第四話


「結局のところ、あまりお役に立ちませんでしたね」
 女性を夜逃げさせ、過去にこれ以上いても仕方がないと、その後はすぐに現在へと戻り、ヨッシーは物足りない気分で一杯だった。
「ううん、そんな事なかった。ヨッシーが願いをきいてくれたから、私もすっきりした気分で隆道さんの事忘れられたし、それに何よりあの殺人事件が起こってなかったと知れて、すごく安心した」
「まあ、杏里さんが納得して下さったら、それはそれでいいんですけど、私にとってはなんだかすっきりしません」
「いいじゃない、こういう現実を見せられる恋もいい。これからは安易に顔で惚れずに、中身を見て選びたいと思うようになったし、これはこれである意味ハッピーエンドだと私は思う」
「そうですか、そこまで仰って下さるのなら私も溜飲が下がります。それじゃもし何かまたお手伝いできることがあったら、仰って下さい。これよかったら持ってて下さい。私の写真です」
 ヨッシーは写真を一枚、杏里に手渡した。そこには決めポーズのヨッシーの顔が写っていた。
「あ、ありがとう」
 杏里は記念にいいかと思い、手にとってみたが、見れば見るほど苦笑いしてしまう。
「私の助けが欲しい時は、その写真に呼びかけて下さい。そしたらすぐそこから飛び出しますから」
 どうしてもまだ助けたいと思うヨッシーの気持ちに、杏里は素直に感謝し、そして微笑んだ。
 その気分が良いまま、杏里はヨッシーにエスコートされて家路に向かい、アパートの前でヨッシーと別れた。
 アパートに戻れば、黙って飛び出し、夜遅く何をしていたと姉の杏樹に叱られたが、疲れていたので、杏里はすぐに寝床に入って寝てしまった。
 そして翌朝、騒いでいる姉の声に起こされた。
「お姉ちゃん煩い、静かにしてよ」
 杏里が文句を垂れると、姉はむすっとした顔で杏里の枕元に寄ってきた。
「杏里でしょ、私の黒猫のキーホルダー隠したの。返してよ」
 その一言ですぐさま目が冴えた。
 杏里はこの時まですっかり黒猫のキーホルダーの事を忘れていた。
「どこかに落ちてるんじゃないの。もう一度探してみたら。お姉ちゃんはすぐ私のせいにするんだから」
 とぼけてみたものの、杏里が盗ったことには間違いがないので、ここはなんとか切り抜けて、後で何気に部屋の隅に転がしておこうと計画していた。
 姉はムスッとしながらも、また色々な場所を探し出した。
 その隙に杏里は前日着ていた服のポケットにすぐさま手を入れてみたが、探せどそれが出てこない。
「あれっ、あれっ?」
 良く考えた末、ハンカチを出したことを思い出し、その時に床に落としたのではと推測する。
 そしてそれが何を意味しているか考えた時、全ての謎が解けるような思いにかられた。
 隆道が持っていた黒猫のキーホルダーは元々姉の杏樹のものであり、それを過去に持って落としたことで、隆道の手に渡り、一時的に二人が持ってる時間軸が重なりパラドックスで二つになってしまった。
 そしてこの時点では一つになって、隆道が持っているものだけとなった。
 そう考えれば、色々と辻褄があってくる。
 隆道があの黒猫のキーホルダーを姉に見せたのは、過去に戻った杏里と顔がよく似ていたから、本人かどうか確認したかったのだろう。
 ちょうど5年の歳月が経った後では大人になった分、いい感じに年を取った杏里の姿と考えれば、隆道にとれば杏樹を杏里と見なしていてもおかしくない。
 また自分の整形した顔を向けて、当時の自分だと気付くかどうかも試したのかもしれない。
 姉はそんなことも知らないから、同じキーホルダーを持ってることで親しみが湧き、整形後の隆道と成り行きながら恋に落ちてしまった。
 隆道も結局は他人の空似と思って、純粋にそのハプニングを楽しんだに違いない。
 そして今度は杏里に会った時、それこそ隆道にとったら5年前に会った時の全く同じ顔だったので、もちろん本人だからそうなるのだが、これも同じように確かめようとして、杏里の事を根掘り葉掘り訊いたり、黒猫のキーホルダーを見せて念のため様子を見ていたのだろう。
 それを杏里が気があると勝手に勘違いしてしまった。
 全ては杏里が過去に戻って隆道と接触したために、起こった出来事だった。
 なんということだろう。
 過去を変えようとしたはずが、結局はそれが軸となって未来が出来上がっていた。
 隣の部屋からはまだバタバタとキーホルダーを探している姉の物音が聞こえてくる。
 杏里はなんともいえない脱力感を感じ、大きく溜息をついた。
「お姉ちゃん。もう諦めたら」
「嫌よ、あれは隆道さんと出会わせてくれた、大切なアイテムなのよ。それを無くしただなんて、そんなの耐えられない」
「だったら、またガチャガチャで取ればいいじゃない。黒猫が出るまで私が全部費用持つから」
「でも、そんなの意味が違う」
「違わないって、ようするに隆道さんと同じのを持っていればいいんだって」
 どう探しても出てこないし、姉の持っていた物は実は一度過去に戻って隆道が手にしたものだと杏里は正直に言いたくなった。
 それもできず、どうしても諦められない姉を無理に説得し、その日はガチャガチャをするために出かけることにした。
 ちょうど、出かけ際に、引っ越してきたばかりのシガラキとまた出くわしてしまった。
 「おはようございます」とお互い挨拶をして、それでお終いだと思っていたが、その後シガラキが話しかけてきた。
「あの、ちょっとお伺いしたいんですけど、この写真見ていただけますか?」
 その写真は町イベントか何かの催しに参加している男性の顔が写っていた。
 姉の杏樹がそれを手に取り、間近で見るも心当たりがなく首を傾げ、その隣で杏里は「ん?」と何かが頭にひっかかったように釈然としない顔つきになった。
 シガラキは杏里の表情を見逃さなかった。
「何か覚えがありますか?」
「うーん、どうだろう。なんか見覚えがあるようで、ないような。似たような人を見てそう思うのか。よくあるようなあまり特徴のない顔ですよね。一体どうしたんですか?」
「そしたら、こちらはどうでしょう」
 今度は女性の写真を見せられた。
 これを見て杏里は目を見開いて驚いた。
 この女性こそ、前日、といっても5年前の過去ではあったが、夜逃げの手伝いをした女性だった。
 杏里は悟られないようにシガラキを見つめるが、シガラキは鋭い目つきを杏里に向けていた。
「何かご存知なんですか?」
「いえ、別に。だけどなぜ、この人たちについて訊くんですか」
「実は隣町で起こったある事件の調査をしてまして」
 同時にシガラキは警察手帳を一緒に見せていた。
「えっ、刑事さんだったんですか。あっ、もしかして5年前の死体なき殺人事件ですか!」
 杏里はびっくりして声を上げてしまった。
 だがあれは実際起こってない殺人事件であり、それに自分も一応関与はしている。
 杏里は真相を知ってるだけに、そわそわとして落ちつかなくなった。
 少しの事も見逃さない職業柄、シガラキは杏里が何か知っているのではと疑い出した。
「何か心当たりでも?」
「いや、ちょっとびっくりして。あの事件はこの辺りではかなりニュースになったし、それくらいしかわかりません。ねぇ、お姉ちゃん」
 姉に顔を向けて、助けを乞う。
「そうね、身近に起こっただけあって、この辺では有名だからね。だけどまだ犯人見つからないんですか? その写真と何か関連があるんですか?」
「いえ、まだそうと決まった訳じゃないんですか、ちょっと気になることがありまして」
 姉の杏樹の言葉にシガラキは答えながらも、視線は杏里を向いている。
 杏里はますます落ちつかなくなり、姉の服の裾を引っ張った。
 それを合図に、姉も話を切り上げるようにもっていき「急いでますので」と今更ながら嘘も方便にシガラキから遠ざかった。
 背中を向けて歩いていも杏里は突き刺さるものを感じ、とてもぎこちなくなって、手足がロボットのようだと感じていた。
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