第三章


 こういう展開の話なんだ……。私はどう思っていいのか正直混乱していた。
 今まで、こんな本を読んだことはなかった。そういえば、手にした本のほとんども同じように今まで読んだことはないものであったが、それ以上に知らない世界を見てしまった驚きがあった。慣れない男同士の恋の展開に私は違和感を覚えてしまった。
 好きな人にはきっと楽しめる話なのだろうけど、初めて読んだ私には刺激が強すぎた。途中から本を閉じて読むのを断念した。
 最後まで読めばそれなりに楽しい話なのかもしれないけど、どうしてもこれを拓海さんが読んだと思うと、なんか恥ずかしいような、信じられないような、体がぞわっとしてその後ブルッと震える感覚があった。
 個人の趣味を否定するわけじゃないけど、私が読んでも刺激が強すぎるのに男性は気にせず読めるものなのだろうか。
 これはどうしても女性向きの話に思える。でも本だから、何を読んでも自由には変わりない。
 しかし、やはり何かしっくりとこないものを感じていた。
 その時ふとある考えが浮かんだ。そう思うや否やすぐに否定する。
 この本のせいで、安直に拓海さんはもしかしたらゲイなのかもしれないと考えてしまっていた。
 私に言えない不治の病も、それにちなんだ病気といえば、HIVという俗に言うエイズを想像してしまう。よく知らないけど男同士に多いイメージをどうしてももってしまう。
 まさか。
 だけど、そう思えば正直に病名を私に言えないこともしっくりくるし、やはり世間でもあまりおおっぴらに明かすことも憚られそうなものではある。
 例えそうであっても、私は拓海さんを好きになってしまった後では隠さなくてもいいと言ってあげたい。
 偏見はもちたくないし、今の時代は男性同士の恋愛も否定するほうがおかしいようにも思う。 ちょっと突然のことにショックではあるけども、普通の生活ではその病は移らないものだと認識があるし、理解も浸透してきているし、治療も進んでいる。
 私は自分の中で納得のいくように処理しようとしていた。
 そうしているうちに幾分か落ち着いて冷静になってきた。
 もし本当にそうであって限られた命であるならば、今度は私が最後まで拓海さんを看病してあげたいとも思ってしまう。
 拓海さんのお陰で勇気付けられたことにはかわりないのだから。
 拓海さんが消えてしまった理由がそれであるならば、これがヒントになって探せないだろうか。
 私は松葉杖を手にすると、ベッドから出て看護師さんに相談しに行った。
 きっと私は拓海さんを探し出せる。探さなければならない。
 私は必死だった。
 私の切羽詰ったその態度に、看護師さんは真剣に相談に乗ってくれた。だけど、それはただの憶測にしかならず、そういう患者もこの病院では扱ってないと帰ってきた。それともプライベートなことに正直に私に情報を明かせなかったのかもしれない。
 その先は色んな看護師さんに訊いても首を傾げるだけで何も分からずじまいだった。
 もやもやとした日々を過ごしているうちに、とうとう私も退院の日がやってきた。
 結局、拓海さんを探せず私は病室を後にする。
 拓海さんの優しい笑顔や、私を気遣ってくれた態度、そして拓海さんに会っているときのドキドキとした感情がこの時になってぐっと私の胸にこみ上げてくる。せめてどこかで生きていてほしい。
 会いたいと思うと胸が苦しくて、拓海さんがこの世から消えてしまうと思うと悲しくて、どうすることもできないもどかしさで私は泣いてしまった。
 それを看護師さんたちはお別れするのが辛いと勘違いしていた。勘違いされたまま礼だけ言ってその場を去った。
 もしかしたら拓海さんがこっそりと覗きに来ているかもしれない。絶望の中の諦めきれない微かな願い。そうであってほしいと思いながら何度も振り返って病院を後にした。
 足の調子は回復してきてるとはいえ、まだ松葉杖なしには歩けなかった。学校に行くのは嫌だったけど、お母さんが車で送り迎えしてくれるから拒むわけには いかない。拓海さんが教えてくれたことも無駄にはしたくなかったし、拓海さんの事を考えながら一歩一歩前に進もうとしていた。
 私が松葉杖をついて登校したことで、数人の女の子たちが駆け寄って声を掛けてくれた。
 そういう人たちは本当に優しい心を持っている人か、それとも一般的な世間体を重んじて形だけでもそうしているのか、その変のことはわからない。また興味本位で交通事故の事を訊きたかったこともあるかもしれない。
 でも人が私の周りに集まって来てくれたのはひとりで居るよりもよっぽどよかった。このどさくさに紛れて、私も多少の被害者面で同情を装う。その流れを利用してその女の子たちのグループに身を置いた。私も知恵がついていた。
 事故にあって入院する事が全て悪いことだったわけではないと、学校に来て思えたことだった。
「とにかく助かってよかったね」
 クラスでは透明人間だと思っていたけど、もし私があの時死んでいたらやはりそれなりに悲しんでくれる人はいたのかもしれない。
 何気ない気遣いの言葉の中に、閉ざされていた私の心を開かせるものがあった。なんだか一からやり直せるかもしれない期待を少しもった。
 自分の拘りを少し突き放した開放感。凝り固まって卑屈になっていたものがすっと抜けて客観的に見られるようになってくる。
 開き直ってでんと構えたとき、私は亜由美ちゃんに視線を向けた。彼女も私が気になってはいるもののよそよそしく目を背ける。
 でも、亜由美ちゃんも避けてばかりはできないと思ったのか、放課後帰り支度をしている私に近寄ってきた。
「佳奈ちゃん、大丈夫なの?」
 亜由美ちゃんはどうしていいのかわからない気まずさを抱いて目が泳いでいた。でも勇気を持って私と向き合ってくれているのが伝わる。そこに罪悪感をもった殊勝な態度も見えた。
 私も素直になりきれずにぶっきらぼうに「うん」とは返事したが、それ以上話が続かない。
「よかった……」
 消え行くような亜由美ちゃんの声。心配して声を掛けたけど歓迎されてないのが辛そうだ。
 暫く沈黙が続いた後、松葉杖に手を掛けて私の方から去っていく。その様子を亜由美ちゃんは見ていたけど、彼女も何も言わない。多分言えなかったのだ。
 今までは私が追いかけて、気を遣う態度でいたかもしれない。私になら何をやっても許されるとどこかで思っていたのかもしれない。
 事故後の私は亜由美ちゃんの目から見たら変わっていたように見えたのだろう。亜由美ちゃんの方がおどおどし、私は堂々としていた。
 ――なんでお見舞いに来てくれなかったの?
 嫌味のひとつでも言えばよかったのかもしれない。去ってから思ってしまった。
 だけど私も亜由美ちゃんと話をする気分にはなれず、次第に彼女のことが嫌いになっていくように思えた。
 中学の時の私たちの関係はなんだったのだろう。所詮、最初からお互い交友するようなタイプじゃなかった。
 ただの偶然が重なり、その時だけは雰囲気に流されてお互いの利益のみで一緒にいた関係だった。そんなの友達じゃない。
 あれほど亜由美ちゃんに執着していたのが信じられないほど、私はすでに冷めていた。それよりも私の心には拓海さんでいっぱいだ。
 拓海さんが私を強くし、物事の見方を変えてくれた。
 世の中には段階があって、新たなものを見たとき次のステージに向かい、そこで考え方が変わるきっかけを与えてくれる。
 私はあの時、拓海さんに恋をすることで自分の知らなかった部分が開花した。その思いはいつまでも心に残っている。
 拓海さんが目の前から消えてしまったことで、私は必死になって探そうとした。消極的だった私が何かを求めてなりふり構わず行動していた。
 結局、拓海さんを探しきれなかった。一体拓海さんはどこに居るのだろう。生きていてほしい。会って拓海さんに自分の気持ちを伝えたい。
 拓海さんが好きですと告白したい。
 その恋が実らなくても、声に出して伝えなければと私は思っていた。
 だけどその後、私は悲しみに包まれた。
 拓海さんを見つけ、その真実にとうとう向き合ってしまったのだった。

inserted by FC2 system