ふたりは謎ときめいて始まりました。

第一章


 とりあえず次に繋げ、ロクは少しほっとする。依頼人を前にして推理を働かせるほどロクは慣れていない。
 これが安楽椅子探偵ならすでに答えが分かっているのだろうと思うと、自分の不甲斐なさが悔しい。
「なあ、ミミ、初めてにしては結構さまになってた対応だったな」
 自分よりもいい質問しやがってと、少し嫉妬した。
「そうかな? で、ロクはこの謎をどう解くの?」
「いや、どうしようかな。とにかく家の鍵を渡されて、必要なら入ってくれとまで言われたけど、参ったな」
「それだけ、私たちを信用してくれたってことだと思う。そしてやっぱりこんな手紙がはいってたら気持ち悪いし、早く原因を知りたいのよ。ロクにも期待しているんじゃないかな。とにかく今から白石さんの家の周辺を見にいこう」
 ロクとミミは織香の家へと向かった。マンションを出て徒歩十分くらい歩けばビルが建ち並んだ街の喧騒が遠くなり、閑静な住宅街へと移り変わっていく。ちょうど下校時刻なのか、ランドセルを背負った学校帰りの子供たちがまばらに歩いて家路についている姿がちらほら伺えた。
「車が来てるのに急に走って危なっかしいな」
「ロクも子供頃はあんな感じだったでしょ」
「俺は大人しい優等生だったぞ」
「はいはい」
 すれ違う無邪気な子供たちの姿をミミは微笑んでみていた。
「そういえばこの辺ってコンビニが多いね」
「そうか、こんなもんだろ」
「家の建ち方もデザインが箱みたいで、モダンと言えばそうなんだろうけど、変ってるね。時々すれ違う車もコンパクトでカクカクしてる」
「最近の家はこんなもんだよ。で、ミミは免許もってるのか?」
「持ってない」
「じゃあ、普段どんな車が走っているのかあまり興味ないだろ」
「うん、そういえばそう。家の車にはお抱え運転手がいて、いつも送り迎えされてる。景色も目に映して流しているような毎日だった」
「どこのお嬢様なんだよ」
 ロクが突っ込むと、ミミは軽く笑って受け流していた。
「こうやって自分の足で見知らぬ街を歩くと変な気分。竜宮城から戻ってきた浦島太郎になったみたい」
 封印している記憶と向き合おうとしている前向きな姿勢なのかもしれない、とロクは思った。
 ミミはロクの想像を超えた上流階級のお嬢様といっていい。その点についてはロクも詮索しない事を決めていた。
 それも九重の忠告のひとつであった。
『できたら、自分から話すまであまり過去の事を訊かないでやって下さい。ミミも自分が置かれている立場が通常と違うと気がついています。いつか必ず過去のことと向き合う日がきます。それまで彼女にできるだけ合わせるように適当にあしらって下さい』
 マンションの鍵を九重から渡される時に、色々な注意事項を話された内のミミに関しての項目がそれだった。
 ミミがここへやってくる当日、ロクは待っているよりも迎えにいこうとエントランスを出ようとしたときだった。マンションのエントランスで入るのを躊躇っ ている女の子が目に入る。それがすぐにミミだと判別できたのは予め写真を見ていたお陰だった。すぐさま近寄っていきなり馴れ馴れしさを出した。依頼された 仕事だったから、そこはサービスで親しみをこめて接した。ミミも初めてにしてはすでにロクの事を知っていたような態度に、物怖じしないものを感じた。
 すぐさまミミを部屋に招きいれるも、見ず知らずの異性とこれから共に生活するのはかなりおかしな状況だ。それを深く考えないようにし、なるべくビジネスだからと思い込んだ。
 ミミにもここがそれぞれの部屋に鍵がかかる安全なつくりと強調し、プライベートにはお互い干渉しない事を申し出た。
 ミミもある程度の理解があり、すぐにそれを受け入れ仕事の話をし出した。
『それで探偵の助手って何をすればいいんですか?』
 最初はミミも敬語で緊張していた。
『そうだな、まずは俺のおもてなしを受けてもらおうか』
 早く打ち解けたいと、ロクはキッチンに常備されていたエスプレッソマシンでお得意のラテを作った。家庭用とは思えない本格的な機械だが、カフェでアルバ イトをしていたロクにはお手の物だった。商品としてコーヒー飲料を売っていた腕を少し自慢したくて、ロクは自分が入れたコーヒーを気に入ってもらえると自 負していた。
 ダイニングテーブルに座り、ロクがコーヒーを入れるところをミミは珍しそうに黙ってみていた。 やがてそれが自分の前に差し出されたとき、ミミは困惑した。
『あの、私、コーヒーも牛乳も嫌いなんです』
 申し訳なさそうに首をすくめていたミミ。
『そ、そっか、それは悪かった。じゃあ、紅茶なら大丈夫かな』
 得意分野が否定されたような一抹の寂しさがロクの胸にこみ上げた。急に気まずい空気も漂い、ロクは躓いたみたいにぎこちなくなっていた。
 その慌てているロクを見ていると、ミミはいたたまれなくなって、カップを手にした。折角の好意を無下にするのは失礼だ。しかもしょっぱなで。この変な状況にも関わらず一生懸命自分を歓迎してくれていることに歩み寄らねばとぐっと腹に力をこめた。
 カップをじっと見つめれば、白い泡がふわふわとしている。普段コーヒーを飲まないミミにとってラテは不思議な飲み物に見えた。ふーふーと冷まして一口飲めば、口辺りがまろやかで、自分の知っているコーヒーじゃないことに目を丸くした。
『あの、これ、砂糖を入れてもいいですか』
『ああ、もちろん』
 ロクは小皿に数個の角砂糖を入れたものを差し出した。ミミはひとつ、ふたつとつまんで入れてスプーンでかき混ぜる。
 もう一度それを飲んだとき、ミミの目が見開いた。
『これ、本当にコーヒーなの? なんて口当たりまろやかで美味しい』
 再びカップに口をつけ、病み付きになったように味わっていた。
『よかった』
 ロクは素でほっとして、顔を弛緩させた。
『ごめんなさい』
 ミミはカップを置いて畏まる。
『な、何が?』
『私を歓迎してくれているのに、つい失礼な態度を取ってしまって。私、世間知らずで、つい本音が出ちゃうんです。反抗期もあるかもしれません』
『いいよ、別に。嫌いだって言っていたものを美味しいって新発見してくれた方が、嬉しさも倍増した。これでも、コーヒー入れるのはプロ級なんだぜ』
『どおりで美味しいはずです』
『だろ、だって、美味しくなーれっていつも魔法をかけているからね』
『まるでコーヒーの魔法使いですね』
 ミミと知り合ったばかりの頃を思い出しながらロクが歩いていると、いつしか織香の家の前に到着していた。
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