ふたりは謎ときめいて始まりました。

第二章


 瑞江の家を出た後、緊張が解けたふたりを襲ったのは空腹だった。
「お腹すいた」
 お腹を押さえてミミはロクにアピールする。
「わかったよ、何か食べに行こう。駅前にいけば、色々と食べるところがあるだろう」
「もちろんロクのおごりだよね」
「分かった、分かった」
「それで何を食べる?」
 ミミに聞かれ、ロクは思案する。駅の近くには以前九重と入った昭和レトロな喫茶店があった。その時は九重にご馳走されたが、会計で九重が支払う時、その店のマスターの態度がとても印象的だったのを思い出していた。
 年は取っていたが、気品ある賢い雰囲気がした。でも親しみがもてどこか懐かしく初めてあった気がしない。
『奥様、いつもありがとうございます』
『今日もとてもおいしかったわ。それとこの先、この、逸見ロクさんがここに来られた時、支払いは全部私に付けといてね』
『はい、かしこまりました』
 くすっと笑い合うふたりのやり取りはとても楽しそうだった。
『逸見さん、こちらはね、この店のオーナーの……』
 九重が紹介してくれたがロクは名前をよく聞いていなかった。
 マスターはロクに視線を向けると、丁寧なお辞儀をした。圧倒されながら、ロクもお辞儀を慌てて返していた。
 マスターの名前はなんだったかと思い出していると、ミミが何度もロクの名前を呼んでいた。
「ロク、だから、何食べたいの? さっきから訊いているのに何ぼうっとしてんのよ」
「ああ、すまない。ちょっとある喫茶店の事を思い出して」
「何、喫茶店? そこでご飯食べるの? いいよ。そこ、ケーキやパフェとかある?」
「ああ、あるけど」
「じゃぁ、決まり! 連れてって」
 ミミは気軽に言うが、ミミのお祖母さんの知り合いの店だといったら拒絶するだろう。そのことは伏せてその喫茶店へとミミを連れて行った。
 雨の日に傘を差し出してくれた九重。信号を渡るとき、その時の事を思い出す。腕を取られて喫茶店に引っ張られていった時、変な気分だった。
「あの雑居ビルに囲まれた、喫茶『エフ』って看板が出てるレトロな雰囲気がする店だ」
 ロクが指差せば、今度はミミがロクの腕を引っ張った。血のつながりを感じる共通の癖があるとロクは遺伝子のすごさを実感する。
「レトロって、大正浪漫な感じかな」
 ミミはワクワクしながら、扉を開けた。
 コーヒーの香りがさっと流れ込んで、鼻先を撫でていく。コーヒーがそんなに好きでないミミですら、鼻から深く香りを吸い込んで楽しんでいた。
「思ったほどレトロって感じでもないけど、落ち着く空間だね」
 ロクとはまた違う感じ方があるのだろう。ミミの目には珍しく映らなかった。
「いらっしゃいませ、逸見様。ご来店ありがとうございます」
 マスターが直々に出迎えて、切れのあるお辞儀をした。
「ど、どうも、こんにちは」
「うわ、ここロクの知り合いの店なんだ」
 ミミは目を瞬かせて驚いていた。
 直々マスターが席を案内する。
「こちらでよろしいですか?」
 九重と一緒に座った窓際の同じ席だった。
「それではごゆっくりどうぞ」
 マスターは一礼すると、奥へと引っ込んでいった。
 ふたりが席に着くなりウエィターがすぐに水とお絞りを持ってきた。
「ご注文がお決まりましたらお呼び下さい」
 テーブルの上に装備されたメニューをミミはすぐに手をとって何があるのか真剣に見つめる。
「ロクのお薦めなんてあるの?」
「卵サンドが美味しい……」
 すでに常連と思われているミミに、それしか食べた事がないとロクは言えない。
「サンドイッチか、でもケーキも食べたいし、パフェも食べたいし、どうしよう」
「好きなのを何でも食べたらいいよ」
「ほんと?」
 目をキラキラさせて素直に喜ぶミミの表情に、ロクの頬も自然と弛緩していた。
「すみませーん」
 ミミはウエイターを呼んだ。
「おい、俺まだ何を注文するか決めてないんだけど」
 ロクは慌ててメニューに目を落とした。
 そして結局また卵サンドを頼んでいた。
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