第三話 ここから物語が始まりますぞ。


 岸島真紀、12歳の中学一年生。
 成長が遅い小柄な女の子で、少し消極的なところがあった。
 目立つほどの美人ではないが、髪質が細く柔らかいためにふわっとしており、存在自体も全体的にほんわかとする雰囲気のかわいい女の子だった。
 夏の衣替えも始まって、白い半袖のセーラー服に変わった夏と梅雨の入り乱れた季節、1年2組の岸島真紀のクラスで席替えが行われた。
 席は男女ペアに組み合わされる。
 まだまだ男女あどけなく、お互い隣になっても意識するような生徒はあまりいなかった。
 ただ岸島真紀だけは今回の席替えで毎日ドキドキする日々となってしまった。

 6月も過ぎるとそれぞれの生徒達の特徴も明確になり、中学に上がったばかりのころと比べて1年2組もクラスが纏まってきた感が出てきた。
 担任の先生はこの時初めてクラスを受け持ったために一見頼りない感じがしたが、慣れれば穏やかな先生でまだ中学に上がったばかりの子供達にとってうるさい先生よりも遥かにいい方だった。
 穏やかな先生といえばおっとりとして、一歩間違えば舐められそうなタイプと言えるかもしれない。
 確かに口うるさい生意気な生徒はいたが、一番リーダー的な羽住陽一(はずみよういち)が担任のことを慕うことで、担任を困らせようと暴走するまでにはならなかった。
 この羽住陽一は男女から好かれる要素をもち容姿もいいときてる。
 ハキハキと積極的にモノをいうタイプだったので、彼の一声でクラスの雰囲気が変わるほど影響力を及ぼす生徒だった。
 当然女子からもてて、このクラスの女子の何人かは陽一に憧れていた。
 岸島真紀もその中の一人だった。
 だから今回の席替えで真紀が陽一の隣になり、しかも窓際の一番後ろという周りから邪魔をされないような位置にいることは真紀にとって最高の特等席のように思えた。
 陽一は物怖じせずに誰とでも話し、当然隣の席の真紀にも友達感覚で声を掛けてくる。
 真紀は話しかけられたらそれには答えるが、なかなか自分からは陽一に話を振るようなことはなかった。
 やはりどこか意識して、恥ずかしさの方が大きい。
 それでも真紀にとって、陽一の隣の席になれたことはこの上なく嬉しいことだった。
 それがヨッシーの力でそうなったということは誰にも話せない秘密であった。
 真紀がヨッシーと初めて出会ったときは容姿も含めかなり驚いたが、雨に濡れないようにと優しく傘を差し伸べてくれたことは素直に嬉しいことだった。
 そして「好きな人がいて、その人の隣の席になりたいと思ってますね」と言われたとき、なぜそんなことが分かるのか目を丸くしていたが、ヨッシーがそれを叶えると言うと、真紀は益々訳がわからなくなって混乱していた。
 色々とヨッシーから説明を受け、またその人当たりのいい優しい口調が心地よくて術にかかったように真紀はヨッシーの言葉を受け入れた。
 真紀もその時の気分でヤケクソな部分というものがあった。
 不思議な感覚に囚われながら、夢でも一時の希望をもてるのはドキドキとして勝負しているように気持ちが高まった。
 席替えの当日、それは本当に陽一の席の隣になれた事でヨッシーの力が証明された。
 真紀は念願の席に座りながら、ヨッシーに出会えたこと、この幸運に感謝していた。
 その時陽一が話しかけてきた。
「岸島、お前さ、なんでそんなに大人しいんだ? さっきも内山が『あんたの髪の毛、パーマかけてるんでしょ』とか、笑って冗談っぽくいいながらも悪意に満ちた感じがしたけど、なんで強気に言い返せなかったんだ」
「えっ、あ、あれはその、別に気にしてないし。それにこれほんとにパーマじゃないから」
「だから、もっとはっきりと強く態度に出さないと、お前みたいな大人しい子はなめられるんだぜ」
「そ、そうかな。そんなに気にするほどでもなかったし」
「岸島のそういうはっきりしないところ、うっとうしいよな。いつか虐めに繋がっても知らないぞ。このクラスから自殺者出すのいやだぜ」
「えー、なんでそんな話に飛躍するの。そんな風に絶対ならないって」
 真紀が慌てるように言うと、陽一は笑っていたが、それに愛想良く合わせてにこやかにできても真紀の心の中は笑えなかった。
 自分の性格が好きな人から鬱陶しいと思われてると思うと、ショックが大きくて動悸がしていた。
 それを一生懸命隠そうと余計にヘラヘラと笑ってしまう。
 それが益々嫌われる要素にならないかと心配になったが、ヨッシーには自分がどんな事をしても陽一には嫌われたくないという注文を強く主張した。
 だが、どこまで自分の妄想が現実になるのか、自分自身強くこうして欲しいと具体的に頼んでなかっただけに少し不安になってくる。
 まだまだしっかりと物事を考えられるような自立心は弱かったし、常に心揺れ動く一喜一憂な不安定な年頃だった。
 それとなくちらりと陽一を見てみた。
 陽一は通路を挟んだ隣の女の子にちょっかいかけて楽しそうに話していた。
 その女の子は明るくケラケラとして、手までだして軽く陽一を叩いたりしていた。
 そこまでとは行かないけど、真紀も堂々とした態度で接してみたかった。
 陽一はクラスの人気者なのは充分分かっていたし、自分が特別な存在になれるとも思ってはいない。
 そうなれば、もちろん嬉しいけど、自分のようなものには釣り合わないと承知していた。
 だからこうやって隣の席になれたことだけでも本当に嬉しかった。
 少しでも陽一に自分の存在を分かってもらえる。
 自分が陽一の記憶に残ることが一番大事なことだった。
 こうやって隣同士にならなければ、陽一と話すこともなかっただけに、ほんの些細なことでもすごく大切に思える。
 またクラスの中で少し優越感も浸れてこれくらいの贅沢味わってもいいよねと心の中で問いかけていた。
 その時クラスの真ん中の席に座っていた内山あずさの背中が目に入った。
 陽一が指摘したようにその女の子から髪のことを言われたが、陽一の隣の席になる前はそんなことは言われたことがなかった。
 内山あずさはこのクラスでは目立つグループに所属していて、気の強い女子生徒だった。
 真紀とは接点がないし、朝、教室で目があっても挨拶するようなこともなかった。
 真紀に絡むようになってきたのは、陽一の隣の席になったことが気に食わないからだろう。
 真紀のような大人なしめで、人に合わしてはヘラヘラと笑うようなタイプは、どこか媚びたように見えるところがあるかもしれない。
 ぶりっ子とでも思われているのか、あずさには確実に真紀が気に入らない存在だった。
 もう一つの背景として、自信なさそうで消極的なところをもちながらも、真紀は一部の男子生徒からみればかわいいと思われているような女の子だったのも大きい。
 本人は気がついていないが、アンテナをはって周りを注意深く見ている内山あずさのようなタイプにはどこか脅威を感じさせるところがあった。
 そんなこととはつゆ知らず真紀は、ヨッシーが叶えてくれた自分の妄想を楽しもうとしている。
 陽一の隣に座っているときは、この一時をかけがえのない自分だけのものにしたかった。
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