第四章


 今日の夕飯のおかずは何にしよう。この日買う食材を頭に浮かべながら近所のスーパーに向かっていたところだった。
 空がすっきりと青い。五月に入ってからは日中の日差しが強くなってきた。でもまだ風は涼しげで日差しをさければ気持ちのいい天気だった。
 その時はぼうっとしていて、外の騒音も耳に入ってこず無防備に歩いていた。でもふとしたときに弱々しい音が聞こえた。
 暫くそれがなんであるかわからず、そのまま気にしないでいたらそれが生き物の声だとはっとするように気がついた。
 そう思うや否や私は辺りを見回した。段々声がはっきりと聞こえだした。その声を頼りに耳を傾け集中する。辺りで動いているものは何もない。でもスーパーの駐車場の入り口付近にダンボール箱が置かれてあるのに気がついた。
 もしやと思って近づけば、声が確実に箱の中から聞こえてきた。互い違いに組み合わせて締めていた蓋を開ければ、そこには二匹の子猫が入っていた。
 一匹は黒い猫で私を見ながら必死に鳴いていた。もう一匹はキジトラで声を出すこともできずに、ちっぽけな体でこぼれそうな大きな目だけを私に向けた。
 私は辺りを見回す。誰もいない。
 黒猫は必死に鳴き続け、キジトラはすでに力尽きていた。太陽の日差しは強く、ずっとここに置かれていたならばダンボールの中の温度は高かったに違いない。
 一体誰が捨てたのだろう。捨てるにもこのままだと脱水状態になって、熱中症を引き起こして死んでしまうじゃないの。
 私はいてもたってもいられなくてその箱を抱え、アパートに戻った。
 古い二階建ての共同住宅。八世帯の家族が住める建物だった。間取りは2LDKで家賃は5万円。そ この二階の一角に私は夫と住んでいた。結婚してからここに住んで三年。もっといいところに住みたかったけど、家賃が安かったのと駅まで歩いていけるので妥協して住んでいる。
 いずれは引っ越すつもりで、今は必死にお金を貯めている。切り詰めて私たちは暮らしていた。
 猫を拾ったこの日、私たち夫婦は困ったことになった。
 このアパートは動物を飼うのが禁止だ。見つかったら厄介なことになる。今はそんなことよりもとにかくこの子猫を助けなければならない。どうするかは後で考えよう。
 私は子猫を部屋に置いてすぐさまスーパーに向かって必要なものを買いにいった。

 その夜、夫が帰ってくると私は事情を説明した。夫も私も猫は大好きだ。夫はすぐさま子猫を手に取り抱っこした。
 ミルクをたっぷり与えたので二匹の子猫は眠たそうにしていた。このまま飼えたらいいのにと思っていたけど、それができないので夫はすぐに会社の同僚に引き取ってもらえないか連絡を入れた。
 側で心配しながら電話から漏れる声を聞いていたけど、運よく引き取ってくれることになって思わず喜んだ。
 あっさりと問題を解決したので拍子抜けしたけど、これでよかったと一安心していた。
 休みの日に、駅まで子猫を引き取りにきてくれて、二匹の子猫を譲渡した。少しの間一緒に暮らしただけですでに情が移っていたので居なくなるのは寂しかった。
 だけどこれでよかったとほっと一息ついていた。
 しかしその一週間後、やっぱり飼えないとその子猫たちは戻ってきてしまった。病院に連れて行くとかなり状態が悪いらしくこのままでは死ぬ可能性もあると獣医に言われたそうだ。
 最近飼ってた猫を亡くしたこともあり、引き取ったもののこれ以上悲しい思いを立て続けにするのは嫌だということで断ってきた。
 戻されるとなんだかいい気持ちはしなかったけど、一応病院に連れて行ってくれたので感謝すべきことなのかもしれない。やはり引き取るのなら健康な猫がいいに決まってる。死ぬのが辛いのはもちろん だが、この先医療費がかかる猫を無条件で引き取るのも嫌なもんだ。
 拾ったのは私なのに、寿命の短い子猫の責任を他人に押し付けるなんて、自分が反対の立場だったらやっぱり嫌だったと思う。
 複雑な気持ちを抱えながら、戻ってきた子猫たちを見つめた。ミーミーと鳴いている姿は無条件でやっぱりかわいい。
「なんとかするからね」
 ありっきたりの愛情を込めて二匹を抱きしめた。
 こうやって子猫にまた会えたのは嬉しかったけども、ペット禁止のアパートだから見つかったらどうしようという心配事が重荷だ。
 あまり体調のよくない子猫だから、飼い主を探すのは絶望的だろう。誰も死に掛けた子猫なんてほしくないに決まってる。
 飼ってはいけないアパートで仕方なく、私たちは子猫と一緒に暮らすことになった。
 でも子猫たちはすくすくと育っていく。箱に入れていてもジャンプする力がついてすぐに出てくるようになった。
 ちょこちょこと狭いアパートを走り回りじゃれている。子猫本来の無邪気な元気が戻ってきたようだ。折角ここまで元気になったところで、飼い主を探そうとしてみたが、ある程度一緒にいると情が湧いて、もう二匹を手放せなくなってしまった。
 黒猫をブラッキー、キジトラをタイガーと名づけ、まだ子供の居ない私たち夫婦はその名の通り猫かわいがりしていた。
 ブラッキーはやんちゃで、タイガーは物静かだった。見かけは似てないけど、この二匹は兄弟に違いない。
 ブラッキーの方が一回り体が大きく、タイガーは針金のように痩せていた。
 早く大きくなれと願いながらミルクを哺乳瓶で与え続け、そのうちネコ缶を食べられるようになっていく。カリカリはまだ固かったので、少しお湯をかけてふやけさせてから与えていた。
 図書館で猫の飼育の本を何冊も借り、育て方を勉強する。色々と猫の事がわかって、なんとか育てられると思っていたとき、タイガーの様子がおかしいことに気がついた。
 タイガーは水を飲みだすと器が空っぽになるまで飲み続ける。お腹のふくらみも尋常じゃないくらいパンパンになっていた。
 その分、おしっこもたくさんして猫砂をきれいにする回数が多くなる。何かがおかしいと思い、動物病院に連れて行った。
 以前、国道沿いに動物病院の看板を掲げている建物を見た事があり、そこが一番近いと思ってバスに乗って行く。
 まだ子猫のタイガーは小さかったので、鞄に入れてこっそりと運んだ。
 タイガーを見てもらえば、脱水症状だと診断された。点滴をその場で打ってもらえば、背中にこぶができたようになった。
「でもたくさん水をのんでるんですけど」
 といえば、タイガーは腎臓が悪く水分を吸収しにくい体質だといわれた。やっぱりここでもあまり長生きできないかもしれないと言われてしまった。
 それだけでもショックだったのに、その後暫くしてからタイガーは突然体を硬直させて苦しみ出した。
 てんかんだった。
 尻尾は膨れ上がり、目を瞑り、体は硬直し顔を力強く歪めて眉間に皺が凝縮していた。このまま死ぬんじゃないかと思うほどかなり苦しそうだった。
 見ているだけで恐ろしくておろおろしてしまったが、それに一分近く耐えると収まっていく。
 タイガーははあはあと息をしてまるで全力疾走で走りきったような疲れを帯びていた。自分も驚いたのだろう、恐怖心で尻尾は暫く膨れたままだった。
 またその後獣医に相談すれば生まれ持った持病なので治らないといわれた。てんかんがはじまったら、舌を噛み切らないように注意することしか助言されなかった。
 落ち着いている時のタイガーは普通の猫と変わらないが――普通の猫よりは顔のバランスがよくてとてもかわいい――毎日飲む水の量、それに伴って出てくる尿の量、そして忘れた頃にやってくるてんかんで時限爆弾を抱えた危うさを備えていた。
 それに比べブラッキーはジャンプ力があって、いつも何かの上に乗ろうとする。そして物を落とし壊す事が多かった。
 爪とぎを用意していても、壁や柱といったところも利用するので、動物禁止のアパートだから傷跡が残るのは困りものだった。
 いつも叱るけど、猫は学ばない。私のストレスが増えていく。
 猫を飼うと費用はそれなりにかかってしまう。獣医にかかるだけでも一回で万単位が飛んでいく。
 大きくなってくると、ドタバタすることも多く下の階の人に何か言われないだろうかとひやひやする。
 そしてブラッキーが発情しマーキングし出したときはそのあたりにおしっこを掛けられた。これも匂いが残って染みにならないか掃除をしながらストレス倍増した。
 先にブラッキーを去勢し、これもまた費用が重なりため息がでた。
 去勢すれば少しは大人しくなるかと思ったけど、マーキングはなくなっても好奇心と落ち着きのなさは全然変わらずじまいだった。いつも元気に狭い部屋を走り回り、棚やテーブルの上に乗っては、ところ構わず物を落として壊していく。
 それでも私たち夫婦は猫と一緒の暮らしを楽しんでいた。ただその裏でいつ大家さんにばれるかということが心配で危うい橋をいつも渡っているような気分でいた。
 猫と暮らすと色々な問題がいつも起こる。
 タイガーの健康状態やブラッキーのやんちゃぶり。そこにノミ問題と猫砂や餌の費用など、いつもバタバタしているような気分だった。
 今度はタイガーが発情期に入り、マーキングが始まった。飲む水の量が多いので、ところ構わずおしっこをされると水溜りになってしまった。
 そんなとき、とてもいい獣医さんが近所にいると噂を聞いた。雑誌にも紹介されるほど腕がよく、学会にも積極的に参加して名の知られている人らしい。
 病院はいつもいくところよりも近く、歩いていける距離だった。住宅街の奥に隠れているので存在を知らなかった。
 個人で経営しているからある程度の融通が訊き、もしかしたらタイガーの持病の事を相談できるかもと期待を寄せた。
 ちょうど発情期に入っていたので去勢を頼むことにした。持病があること、水分吸収ができにくい事を話せば、気をつけて手術をするといってくれた。
 私は先生を信頼し、タイガーの事を任せた。
 去勢は無事に終わり、ほっとするも費用はブラッキーのときよりも割高だった。これは仕方がないと納得し、近いからこれからお世話になろうと思っていた。
 先生と親しくなりたくて、こちらはフレンドリーに愛想よくしていたけど、真面目な先生は私に合わせることなく、あくまでも自分は獣医だからと高いところにいるポジションを崩さなかった。そこは少しがっかりした。
 プライドが高いのかなと思いながら話していると、急に私は落ち着かなくなって、さっきまで仲良くしようと思っていた態度が萎むと同時に、自分がバカのように思えて情けなくなった。
 そんなとき動揺して、私は自分の鞄を置き去りにして帰ろうとしてしまう。
「それ、あなたの鞄じゃないんですか?」
 あくまでも事務的に言われたけど、冷たいものも同時に感じてしまう。それがまた恥ずかしくて気まずい雰囲気の中、自分の鞄を手にして去った。
 自分は好かれてないと直感で感じ、少々遠くても国道沿いの病院に通うことにした。
 その間、タイガーは何度かてんかんを繰り返し、飼ってはいけないアパートで二匹の猫を飼うストレスを感じ、おしっこの量が多いために猫砂の消費が激しくて費用がかかり、時々点滴を打ちに行く治療代も高かった。
 そんなときに、夫が近所の神社付近を散歩して、箱に入った子猫を見つけてしまった。それは本当に生まれてまだ一週間くらいの目も開けてない子猫だった。しかも五匹。
 夫は見てみぬふりができず持って帰ってきてしまう。
 私はまた頭が痛くなる。
 一体誰がこんなことをするのだろう。
 子猫がいらなければ去勢をするべきだし、生まれてまもない猫を捨てればすぐ死んでしまうことも考えないのだろうか。運よく誰かに拾われてほしいと思ったのだろうけど、あまりにも無責任だ。
 そのお陰でまた飼えないのに、私たちが拾ってしまう。捨てた奴が許せない。
 命を救いたい。それがきれいごとで済まされない私たち。このままでは私たちの生活が危うい。
 私は悩みながら、それでもできる限りの事をした。
 誰かに引き取ってもらえないか、片っ端から知り合いに電話し、地元のタウン誌にも広告を掲載してもらった。
 それで連絡が入って一匹が貰われた。そこから中々貰い手が探せず、猫は日に日に大きくなっていく。
 ブラッキーもタイガーの問題もあるし、ストレスが半端なかった。
 このままでは子猫を保健所に持っていくしかない。電話を掛けようとするけども、それも辛くて掛けられなかった。
 そこで奇跡が訪れ、つてを通じて知ったのか、田舎暮らしで田畑を持っているお百姓さんが土地も家も大きいから四匹全部面倒みると言ってくれた。
 私の切羽詰った感情がどこかで伝わっていた。どれだけ嬉しかったことだろう。四匹の子猫は無事に貰われていった。
 私も家が大きく、収入に不安がなければ全部面倒みたかった。
 夫はフルタイム、私も近所でアルバイトをしている。給料はふたり合わせれば余裕でも、わたしたちには無駄に使えず、いつもカツカツだった。
 その問題はブラッキーとタイガーを拾って二年後に顕著に現れた。
 夫の都合で私たちはアメリカに引っ越すことになったのだ。なぜなら夫がアメリカ人で、いつかは祖国に帰らないといけなかったからだ。
 私たちは話し合って猫を連れて行く覚悟でいた。だが、自分たちが住むところもままならないまま、猫と一緒に渡米するのは難しく、ましてやタイガーが水なしで長時間飛行機に乗るのも危険だった。
 一度懸賞に当たったのがきっかけで旅行に出かけたとき、水を絶やさないでほしいと頼んで猫をペットホテルに預けたら、その時タイガーが体調を崩して大変なことになってしまった。
 瀕死を彷徨ったタイガー。運よく一命をとりとめたが、ペットホテルが動物病院に入院させた費用を私たちが全額払わなければならなかった。
 十七万円――。普段から貯金をしていた私たちは、それくらい一括でもちろん払えた。でもそれを貯めるために切り詰めてきた生活が水の泡だった。
 もし同じ事がアメリカに渡った時にあったら、もう私たちは払う事ができないと思う。夫の仕事が見つかるまでのアメリカでの生活費をためてきたけども、いつ仕事が見つかるか保障はない。仕事を持って貯金をしてきた時よりももっとカツカツに生活しないとならないだろう。
 私たちのこの先の生活は本当に不安定だった。
 渡米する日にちが決まり、準備が整っていく。その間ブラッキーとタイガーをどうするべきか常にいい方法を探していた。本当は別れたくない。このまま一緒に暮らしたい。
 何度とそう思いながら、現実はとても厳しかった。
 そのうち、友達が私のことを見かねてブラッキーを引き取ると言ってくれた。一匹ならなんとか飼えると無理をしてくれた様子だ。
 別れが悲しかったけど、その好意に甘んじた。それがブラッキーにとったら一番いい方法だった。
 でもタイガーはそう簡単に引き取ってくれる人が見つからない。
 どうしていいのかわからないまま、渡米する日にちが近づいてくる。
 保健所に持っていくしかないのだろうか。そう考えた時、私は決断する。責任は自分が取る。私がタイガーの命を終わらせる。
 何度と夫と話し合い、どちらも感情的になって喧嘩もした。だけど、何の解決策もなく、心を鬼にしてタイガーの最後を看取る事を決断した。
 私たちが間違ってるといわれたら、そしたら無責任に猫を捨てる人たちはどうなんだ、飼えないからと言って保健所につれて他人に殺させる人たちはどうなんだ、と言い返してやりたい。
 安楽死をさせるために、私はその費用を知りたくていつも行く動物病院に聞いた。もうひとつ近所の動物病院にも電話を入れた。
 人がひっきりなしにくる動物病院と個人経営の静かな病院。タイガーの死に場所はどちらがいいのだろうか。
 いつも行く病院よりも個人経営の病院の方が費用は割高だった。その時つい値段の事を口にしてしまった。
 動物の命を奪う安楽死に値段のばらつきがあり、それはどういう基準で決められているのかが不思議だったからだ。
 どちらも同じ薬品を使えば、材料費というものは同じじゃないのだろうか。高いところと安いところの差は一体なんなのだろう。
 病気や、寿命で安楽死をした方が苦しまずに済む、やむを得ない理由はあると思う。
 安楽死の選択を動物病院は用意している。それもまた必要だからだ。
 私は悩んで悩んだ挙句、タイガーを安楽死させることにした。
 自分が悪者と思われるのも覚悟だ。それならとことん嫌ってくれ。だから冷たい人間のように安楽死の値段を断腸の思いで聞いた。
 私が飼い主だから、私が最後まで責任を持つ。
 タイガーが健康であったなら、きっと一生懸命探せば里親は見つかったことだろう。いつ起こるかわからないてんかんと行く先の見えない短い寿命。定期的に病院でかかる費用のこともある。
 だれが最初から、費用がかかって病気持ちのいつ死ぬかもしれない猫を引き取ると言うのだろう。
 私は猫を捨てた人たちが憎くてたまらなかった。
 そして事情も知らずに安楽死させることで勝手な事を言う人たちも――。
 私は間違ってますか。
 それを問うてみたいと思った。
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