この時が一番胸が一杯になって苦しかった。
 最後に一緒に手を繋いで帰れたらとつい思ってしまい、でもそんな大それたことはどうしても行動に起こせなかった。
 陽一が振り返り目が会うと、妙に気恥ずかしく最後の最後で意識してしまう。
 陽一もどこかもじもじしている様子に思えたのは、真紀が陽一も同じ思いであって欲しいと密かに願っていたからかもしれない。
「岸島はなんだか疲れた顔をしてるね」
「そういう羽住君もなんだか疲れてそう」
「それもそうだよね、あれだけはしゃいだんだから。少し休憩していく?」
「ううん、大丈夫」
 二人は穏やかに会話をしていた。
 お互い何かいいたそうで、それをいい出せないでいるようなもどかさが感じられた。
 それでも相手がそのことを話題にするまで二人は見てみぬふりをしていた。
「岸島、あれ!」
 突然、陽一が夜空を指差して立ち止まった。
 そこには最後のフィナーレを飾るようにオーロラが現れていた。
「わぁ、奇麗」
 真紀は陽一と肩を並べて見上げた。
 光が移り変わって優しく夜空を色づけている。
 そしてそれは暫くしてフェードアウトして消えてしまった。
 次第に空に光が差し込み、辺りが仄かに明るくなると、前方に扉だけがポツンと立ってるのが見えた。
 それは真紀をはっとさせると共に、心が乱され落ち着かなくなっていく。
 それでもそんな気持ちに打ち勝とうと穏やかに声を出した。
「羽住君、あれがもしかしたら出口なのかも」
「あれが、出口か……」
 陽一はじっと前を見据え暫く黙り込んだ。 
 真紀が一歩先に足を踏み出すと、陽一も静かに歩き出す。
 二人は最後に肩を並べてその扉をめがけてゆっくりと歩んでいく。
 そうしてとうとうその扉の前にきてしまった。
 観音開きのドアを目の前に、二人はそれぞれの取っ手を掴んだ。
「それじゃ開けるよ」
 陽一の掛け声で、二人がドアを開けると、眩しい光が目に飛び込んで同時に目を細めていた。
 薄暗さになれていたので、暫く強い日差しに慣れるまで時間がかかったが、徐々になれた頃、そこが建物の外だという事がわかった。
 外に足を出せば、ピンクとブルーのリボンがそれぞれについた箱がシルクのテーブルクロスがかかった台の上に置かれているのに気がついた。
 お互い自分の用意した箱を手にしてから交換した。
 二人は照れくさそうに笑っていた。
「今日は楽しかった。羽住君があのチョコレートくれたお陰。本当にありがとう」
「何言ってんだ。岸島が俺に本を貸してくれたからこうなったんだろ」
 二人はもうどっちでもよかった。
 理由が何にせよ、楽しかったことの方がずっと大切なことだった。
「ありがとな、岸島」
「それは私も同じ。ありがとう、羽住君」
 真紀はここで手を差し伸べた。
 握手する習慣などなかったけど、ここは陽一と触れ合ってみたかった。
 最後の勇気を振り絞る。
 陽一も拒むことなく、しっかりと真紀の手を握った。
「岸島……」
「何?」
「ううん、別になんでもない。さて帰ろうか」
 目の前にはセダン車が二台用意されていた。
 ヨッシーの姿はみえなかったが、これで家まで送ってもらえるらしい。
 二人はバイバイと手を振ってからそれぞれの車に乗り込む。
 そして車はそれぞれの方向へと走っていった。

 そして真紀が家に帰ると、家の中はすっきりと整理され、荷物が纏められていた。
「お帰り、デートは楽しかった?」
 真紀の母親がにこっとしてからかってくる。
「だからそんなんじゃないって、もう」
「照れることないじゃないか。だけど最後のいい思い出になったな。これで思い残すことなく引っ越せるかな」
 父親も荷物を入れたダンボールを部屋の隅に置きながらいった。
 真紀は俯いて何も答えなかった。
「あなた」
 母親が肘鉄をついて知らせると、父親はつい口を滑らしたと苦笑いになってそそくさとその場を去っていった。
「真紀、クラスのみんなには引越しすること伝えているの? 先生には早くから言ってたけど、真紀が最後まで言わないでっていったから、先生も困ってるんじゃない?」
「もうこのまま言わないでいいかな」
「何言ってるの、最後の挨拶は大事よ。みんなにさようならしてから行きましょ」
 母親が軽々しく言う様に、勝手に親の都合で人生を決められるようで真紀はなんだか腹が立ってきた。
「お父さんが海外赴任なんてしなかったら、こんなことにならなかったのに」
「いいじゃない。少しの間、日本を離れても。真紀だって生の英語勉強できるし、きっと楽しい生活が待ってるわよ」
「お母さんは多少英語できるからいいけど、私は何もかも一から始めて、勉強も英語でしなくっちゃならないんだよ。そんなのしんどいよ」
「大丈夫大丈夫、行けばすぐに覚える」
 母親はどこまでも楽観的で、真紀の気持ちなどわかりっこなかった。
 真紀は荷物の間をすり抜けて自分の部屋に行った。
 自分の部屋も随分と片付いてスカスカになっていた。
 陽一に貸した本だけはまだ本棚にポツンと残っていた。
 夏休みが始まると同時に真紀はイギリスに行くことになっている。
 いつ戻ってくるかも分からず、最低5,6年向こうで住むことになりそうだった。
 その話を聞いたとき、真紀は悲しくて仕方がなかった。
 片思いでもクラスが一緒というだけでずっと陽一を見ていられてたのに、遠く離れてしまうことが受けいられなかった。
 話したこともなかったし、存在感が薄いだけにこのまま離れたらすぐに忘れられるのが特に辛い。
 ショックで家を飛び出し、雨が降ってる中傘を持たずに町を歩いてたとき、ヨッシーが声を掛けてくれたのはびっくりだった。
 ヨッシーが願いを叶えてくれるといってきたときも、どうにでもなれというヤケクソな思いが強くて、信じる信じないという懐疑心は二の次だった。
 離れてしまう悲しさからいい想い出が作れるようにと、真紀は陽一との最後の時間を一緒に過ごせるようにして欲しいことを頼んだ。
 席を隣にしてもらえたことだけでも嬉しかったのに、こうやって最後に楽しくデートまでさせてくれたことで本当にいい思い出を作る事ができた。
 自分の想像を超えた妄想を現実にしてくれたヨッシーに真紀は感謝していた。
 それにつき合わせてしまった陽一には迷惑だったかもと、ちょっと苦笑いになりながら真紀はお土産としてもらったチョコレートの箱を開けた。
 そこには陽一のメッセージが書かれたチョコが入っていた。
 それを見て真紀は号泣してしまった。
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