第一章


「それじゃ、確かに送り届けました」
 ワットと話をしているうちにあっという間に到着し、自宅前で降ろされる。ここでは雨がまだ降っていた。でも雨の滴は宙で固定されたようにその場に留まっているように見えた。
 今何時だろうと思っていると、運転席から首を出したワットは顔を時計に変えた。
その時計の姿のまま言葉を発した。
「時は僕がここへ迎えに来たときと同じままです。あなたがここを離れてから、ここでの時間は止まってます。僕が去ると同時にまた時が動き出します。それではよい一日を!」
 「ありがとう」と礼を言った後、ワットとイットはあっという間に空を飛んで消えてしまった。 それと同時に雨粒が容赦なく降りかかってきた。
 私は空の彼方を見上げる。変な人とバスだったけど、別れはやっぱり寂しかった。
 じっとしていると雨脚が強くなってきたのを感じた。このままでは濡れてしまう。傘を手に持ってないことに気がつく。そういえばあの傘は展示したんだった。
 大人の亜由美ちゃんの事を思い出しながら、私は玄関に置いてあった予備の傘を手に取る。それを持って学校に向かった。
『元の世界に戻ったら、通学途中の交差点に気をつけて。特に右折してくるトラックを見たら絶対に道路を渡らないでね』
 亜由美ちゃんの声が脳内で繰り返される。
 私は車が側を通る度に警戒しながら慎重に歩いていた。
 通学途中の交差点といえば、学校の近くにある交通の量が多い車道に違いない。その付近まで来たとき、傘を差した学生がまばらに歩いていた。
 その先の横断歩道で、ちょうど青信号を渡っている卵色の傘が目に入った。
 亜由美ちゃん!
 私は駆け出してしまう。いや、ちょっと待て。ここで追いかけて横断歩道を渡ろうとすれば、自分が道路を渡りきらないうちに、赤に変わっているに違いない。
 そして交差点の前方から向かってくるトラックが右折すれば、ちょうど渡っている途中の私と接触してしまう……それが原因だ。
 私ははやる気持ちを抑え、横断歩道の前に立ち止まる。青信号が点滅しているのを横目に、その先を歩いていく亜由美ちゃんを目で追っていた。
 落ち着け、落ち着け。まずは自分がここで事故に遭うのを避けるべきだ。
その時後ろからキャーという声が聞こえ振り返る。目に入ったありえない光景に私は驚いた。軽自動車が歩道に乗り込んでこっちに向かって暴走してきている。このままでは自分はその車に轢かれてしまう。
「うそ、なんで」
 私は咄嗟にそれを避けようと、本能で道路側へと体が動いていた。その時、トラックが右折して私の方に向かっている最中だった。
 その一瞬で私は気がついた。
 最初からこういう事故で、私は無理に赤信号を渡ろうとしていたわけじゃなかった。
 亜由美ちゃんの姿を見たとき、何も知らない私はきっと声を掛けようか躊躇したに違いない。お揃いの傘を持っていてくれたのは嬉しかったけど、ずっと無視をされて今更その傘を持つ意味が私には困惑に繋がったのだろう。
 罪悪感からくる私への精一杯の謝罪。恩は忘れてない証しにも思える。どんな心境なのか、私は亜由美ちゃんを追いかけずに一度立ち止まってその様子を窺っていたのかもしれない。その時に運転を誤った軽自動車が歩道に乗り上げて突っ込んできた。
 結果的にそれを避けようとして、正面からやってきたトラックが右折したときに運悪く轢かれてしまった。暴走していた軽自動車がチェーンリアクション的にそれを引き起こしてしまった。
とてつもない恐怖が私を襲った。目の前が真っ暗になった。
 ミシロが言っていた、亜由美ちゃんの過去は変わらない。それって私が最初からこうなることになるからだ。私の未来がどうなるのかわからないのも、はっき りと私にこうなる事を言えなかっただけだ。私たちふたりの世界は平行線なんかじゃない。ミシロは私たちに希望を持たせただけだ。 それとも本当の事が言え なかったのかもしれない。
 結局私たちの話は何も変わらない。変えられなかった。
 仲たがいした私たちは、私が死ぬことで亜由美ちゃんの物語が引き立っていく。これは亜由美ちゃんの物語であって、私の物語じゃなかった。だって私は冴えない引き立て役だったのだから。
「ケッ、そんな瀬戸際でそんなに考えられるものなのか」
 こんな状況で男の声がした。
 何が起こっているのか困惑で頭が真っ白だった。
「まあいい、俺が書き換えてやるよ。何がお涙頂戴の展開だ。そんな悲しい話にしたって誰も気に留めてくれないぜ。ミシロの奴にひと泡ふかせてやる。お前の話は陳腐だってな」
「えっ? 一体誰なの?」
 私の疑問に答えないまま、その声の主はいなくなったのか全てが無になった感覚を覚えた。
 そして、何かがぶつかる音が派手に聞こえた後は、私の気が薄れていった。私は死ぬのだろうか。

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