第三話


「どうも、どうも、この度はチョコレート工場見学にご当選されましておめでとうございます」
 目の前にはシルクハットを被り、暑いというのにきっちりとタキシードを着こなした緑色の髪の毛の男が立っていた。
 ヨッシーだった。
 目を丸くしている二人の前でシルクハットを脱ぎ、丁寧なお辞儀を見せニタッと笑う。
「あ、あなたは……」
 真紀が言うと、その後を陽一が続けた。
「あっ、ウィリー・ワンカ!」
 陽一が叫んだ名前は、『チョコレート工場の秘密』の本に出てくる、チョコレート工場のオーナーのキャラクターのことだった。
「あっ、やっぱりジョニー・デップに似てるかな? えへっ」
 ヨッシーは俳優に似てると一人勘違いしては喜んでいたが、真紀と陽一は突然のヨッシーの登場に面食らってどう反応をしていいのかわからないまま黙って突っ立っていた。
「あら、お二人ともなんだか緊張なさってるみたいですね。どうぞリラックスして下さい。今日は私がお二人をチョコレートの世界にご案内します。私のことは ヨッシーと呼んで下さいね。詳しい説明は後々に話すとして、とにかく今日は思いっきり楽しんで下さいね。それではこちらの方へどうぞ」
 そういうと、二人を駅の前で停まっていた白いリムジンに案内する。
 ヨッシーがドアを開け「どうぞ」と手を差し伸べると、真紀は圧倒されながらも静かに乗り込んだ。
 陽一もその後乗り込み真紀の隣に腰を掛けた。
 革張りで厚みのあるシートは座り心地がよかった。
「すごい、リムジンなんて初めて乗ったぜ」
 陽一は目を光らせてワクワクしながら車内を見回していた。
 車の中は個室のように広々としている。
 ヨッシーは二人の前に向かい合わせに座り、ニコニコと笑顔を見せていた。
「お気に召されて光栄です。それでは出発と行きましょうか。運転手さん安全運転でよろしくお願いします」
 ヨッシーの一声で、車はゆっくりと動き出した。
 真紀と陽一はお互い顔を見合わせ、これから始まる冒険に無邪気に笑っていた。
 真紀はヨッシーが現れたことで、これもヨッシーが仕組んでくれたことだとすぐに気がつき、慌てることはなかった。
 陽一も工場見学が当たったと思っているだけに何が起こってもイベントの演出と思い込んでる様子だった。
 真紀はヨッシーの目を見つめ、お礼のつもりで軽く首を一振りして感謝の意を伝えていた。
 ヨッシーは目を細め自らも楽しいと笑っている。
「さあさあ、まずは乾杯と行きましょうか」
 被っていたシルクハットを脱いで、手品師のように中からワイングラスを取り出し、陽一と真紀に渡した。
 次にボトルとオープナーが出てくる。
 ポンと軽やかな音を立てて、コルクが抜かれると、ヨッシーはそれを二人のグラスに注いだ。
 自分もグラスをいつの間にか手に取り、それを掲げて「乾杯」と声を掛けると唖然としている二人のグラスに無理やりぶつけた。
「ほらほら、お二人さんも乾杯して下さい」
 言われるまま、おどおどと二人はグラスを重ね合わし、そして顔を見合わせてからグラスに口をつけた。
 それはぶどうのジュースだったが、冷たくてとても美味しかった。
「なんだか夢みたい」
 真紀が言った。
「夢じゃありませんよ。私は今日お二人を夢に見えるけど現実の世界にお連れします。そこで楽しく遊んでください。この夏の中学一年のこの一時を忘れられないくらいの想い出にしましょう」
 ヨッシーが何を言わんとばかりしているのか真紀には分かっていた。
 はっきりとどうして欲しいとは伝えなかったが、これはまさに満足する展開だった。
「岸島、なんだか俺ワクワクしてきたぜ」
「私も!」
 二人はグラスの中のジュースをぐっと飲み干すと、それはまるでワインを楽しんでいるように贅沢な気分に酔いしれていた。

 そして車が着いた先はもう夢の世界だった。
 ディズニーランドで出てきそうな遊び心満載の大きな建物がどでーんと目の前に現れると、それがチョコレート工場だった。
 大きな観音開きの扉が開いて中に入ると、パステル色にカラフルな楽しい玩具や飾りが沢山ついたおとぎの世界が広がっていた。
 それに暫く気を取られて突っ立ってみていると、いきなり床が独りでに動き出し、真紀はびっくりしてバランスを崩して倒れそうになっていた。
 その時陽一がしっかりと支えてくれたお陰で事なきを得たが、陽一の手が自分に触れてると思うと顔から火が吹き出そうに恥ずかしかった。
 廊下はベルトコンベアーのように動いて三人を運んでいく。
 次のドアの前に来たとき静かに止まり、ドアがゆっくりと開いた。
 その中を覗けば、目の前に部屋だと思えないくらいの草原が広がり、所々に艶やかなキノコや美しい花が咲いている。
 真ん中辺りには黒くつややかな川が蛇行するように流れていた。
「もう大変だったんですよ。私、あの小説読んだことなかったから、とにかく急いで読んで、その後映画観たんです。旧作と新作の二本があって、どっちもみま した。どちらも面白かったです。だけどあの雰囲気を作るのはなかなか難しいです。でも頑張りましたからどうかその努力だけは認めて下さい。それではウンパルンパの登場です。今回は私の知り合いに特別参加してもらいました」
 ウンパルンパは小説の中に登場するキャラクターで、チョコレートを作る不思議な人たちのことである。
 ヨッシーは『チョコレート工場の秘密』の話を元にこの世界を作り出していた。
 それを早口に説明するが、真紀も陽一も全てに圧倒されているので、ヨッシーの話の内容に何も疑問を持つことなくその世界に足を踏み入れた。
 困惑している間に音楽がどこからか流れてきて、映画ながらに、背が低く、体つきが丸い人たちが沢山集まってきた。
 そして映画のシーンの真似をするように歌って踊っている。
 練習時間が少なかったのか、ところどころバラバラな動きだったが、一生懸命踊っている様子はかわいかった。
「ヨッシー、ここでは俺たちも好きに行動していいのかい?」
 陽一が尋ねた。
「はい、結構ですよ。ここはお好きにどうぞ」
 ヨッシーの言葉をそのまま受け取り、陽一は真紀の手を取ってウンパルンパの中に入って一緒に踊りだした。
「ほら、岸島も踊ろうよ。チョコレートダンスだ」
 くねくねと、独特な踊りを披露する陽一がおかしくて、真紀はお腹を抱えて笑っていたが、その雰囲気に飲み込まれてそのうち自分も真似をするようになって体を動かした。
 この空間ではどんなことも恥ずかしいと思わず楽しく遊べる。
 ヨッシーも一緒に踊りだし、もっと盛り上げようと、雨ならぬ飴を空から降らせた。
 次に綿菓子の筋斗雲が目の前にさっと飛んできた。
 虹がでたと思って目を凝らしてみれば、それは色とりどりのグミが集まって宙に浮いていた。
「さあ、お好きに食べて下さい。他に欲しいお菓子があれば遠慮なく仰って下さい」
「そしたら、プリン!」
 陽一がいうと、大きなプリンがくらげのように宙を漂って現れ、ぷるんぷるんと揺れていた。
「それじゃ私は、塩味のおせんべい」
 真紀がリクエストした。
「これまた、古風な。でもいいでしょう」
 ヨッシーが髭をねじると、大きな丸い平らなものが滑るように飛んでいる。まるでUFOのようだった。
「もうなんでもありですよ。ほうら」
 ヨッシーはリクエストももどかしいと、いろいろなものを出してはそれらが全て宙に浮かんで食べ放題の世界になった。
 真紀も陽一も色んなお菓子が好き放題に食べられるのが楽しくて、調子に乗って色々とつまんでは味をみていた。
 その時真紀ははっとした。
 本の話では、過度になりすぎると子供達に災いが起こってしまう。
 自分達も体が膨れ上がったり、色がついたり、小さくなってしまうのではないかと心配しだした。
「ヨッシー、もしかしてあの本の話みたいに私達に何か災いが起こるの?」
「真紀さん、安心して下さい。本を参考にしてますけど、話は全てお二人次第ですよ。悪いことは何一つ起こりませんから安心して下さい」
 真紀も陽一もそれを聞いてホッと息をついた。
 ウンパルンパを扮する人たちと楽しく踊りながら、お菓子をちょこちょことつまんで食べていく。
 普段味わえない楽しさがここにはあった。
 だが、時折陽一から笑みが消える事があった。
 真紀はそれには気がつかなかった。
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