第四話


「あの刑事さん、なんか図太い人よね。いきなり押し掛けてくるから、もうびっくりしちゃった」
 腹いせのように箸を荒っぽく茶碗に突っ込み、杏樹はご飯ををすくい上げてひょいと口にほうり込んだ。
 その調子でパクパクと次から次へと食べ出す。シガラキの厚かましさに立腹し、食べる事で発散していた。
 それとは対照的に、真相を全て知っている杏里はチラチラと隆道を盗み見しながら、言いたくても言えない気持ちを抱え込んで、食事も喉を通らない。
 隆道も昔の自分の写真を見せられ、不安なのか箸の動きが鈍かった。
「どうしたの、二人とも、全然食べてないじゃない。そんなに美味しくなかった?」
「ううん、そんな事ない。お姉ちゃんの料理は美味しいよ。ねぇ、隆道さん」 
「うん、杏樹の料理は美味しい」
「やだ、二人ともなんか変。やっぱりシガラキさんが殺人事件の話持ってくるから、食欲なくなっちゃったのね」
「シガラキさん、別に殺人事件を追ってるわけじゃないよ。ただ、行方不明者を探ししてただけみたい。それが隆道さんと同姓同名なんだって……」
 語尾が弱く沈んでいく。杏里はちらりと隆道を見て反応を伺った。
「えっ、同姓同名だって? 迷惑な話だな」
 隆道はぎこちなく箸を動かし、取り繕うようにおかずを口に運びだした。
 口の中が一杯になると、もう喋られないと示唆するように、暫くは食べる事に専念していた。
 杏里はそれが男らしくないとイライラしてしまう。
 整形していても、家族には本当の事を話せばいいのに。行方不明者扱いされるよりはよっぽどいい。
 食事が終わり、作ってくれた姉の変わりに、今度は杏里が片づけを担当し、皿を洗っていた。
 杏里が背中を向けているのをいいことに、杏樹と隆道はテーブルに横並びになって、二人でいちゃいちゃとしている。
 舞い上がっている姉の猫なで声と、格好つけている隆道の声が、どちらも演じているようで杏里には耳障りだった。
「そうそう、杏里ったら、変なものに拘っちゃって、ほらこれ見て」
「これは……」
 隆道はそれを見るや否や、血の気が引くほどに驚いていた。
 なんの話をしているのか、杏里がタオルで濡れた手を拭きながら二人を振り返れば、隆道の前にヨッシーの写真が置かれていた。
「あっ、ちょっとそれ、返して」
 杏里は慌てて取り戻そうと手を伸ばしたが、杏樹はそうはさせずにヒョイと摘まんで遠ざける。
「お姉ちゃん、やめてよ」
「なんでこんな変なブロマイドなんか持つのよ。一体誰これ? 何かのコスプレなの? 緑の髪にシルクハット、それにタキシードなんか着てアニメキャラクターみたい」
「お姉ちゃん、返してよ」
 杏里が必死になっていると、隆道は写真を持ってる杏樹の手を抑え、優しく耳打ちした。
「妹を虐めるなんてよくないぞ」
「えっ、虐めてるわけじゃなくて、からかってるだけよ。杏里の方がいつも悪いことするんだから」
 隆道に言われると、杏樹は観念して写真を杏里に返した。
 杏里はそれを手にすると、隆道は訝しげな目つきを向けた。それは整形する前のあの目と同じに見えた。
 隆道はヨッシーを覚えていたに違いない。あれだけの変わった風貌で特徴のある服を着ていれば、忘れようがないだろう。
 しかし、隆道にすればそれは5年前の出来事である。その頃の杏里は中高生で、今よりもかなり幼く見えたはず。
 それがありえないと分かっているから、隆道は混乱しているようだった。
「一体そいつは誰なんだ? 何かのキャラクターなのかい?」
 隆道は取り繕った笑顔を添えて訊いた。
「そ、そうなの。昔、何かのローカルな会社のマスコットキャラクターだったみたいなんだけど、なんか愛嬌があるから面白くてオークションで手に入れたの」
「マスコットキャラクター?」
「なんでも、こんな格好して便利屋みたいなことしてたみたい。今はその会社もつぶれたみたいだけどね」
「ああ、あれね、マクドナルドのドナルドみたいなキャラ。化粧してあの衣装を着れば、誰でもドナルドに変身できる生身のキャラだよね。昔はこんなかっこうして働いてた人が各地にいたのかもね。私は見たことないけど、実際に私も見てみたかったな」
 杏樹が例えてくれたお蔭で、隆道は納得したような和らいだ表情になった。
「へぇ、杏里ちゃんは変わったものが好きなんだね。そういえば、昔そのキャラクターを見たことある」
 隆道が見たといえば、それはヨッシーそのものだから、あれは紛れもない本当の隆道の姿だと自分で白状しているのと同じだった。
 自分もそこにいたから間違えようがない。
 隆道が真実を隠し通そうとすればする程、杏里は虚しくなっていく。
「ねぇ、隆道さんはお姉ちゃんの事好き?」
「なんだよ、杏里ちゃんいきなり。もちろん、好きだけど」
 それを聞いていた杏樹は隣で照れていた。
「お姉ちゃんは、隆道さんの事が好き?」
「もちろんに決まってるでしょ。腹いせに辱めようとしてる訳? ん、もう、この子ったら」
「それじゃ、隆道さんがどんな姿であっても、お姉ちゃんはずっと好きでいられる?」
「一体どういう事よ。そんなの当たり前じゃない」
 堂々と杏樹が言い切っている側で、隆道は怪訝な顔をして杏里を見つめた。
「どんな姿って、一体どういうことだい?」
「ほら、いつかは禿げるかもしれないし、太るかもしれないでしょ。お姉ちゃんは見掛けだけで隆道さんの事好きでいるんじゃないかと思って」
「やだ、杏里、何を言うのよ。隆道さんはそんなことならないわよ。失礼ね。ごめんなさい、隆道さん、杏里はね、私にヤキモチやいてるのよ。だから、あんなこと言って、私を困らそうとしてるだけ。まだまだ子供なの」
 杏樹の言葉に、隆道は鼻で笑っていた。
「そっか、ヤキモチか。それじゃ、俺は消えた方がいいな」
「ええ、もう帰るの?」
「うん、また来るよ。杏樹、美味しい食事ありがとう。今度は俺が食事に招待するから。もちろん、杏里ちゃんも」
 ニコッと微笑んだ偽りの仮面は、この時も完璧でかっこいいが、それは真実の顔ではないと杏里は冷めた目で見ていた。
 真実を知ってしまった後は、興ざめしてしまい、隆道さんのかっこいい仮面を見せられると、その下にある本当の顔が浮かび上がってくる。
 隆道が玄関で靴を履いている時、また前日と同じようにコンビニに行くと言って、杏里は一緒に外に出た。
 蒸し暑いその夜は、月も出ていなくて街灯の明りだけでは薄暗かった。人通りも少なく、すれ違う人や車も殆どない。
 人気のないひっそりした道は、暗いトンネルの中を歩いているようだった。
「あのね、隆道さん」
「どうしたんだい、杏里ちゃん」
「隆道さんのご両親はお姉ちゃんと付き合ってること知ってる?」
「俺には肉親がいないんだ。事故で亡くしてしまった。そのことはすでに杏樹にも伝えてるよ」
「えっ?」
「俺は天涯孤独なんだ。だから、家族ができるというのは嬉しい」
 隆道は夜空を仰いで、微かに笑っていた。
 だが、杏里は違和感を抱いてしまう。それは本当なのだろうか。それなら、なぜシガラキは隆道を探しているのだろう。
 てっきり家族が捜索届けを出しているとばかり思っていた。
「そっちの家族はどうだい?俺の事はもう話してるのかい?」
「あれ、それはどうなんだろう」
 杏里の方が返答に困ってしまった。
「そのうち、挨拶に伺わせてもらうよ。受け入れられるといいんだけど」
 そこには自分の容姿に自信を持って、絶対受け入れられるという自信が感じ取れた。
 偽りの顔なのにと思うと、杏里はなんだか腹立たしくなってきた。
「それに俺は別に婿養子になってもいいんだ。名前が変わることに違和感ないしね」
「だから顔も簡単に変えられるわけ?」
「えっ?」
 とうとうやってしまった。
 杏里は我慢できなくなり、夜の暗さを隠れ蓑にして、言いにくいことをはっきりとぶつけた。
 隆道は明らかに驚いている。
 ぎょろっとした見開いた目が、暗い穴から飛び出したように杏里を見ていた。
「杏里ちゃん、一体何を言ってるんだい?」
「だから、私知ってるの、隆道さんが整形して顔を変えたこと。シガラキさんは整形前の隆道さんを探してるから、気がつかなくて同姓同名だと勘違いしていること」
「……」
「隆道さん、どうしてシガラキさんは隆道さんの事を探しているの?」
「杏里ちゃん、俺にはさっぱりわからないよ。いくら自分のお姉ちゃんの恋人だからって、それは失礼じゃないのかい? 冗談きついな」
 あくまでもとぼけて逃げ切ろうとしている。
 しかし、杏里はすでに真実を知りすぎ、シガラキが見せた全ての写真の人物を知っている。
 一枚は隆道の整形前の写真、もう一枚は夜逃げを手伝った女性、そして最後の特徴のない顔の男の写真は、隆道の引越しの手伝いをしているとき、まだ蓋を閉じてなかった箱の中に紛れて入っていたのを見ていた。
 それをはっきりと思い出したのだった。
inserted by FC2 system