ふたりは謎ときめいて始まりました。

第二章


 いつまでも浮かない顔をして歩いているミミにロクは少し苛立った。
「もういいじゃないか、終わったことなんだから。それよりも次の依頼だ」
「また上手く解決できたらいいけど、次はマカダミアナッツチョコレートの謎か……」
「とにかく、行けば何かの手がかりはあるだろう。ミミ、しっかり見ろよ」
「ロクこそしっかり見てよ」
 ふたりは織香から受けた依頼で現場に向かう。厳密には紹介されたと言う方が正しい。
 織香の知り合いの家は、同じその町内ですぐに見つかった。
「ここじゃないですか、谷原さんのお宅って」
 表札の名前を見たあとミミは門の内側に視線を向けた。大きさが違う長方形の箱を上と下にくっつけたシンプルなシルエット。灰色の外壁で石の塊に見えたその家はミミにはとても珍しく目に映った。
 ミミがその家を見ている間、ロクはインターホンを押していた。スピーカーから声がすぐに響く。
「はい」
「白石さんの紹介で参りました」
「ああ、探偵の逸見さんですね。はいはい、お待ち下さい」
 白石がすでに電話で連絡していたとみえて、そこからは話が早かった。
 四十前後の少しふくよかな女性、谷原瑞枝《たにはらみずえ》が、玄関のドアを開けて出てきた。少し緊張しながらも、助けがきた喜びを顔に浮かべて、ふたりを家の中へと招き入れる。
 ロクもミミも形式的な挨拶をしたあとは「お邪魔します」と家の中に入っていった。
 そして玄関から近い部屋の引き戸を瑞江は開けた。
「あれが義父の谷原忠義《ただよし》です。起きている時間の方がどんどん短くなって、ずっとあんな感じで寝ているんです」
 織香からの情報だと、癌を患う忠義は自宅で緩和ケアをしている状態だ。かなりの末期だと言っていた。痛み止めの薬はすでに麻薬の成分が入って、その副作 用でせん妄が出たり、記憶が飛んでアルツハイマーのような症状が出たりするらしい。しかし、稀に正常に戻る時もあり、家族も変化の激しさに振り回されてへ とへとだと言っていた。
 部屋は質素な和室だが、電動で操作する介護ベッドがとても場違いに目を引いた。静かに死を待つ姿が物悲しい。
『私が看護師だからご近所のよしみで時々相談を受けることがあるけども、私にも分からなくて、どうか力を貸してもらえませんか?』
 織香から一通りの事を聞いたが、プライベートに関わる事は本人からの依頼しか受けないとロクは突っぱねた。
『それじゃ、私から連絡を入れておきます。どうしても知りたいらしいので、きっと逸見さんの助けを借りたいと思うはずです』
 織香は親身になってロクに頼んだ。
 そういうこともあって、直接依頼を瑞江がするか尋ねに来たふたりだったが、緩和ケアの状態を見て他人事ながら重々しくなっていた。こんな状態を他人に見せてまで解決したいその気持ちにロクは真剣に向き合う。
「それでは谷原さんの方から何があったか、詳しく話していただけませんか」
 ロクの言葉で瑞江はふたりをダイニングルームへと案内する。
「今、お茶を入れます」
「いえ、お構いなく、とにかく状況をお話下さい」
「そうですか、それじゃ」
 瑞江はふたりに椅子に座るように手を差し出して、自分もまた向かい側に座った。
「まだ義父が正常な時でした。夫――義父にとったら息子にあたるわけですが、会社の同僚から土産を貰ったと、自分の父にも何気に見せたんです。それはハワ イ土産でよく見かけるマカダミアナッツのチョコレートでした。それを見た義父は突然取り乱し、泣き叫んだんです。『カズコー!』と名前を叫んだ後にしきり に『ごめん』『ごめん』と謝ってました。義母は数年前に他界しましたが、名前は明恵なので、カズコではないんです。それで夫にとったら母の名前じゃなくよ その女の名前を呼んでとてもショックを受け、それが誰でどういう関係なのか知りたいんです」
 ロクもミミもどういう反応を示していいのかわからず、声に詰まる音が喉から漏れていた。
 話した瑞江も俯き加減で気まずそうにしていた。
「もしかしたら薬の副作用で妄想をみているのか、その辺の事を看護師の織香さんに訊いてみたんです。そういうこともあるかもしれないけど、脳が混乱し時々昔に戻ってその時の記憶が鮮明に蘇る事もあると言ってました。現在の自分から過去の自分に逆戻りするんだそうです」
「その記憶を引き出したのがチョコレートなんですね」
 ロクはちらりとミミを見た。気づいた事があるかと目で問いかける。
 その合図でミミは思いついた事を口にする。
「忠義さんは昔、カズコさんという方からマカダミアナッツチョコをバレンタインデーにもらったけども、それをいらないと突っぱねたとかで、今になって申し訳なくなっているとか」
「どうなんでしょう。そういう話で済ませたらいいんですけど、夫は浮気の方を疑っているみたいで、はっきりとしない間は快く自分の父と向き合えないとか言 うんです。義父はこの先長くないと思うんですが、残りの日々をそんな気持ちのままで夫に過ごしてほしくなくて、それで藁をも掴む思いで、カズコという女性 の事を知りたいんです」
 瑞江の重い話に、軽く推理したミミはしゅんとしてしまう。
「すみません、茶化したつもりではなかったんです。可能性のひとつとして……」
「いいんですよ。たくさんの可能性からひとつに絞っていくのが探偵さんのやり方ですから、お気になさらないで下さい」
 瑞江は優しい笑みをミミに向けた。
「忠義さんの友達や仕事仲間など、誰か話を聞ける方はいらっしゃいませんか?」
 もっと情報がほしいとロクは訊く。
「夫も連絡が取れる限りの人にはすでに訊いたみたいなんですけど、誰もカズコという名の女性の心当たりはなかったそうです。誰もが口を揃えて、真面目な人で絶対浮ついた話はなかったとまで言い切ってたそうです」
「お友達がそこまでいうのに、息子さんは父親を信じきれないんでしょうか」
 ミミが言った。
「夫にしたら少しだけ自分の父親にわだかまりがあったみたいなんです。仕事第一なところがあって、家族よりも仕事を優先し、母親もそれに従って我慢してい たそうです。いつも『仕事だから』と父親ばかりを庇って、家族で出かける約束もドタキャンされて鬱憤は溜まっていたみたいです。今回の一件で、もしかした ら仕事と偽って他の女と会っていたのかもと馬鹿な事を考えてしまい、一度疑うと過去の父親に対するわだかまりが再び蘇ったみたいです」
 瑞江も話すのが辛そうだ。ロクとミミは静かに聞いていた。
「母親が先に脳梗塞でなくなってしまいましたから、苦労かけた母親のことを思うともし浮気であったなら許せないとどうしても引っかかってしまうみたいです」
 ロクとミミは何も言えなくなって、ただしんみりとしていた。辺りの空気もどんよりしていた。
「あら、やっぱりお茶を入れましょう」
 気を遣って瑞江はすくっと立ち上がり、ロクとミミが遠慮をしても従わなかった。
「あの、ちょっとお手洗いをお借りしてもいいですか」
 少し尿意を感じていたミミは今がチャンスとばかりに言った。
「どうぞ、どうぞ。そこを出て階段の手前のドアがトイレです」
「それでは失礼します」
 トイレは玄関にも近かった。
 ミミは忠義が眠る部屋に一度視線を向けてからトイレのドアを開けた。
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