第四章
3
田中と山路から礼を言われて別れた後、春が終わって初夏を迎える頃の気持ちのいい風を頬に受けて暗い夜道を歩いていた。
嫌な事があったが、また明日も頑張るぞという気になって夜空を仰いでいると、偶然にも星が流れ行く。
「あっ、流れ星」
でもそれは私が言ったわけではなかった。後ろから声が聞こえてきた。
振り返れば、ぼんやりとふたりの少年らしきシルエットが浮かび上がっていた。
「おじさんも、さっきの見た?」とひとりが言えば「空を見上げてたんだから見てたにきまってるじゃないか」ともうひとりがぶっきらぼうに突っ込んでいた。
フレンドリーだけど、暗い夜道でふたりの少年に声を掛けられるのは少し警戒する。
「ほらほら、急に話しかけたらびっくりするじゃないの。すみませんね。この子達無邪気すぎて」
暗闇から浮き上がるようにもうひとり女性が現れた。母親だろうか。暗すぎて顔がよく見えない。
「あ、いえ」
反応に困るも、頭を軽く下げ何事もないように去ろうと前を向けば、後ろにいたと思った三人が私の目の前にいた。
ドキッと心臓が跳ね上がり心拍数が上がっていく。
「ウィッチも突然僕たちを移動させたら、おじさんびっくりするよ」
「心臓発作起こしてたりしてさ。くくく」
ふたりの少年の顔がこの時はっきりと見えた。どちらも同じ顔をしている。双子だ。
「あら、ごめんあそばせ。だって、さっさと行っちゃうんだもん。ちょちょいのちょいで先周りしただけよ」
棒のようなものを振りまわしていた。
「き、君たちは一体誰だ?」
もしかしたら私の病院に来る人たちなのか。それにしても様子が変だ。
「ぼくっの名前はフー♪」
「ぼくっの名前はフーム♪」
どっかで聴いたコマーシャルソングのメロディにのってふたりは自己紹介していた。
「そして私はウィッチよ。獣医の勝本先生、お迎えにあがりました」
「迎えに?」
と驚いて聞き返したときには、ウィッチと言った女性が素早く棒を一振りし、あっという間に知らない場所に移動していた。辺りが急に明るくなって私は目を細めた。
どうやら私は知らないうちに飲みすぎてかなり酔ってしまったようだ。
さっきまで三人だったのが、女性がひとり増えて今は四人に見える。
「ようこそ、名もなき博物館へ。私はここを管理しているミシロと申します」
四人目の女性が頭を下げていた。
「一体これは……」
酔いをさまそうと私は頭を振った。
それでも目の前にいる者たちは消えてくれない。
私は今どこにいる。全体的に白っぽい部屋。ガラスケースが並んで中に何か展示されている。『名もなき博物館』とあの女性は言っていたが、なぜこんなところに私はいるのだ。しかもどうやってここに来たのだ。
「私は夢を見ているのか」
「いいえ夢ではありません。急にお呼び立てして申し訳ございません。ここはたくさんの方の思いがつまった展示品を飾ってある博物館です。ここを訪れられ、ゆかりのある展示品をご覧になるとその方のための物語が始まります」
「物語?」
「そうです。勝本さんにご覧になってほしい物語が今ここあるのです」
コツコツとヒールを鳴らして私に近づいてくる。
「こちらでございます」
手を向けた方を見れば、アマゾンと書かれた段ボール箱がそこにあった。
「からかっているのか。これはただの段ボール箱じゃないか」
「そうです。これがこの物語の始まりです。よくご覧下さい。勝本さんには何かが見えてくるはずです」
仕方なく言われるままその段ボール箱を見つめた。
そして、さっきまで何も入ってなかったのに、そこには二匹の子猫が寄り添ってうずくまっているのが見えた。
一匹は真っ黒。もう一匹はキジトラだった。生まれて一ヶ月くらいだろうか。そしてどちらもかなり弱っていた。
「おい、中に子猫が二匹いるぞ。しかも脱水状態だ」
職業柄、助けたいという思いが強まって、つい声を荒げてしまった。
「どうやら、物語が始まったようですね。それでは暫くそれをご覧下さい」
声がフェードアウトしていくと同時に辺りの空間が歪んで不安定になっていく。
アッと思ったとき、私は見覚えのある場所にいてふわふわと宙を浮いていた。まるで自分の意識だけがそこにあるように、自身の体の実態を感じられなかった。
ただ目の前に起こるものを否が応でも見せられる。まるで映画の中に入り込んで観賞する感覚だった。
ひとりの女性が駐車場に面した道を歩いている。そこでハッとして立ち止まり辺りをキョロキョロしだした。
何かそこに気になるものがあると感じた時、私にもそれがなんであるか微かに聞こえてきた。猫の鳴き声だ。
駐車場の入り口付近の端に置かれていた段ボール箱に気がつくと、女性はすぐさまそこに向かっていた――。