第一章


「ミシロ、大変じゃ」
「どうしたのですか、ウェア」
 私のオフィスにノックもせずにウェアが息を切らして入ってきた。机に向かってキーボードを打っていた手を止め、私は回転椅子をゆっくりと回してウェアと向き合った。
 椅子に座っていてもそれより低いウェアを見下げてしまう。
「お嬢さんが」
「お嬢さん? あの佳奈さんのことかしら」
「そうじゃ、あの子じゃが」
 ウェアが何かを言おうとしたとき、ウェンがその時パッと現れ騒ぎ出す。
「大変よ、ミシロ」
「おいおい、ウェン、割り込んでくるな。わしが話してるところじゃぞ」
「何よ、おっちゃん、それどころじゃないんだから」
「何を言っておる、こっちは一大事じゃ」
「アタチだって一大事なんだから」
 ふたりがお互い大変だと言い張るだけで一向に話が進まない。
「ちょっとふたりとも、順番に何があったか話してくれないかしら。これではいつまで経っても何が一大事なのかわからないわ」
 私は呆れてふたりを見た。
「もう、ミシロ、落ち着いてる場合じゃないのよ。展示していた佳奈と亜由美の傘が消えたのよ」
 ウェンが我先にとウェアを抑えて私に訴える。
「傘が消えたじゃと。なんとそうなったか」
 もがいていたウェアの動きが止まり、その後大きくため息を吐いていた。
「おっちゃん、なんか知ってるの?」
 ウェンがせわしなく宙を飛び回る中、私もウェアの言葉を待っていた。
「そうなんじゃ、佳奈が生きとるんじゃ」
 佳奈が生きている。それはありえることでもあった。未来に何が起こるか知っていれば多少の変化があってもおかしくない。
「何を落ち着いてるんじゃ、ミシロ。展示品が消えたんだぞ。物語がこの博物館からなくなってしまった」
 ウェアは大変なこととして私に知らせている。
「そうね、それは残念だけど、起こりうる可能性も少なからずあったわ」
 時にはそういうこともこの博物館では起こることもある。でもそれはまれなことだけれども。
 物語の主が成長して流れが変わる。勝手に話の筋が変わったことで消え行く展示品も中にはある。 それが物語の主たちのためになるなら、予期せぬことも仕方ないと私は最初から想定している。
「違うんじゃ、自然に起こればそれはわしも納得するわい。でもこれは故意に物語が書き換えられたんじゃ」
「おっちゃん、それ本当?」
 びっくりしてウェンのツインテールが一瞬跳ね上がっていた。
「わしもこの話の結末が読めなくて、佳奈が助かるか助からないかが大きな軸だと思った。助かってほしいともちろん望んでいた。その時はまた会いに行こうと思っていたくらいじゃ。それでどうなっておるのか様子を探りに行ってみれば、あの子が病院のベッドにいたんじゃ」
 ウェアは一度片眼鏡の位置を整えた。
「わしはベッドの下に隠れて様子を見ていたんじゃ。すると世話をしていた母親との会話が聞こえてきた」

 ――入院して一週間以上は経つけど、クラスの誰も見舞いに来ないなんて。
 ――みんな忙しいのよ、学生だもん。それに私、亜由美ちゃんの夢を見ていた。私と疎遠になったこと後悔してたんだ。だからお見舞いにきてくれそうな気がする。今は亜由美ちゃんもいつ来たらいいのか悩んでるんだと思う。

「それでどうなったの?」
 ウェンが聞いた。
「結局、亜由美は待てども来る気配はなかった。唯一クラスの担任が代表してきただけじゃった」
 ウェアは首を横にふって残念そうにしていた。
「全てが夢だと思い、亜由美がお見舞いに現れなかったから、傘が消えたの? ふたりの友情はなくなって全てがなかったことになったの?」
 ウェンは答えを確かめるように私に訊いてきた。
「これが現実なのかもしれない。佳奈さんの命は助かったけど、亜由美さんはそのせいで人生を後悔するような罪悪感を持たなくなったと言うわけね。まだ高校生だし、どのように行動していいのかもわからないのよ」
 私は仕方ないことのように言った。
「だから、違うって。話が書き換えられたんじゃ。わしたちならこんな結末は思ってなかったし、佳奈だって死んでしまう展開の方がまだ救いがあるというもんじゃ。これはあまりにも後味悪く不自然だ。それにこんな結末をミシロは思ってなかっただろう?」
 ウェアは私に心当たりがないか、意味ありげな目を向けた。
 私たちはこの博物館で物語を管理している。展示品はその物語に欠かせないアイテム。ここに訪れる人はそれを見て自分の物語を紡いでいく。
 誰かに知ってほしい。何かを感じてほしい。必ず誰かの心に響くと願っている。
 だから私はここに相応しい話を集めている。
 佳奈さんと亜由美さんの物語にも私は感情移入して少し涙ぐんだくらいだ。思春期のよくあるすれ違い。大人になってから昔の友達を懐かしむ。自分が子供だった頃のおろかさを後悔しながら。
 そこに命を落としてしまったかつての親友。心に傷を持ちながら大人になってしまったとき、再び時空の歪みの中で出会って再会する。それだけで感動の要素に包まれハッピーエンドを期待する。
 しかし、その中に不穏な部分が隠れてここで真実が明らかになる。それが佳奈さんの事故の本当の原因だ。結局は佳奈さんは未来を知っていながらそれに抗え なかった。そのせいで亜由美さんの後悔も消えないままだ。亜由美さんはやがて大人になり罪に苛まれ、また救いを求めここに来る。
 そうやって物語はループしていく。その証しとしてふたりの傘がずっとこの博物館に展示され続けるはずだった。
 何度とその世界を繰り返す――そういう不思議な輪のストーリー。
 私はそれをもっと面白く話を演出し文章に残す。
 今だってちょうどその話を文に書き起こしていたところだった。主人公は亜由美さんの方。亜由美さんの視点で語られる。
 それをいつか誰かが目にする時が来る……はずだった。
「仕方ないわ」
 私はできるだけ感情を抑えたつもりだった。
「ミシロ、何をそう冷静を装っておる。ごまかそうとしても言い方がつっけんどんになってるぞ」
 ウェアに指摘され、私は息を整えた。
「物語は生き物よ。私の思うように行かないこともあるわ。キャラクターたちが勝手に動いて、思ってもみなかった変化をすることだってよくあること」
「何をいっておる。ミシロや主要人物以外の誰かが故意で書き換えるのはまた違う話だ。ミシロが求めているものとかけ離れたら、それはこの博物館から消えてしまいミシロの努力が水の泡だ。ミシロはそれでもいいのか」
「それはそれだけのものしか生み出せなかったってこと。まだ物語はたくさん残ってるわ」
 そうやって私は物語を見つけてきた。ここは誰かが必要とする場所でもあるけど、私が物語を世に送るところでもある。
 私の博物館はまだまだ必要としてくれている人がいる。そうに決まっている。
「でもさ、書き換えられたのなら、それをしたのは一体誰なんだろう?」
 ウェンが首を傾げた。そして私はすぐに答える。
「私と私が綴る話が嫌いなアンチでしょ。そういう輩はどこにでもいるわ」
 私がそれを口にしたとき、無性に悔しさが募りだす。でもこの時はそれを気にしないように無理に虚勢を張っていた。
「なんでミシロが嫌われないといけないのよ。ミシロは博物館の展示物を見つけるのも上手いし、綴る物語だって面白いのに」
 ウェンは自分の事のように憤慨してくれていた。少し溜飲が下がる。
「アンチにとったら気に食わないのよ。どこかで自分の気に入らない部分を見つけたとき、先入観が生まれてそれを公平な目で見えなくする」
 私にも経験がある。だから腹は立つけどもアンチの気持ちも多少はわかる。
「これはミシロの見つける物語に嫉妬してるってことかのう?」
 ウェアは私に心配の目を向けた。
 物語は星の数以上に構成される。他にもたくさんの綴り手がいてそれは複雑にこの世に放たれている。でも大概は読まれないものが多い。
 だから私は特別な場所を作り、たくさんの人に見てもらえる機会を作った。でもまだ思うように人は集まっていない。
 でもいつかきっとここが必要な人がいる限り、私も同じように必要とされる時がくると信じてこの博物館に身を置いている。
 実際事を運べば、思うようにできないことの方が多い。でもひとりでも何か心に残るものが紹介できたらと思う。
 そんなときにアンチが先に現れるなんて。
「憶測で決め付けるのはよくないわ。とにかく様子を見ましょう。それよりも、佳奈さんの物語をここで終わらすわけにはいかない。書き換えられたのなら、こちらだって書き換えるわ。プランBでいくわ」
「プランB?」
 ウェアもウェンも声を合わせてた。
 私はコンピュータに向かい、簡単なプロットを考える。
 アイデアが浮かんだ時、キーボードの上で激しく指を動かしていた。

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