第四話


 予め隆道の情報を聞いた後、ヨッシーは杏里の隣に立って両腕を抱えるようにして地面を蹴り上げた。
 するとたちまちのうちに二人は宙を舞い、暗い空を浮遊する。
「怖がらないで下さい。歩くように足を動かして下さい」
 ヨッシーの言われるようにすれば、気軽に空中散歩ができていた。
 建物の明かりが小さな光の粒となって夜景が足元に広がる。
「なんかこんなシーンあったよね」
「そうですね。ちょうどハウルの動く城のDVD観たとこなんです。つい真似したくなりました。もしアラジンを観ていたら魔法の絨毯を出して主題歌を歌ってたかもしれません」
「それじゃ帰りはそれでお願いします」
「はい、わかりました」
 ヨッシーの粋な計らいに、緊張が少しほぐれ、杏里はこれからのことに益々ドキドキとしていた。
「さて、あのビルが、かつて隆道さんがお住まいになられていたマンションですけど、どうしましょ。過去に戻るタイミングは隆道さんの帰国後直前か、それとも五年前の海外赴任前か、どちらでいきましょうか」
 杏里は空中で浮遊しながらマンションを見下ろし、暫く考えていた。
 自分の恋も大事だが、あそこは謎が絡む曰くつきマンションでもある。
 折角過去に戻れるのならと、死体なき殺人事件の真相も知りたくなってきてしまった。
「ヨッシー、5年前、このマンションで死体が見つからない殺人事件が起こったの知ってる?」
「はい、それなら派手にニュースにもなりましたし、その日付まで覚えてるほどよく存じてます」
「私、その犯人も知りたくなってきた。隆道さんに会って恋に落ちて、そして事件の真相を探ることもオプションで頼んでもいい?」
「はい、それは別に構いません。今回はミステリーも取り込んで謎解きに挑戦ですね。なかなかない機会ですからやってみましょう。だけどあくまでも隆道さん との恋愛がメインですから、それは忘れないで下さいね。しっかりとここは過去を変えないと、お姉さんと隆道さんがくっつきますからね」
「もちろん、それは分かってます」
「それじゃ、タイムスリップしますよ。時間は、あの事件が起こる前日ということでよろしいですか?」
「はい。お願いします」
 杏里はジーンズのポケットに入れてあった猫のマスコットを取り出して、願を掛けるようにぎゅっと握った。
 そして周りは目まぐるしく動いては、夜、昼、朝と繰り返して戻り、その都度太陽と月が逆周りをして現れては消えてを繰り返していた。
 目を開けていればくらくらとして目が回りそうだった。
 グニャグニャと体が伸ばされていく不快な感覚と、気が遠くなりそうに振り回される気持ち悪さ。
 杏里は目を瞑り、必死に耐える。
 そして周りの空気の動きがピタッと止まるのを肌で感じたとき、ヨッシーが静かに声を発した。
「ご指定の過去に戻りました」
 日は高く、空は清々しく晴れていた。
 ヨッシーは優しく杏里をエスコートしながらゆっくり地上に降り立つ。
 足が地面についた時、二人は目の前のマンションを今見上げた。
 十数世帯が入れる三階建ての横に長い鉄骨マンション。
 コンクリートの箱のようにがっしりと建っていた。
 殺人事件は一階、一番右端の部屋というのはニュースの映像などで見て、杏里はなんとなくイメージ的に覚えていた。
「隆道さんはどの部屋に住んでたのかな」
「郵便受けに名前書かれてないでしょうかね」
 二人はマンションの中央、階段がある付近に設けられていた郵便受けを覗きにいった。
 ここにはエレベーターがなく、住民は階段を使用しなければならなかった。
 その階段はこの建物の真ん中に位置し、左右対称にこの建物を分けている。
 この階段のある場所がマンションの正面玄関となって、全ての者がここに来てからそれぞれの部屋へと左右に分かれて行くようになっていた。
「あっ、あった。201茨木って書いてある。ということは二階に住んでるんだ」
 杏里は後ろに下がり、このマンションの全体像をもう一度眺めて隆道の部屋を確認していた。
「あそこに住んでいるのか……」
「で、殺人事件があったのは確か、その真下の部屋ですね」
 ヨッシーは面白いといった感じで、上下を交互に見ていた。
「でもこの時点ではまだ起こってないから、これから起こるってことよね。なんだか怖い」
 杏里は軽く身震いしていた。
「とにかくまずは茨木隆道さんの事に集中しましょう。どうします? 早速会いに行きますか?」
 隆道という名前を聞くや杏里は興奮し、勢いよく首を縦に振った。
 しかし、いざ二階の201号室のドアの前に二人が立つも、良く考えればなんの対策もなく、この先をどうしたらいいのか急に不安になってきた。
「このまま立ってる訳にもいきませんので、とりあえずドアをノックして呼び出しますか?」
 ヨッシーが言った。
「だけど、隆道さんが出てきたところで、私はどうすればいいの?」
「一目ぼれされるというのはどうでしょう?」
「そんなこと、できるの?」
「そこは、自力で愛されそうな笑顔を作って頑張ってもらうしか……」
「ちょっと、無責任なこと言わないでよ。一応何でもできるんでしょ。それぐらい協力してくれてもいいじゃないの」
「まあ、できない事もないんですけど、私は安易に感情を故意にコントロールすることは避けるタイプでして」
「何でそこで拘るのよ。だったら、どうやって一目ぼれされればいいのよ」
「お姉さんの杏樹さんと恋に落ちたのなら、よく似てらっしゃる杏里さんにもその可能性はあるということですから、それは会ってみないとわかりませんよ。ここはとにかくまずは顔を合わせて試してみるのが一番かと」
「そんな…… 顔を合わせて上手くいかなかったらどうするのよ。その時はちゃんと責任取ってくれるの」
「しかしですね、とりあえず顔合わせしない事には始まりませんし、さて、どうしましょう」
「どうしましょうじゃないわよ。ヨッシーが力を貸してくれなきゃ、私の思うようには進まないじゃないの」
「わ、わかりました。その時は私も杏里さんが有利になるようになんとかしてみます」
 二人がドアの前で煩くやり取りをしていると、目の前のドアがいきなり動き出した。
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