ふたりは謎ときめいて始まりました。

第一章 出会いと探偵は成り行きに謎解き


 ふたりは時々どきどきしている。しゃれたマンションの一角で見知らぬ者同士の共同生活が始まったからだ。
 とは言っても、部屋はそれぞれ別々で、まるで宿泊施設のようにバス・トイレがそれぞれの部屋に完備され、ドアさえ閉めてしまえばお互いを干渉されない個室となっている。そこでは空間に一緒にいるだけのホテルの宿泊客と全く変らない。
 唯一顔を合わせる場所はキッチンとリビングルームだ。ふたつの部屋の間に挟まって、そこはシェアするスペースになっていた。
 最新の設備が整ったシステムキッチン。デザインもモデルルームのように外国の大きなオーブンを備え付け、洗練されたレストランの厨房並みに機能が整って いた。テレビの料理番組にも使えそうで、見栄えもいい。ダイニングテーブルの上には部屋を明るくする花が花瓶に添えられている。今日は元気が出そうなオレ ンジ色のガーベラが数本かわいらしく花びらをぴんとまっすぐに広げて咲いていた。
 結構広々とした空間で、客人を呼んでパーティも催せるし、生徒を集めて料理教室だって開ける。そこはビジネスとして使ってもいいのだが、ここを管理している大家さんは探偵事務所を開いてほしいと条件を出していた。
「いきなり、探偵といってもな」
 やることもなく暇を持て余した逸見《いつみ》ロクがソファーに腰掛け、依頼人が誰も来ない日々を落ち着かなさそうにしていた。
「でもロクは実際探偵さんなんでしょ」
 キッチンで九重《ここのえ》ミミがボールに卵を割って混ぜていた。シャカシャカと泡立てる音が聞こえ、ロクは振り返る。
 二十歳を過ぎたばかりのミミはまだまだ子供っぽさが残っている。色気もお洒落気もなく、ロクの好みからは程遠い。
「こう、もう少し、丸みがあるメリハリがほしいよな」
 後姿を見ながら思わずロクの本音が出てしまう。
 ミミはゆっくりと振り返り、ギロリとロクを睨んだ。
「何か言いましたか?」
「いえ、その、やっぱり探偵するからには依頼人がほしいかなと」
 ごまかし笑いで、その場を取り繕ってもミミにはしっかりと聞こえていた。ロクの指摘はミミのコンプレックス。そこを突かれるとイラついてしまう。
「ロクは確か、私と同じ年でしたわね」
 丁寧に話してもミミの殺気が伝わってくる。
「おいおい、俺は二十五だぜ。ミミよりも五歳年上だ」
「あら、そうでしたの。頼りなさそうだから、子供っぽく見えててっきり私と同じかと思いましたわ。おほほほほ」
 ミミの引きつった笑い声をロクは受け流そうとするが、子供っぽいと遠まわしに言われ内心カチッときていた。
「はぁ? 俺はハンサムで若々しいだけだ。老け顔よりはいい」
「しっかりしてる人ほど魅力がでて大人っぽく見えるけど、ロクはちゃらちゃらして、本当にそれで二十五歳ってのが信じられない」
「はいはい何とでもいえばいい。老け顔よりは若い方がいいから」
「だったら、私も若い方がいいってことでしょ。なんせまだ二十歳のピチピチよ」
「若いって言っても、お子様過ぎるとはまた違うもんがあるぜ。俺は女性的にやや色気がある方が好きなんだ」
「だったら私も大人の魅力に溢れた抱擁力のある男性が好きです」
 泡だて器の音が乱暴にカチャカチャと部屋中に響いていた。
「とにかくお互い好みじゃなくてよかったってことだ。これなら変な気を起こす心配もない」
「はあ? 何をおっしゃるやら。私がここへ来たのは仕方なくであって、そうじゃなければ来ませんでした」
「俺の方こそ、仕事だから仕方なしにだ。金を貰えば今更断れないし」
「本当はいい話だと思って喜んで飛びついたんでしょ。あなたはそういう人だって言ってたわ」
「誰がそんなこといったんだよ」
「そっちこそ誰に頼まれたのよ」
 気がつけばお互いの距離が縮まって顔が近づいていた。
 はっとしたふたりは「ふんっ」と顔をそらして意地を張る。ミミはキッチンへ戻り、ロクはソファーで足を組んでどっしりと腰を据えた。
 暫くはミミの作業する音しか聞こえてこなかった。
 一体何を作っているのやら。
 ロクが振り返れば、ミミは先ほどの苛立ちも消えて夢中になって何かを作っていた。
 四月も中旬を過ぎ、暖かな眠気を誘う午後。何もしないロクは腕を組み、目を閉じて考え事をしていた。
 ふたりはここへ来てまだ一週間。初めて会った日は多少の遠慮があったけど、すぐに打ち解けて、いまではよきライバル的な負けられない気持ちが芽生えていた。
 一度意地を張るとどこまでも反発してしまうが、どっちも気兼ねなく気持ちを素直にぶつけ合えるところはとても楽だった。自分を偽ってよそよそしくするよりもはるかにいいと、ふたりはお互い腹を割って受けいれていた。
 そして何より、お金を貰えてここで住める事を考えれば多少のことは我慢できた。
 ロクは事の発端を思い出す。大学を卒業後、就職はしたものの長続きせずやめてしまい、毎日家でゴロゴロしていたある日のことだった。それを見て溜まりかねた親から家を追い出され、行くあてもなく歩いていた。
 すっきりしない曇り空を見つめ、雨が振りそうだと思った矢先にポツポツと振り出してくる。仕方なく友達を頼ろうと駅に向かって賑やかな道路沿いを歩いて いたが、果たして歓迎してくれるのか半信半疑で足が重くなってしまう。やがて雨脚は強くなり、着ていたジャケットがどんどん濡れていった。
 なかなか青にならない交差点の信号待ちで、濡れながら惨めに首をすくめていると、頭上に突然傘が現れた。
 ロクがはっとして振り返れば、そこにも同じようにはっとしてロクを見ていた初老の女性がいた。
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