ふたりは謎ときめいて始まりました。

第二章


 テーブルには賑やかに注文が並び、ミミは子供のようにはしゃいで見つめていた。
「それじゃいただきます」
 ロクの卵サンドをひとつ手にする。
「それ、俺のだろうが」
「いいじゃない。分け合って食べよう」
 ミミは自分が注文した野菜たっぷりハムサンドをロクに勧める。ロクは観念してそれを手に取った。
 卵も分厚くてふわふわのおいしさがあるが、ハムサンドもそれにまけず、レタス、キュウリ、がぎちぎちに、紙のような薄切りハムが無造作にぎゅっと固まりになって詰まっていた。
 一口食べるなり、噛み応えと仄かなハムの塩気が野菜と重なって絶妙な味わいだった。
「うん、これも美味い」
 ロクは唸っていた。
「卵サンドもおいしい。これ卵に少し甘みがあるから、からしマヨネーズと合わさるとこの反発がコクとなってどちらの味も引き立つ。卵の焼き方も上手い。作り手のこだわりを感じる」
「そりゃ、店に出すからにはおいしい物をつくろうって気合が入るんだろう」
「そうか、おいしくなーれの魔法がかかってるんだ」
 ミミは笑っていた。
 その笑顔は前日からのロクのストレスをほぐしていた。
 実際ロクは探偵に憧れても、自分が簡単に謎を解いたり、事件を解決したりなんて事ができないと思っている。成り行き上、ミミと一緒に仕事をすることになっているが、せいぜい、猫を探したり、浮気調査の依頼くらいだろうと思っていた。
 立て続けに不思議な謎が飛び込んで、なんとかそれらしき解決はできたが、内心冷や冷やだった。 ミミがいてくれたお陰でまだ形になっているとすらいえる。
 まだ知り合って間もないミミだが、能天気で明るい、少し気の強いお嬢様にロクは助けられている。
 九重がいうような記憶障害がある風には見えない元気なその様子が不思議なくらいだった。ただ時々、不意に何かを見つめる目に不安の陰りが見えるときがあ る。その時、自分なりに向き合っているのかもしれない。九重との約束どおり、ミミから話をしない限りロクは見て見ぬフリをしていた。
「ねぇ、マカダミアナッツチョコレートって犬には毒って、ロクは知ってた?」
 谷原瑞枝の話をミミは思い出していた。
「いや、犬を飼った事がないから知る由もなかった」
「マカダミアナッツってなんか怖いよね。ついでにさ、それにまつわる怖い話で、私が知っているのは……」
 ミミはそこでメロンソーダを吸い上げる。動いたストローからポツポツと小さな泡が緑色の中で上昇していた。
「聞いた話なんだけど、ある男の人が、ケチで有名なお隣のおばあさんから、マカダミアナッツを貰ったんだって。おばあさんはマカダミアナッツが嫌いなの。でもケチでみみっちいから捨てるのはもったいないということで、隣の人にあげたんだって」
「それが怖い話?」
「それでね、ある日、マカダミアナッツを貰った男の人が隣のケチなおばあさんに回覧板を持っていったの。その時、おばあさんは言ったの『ちょうどよかっ た、マカダミアナッツが溜まってるの、よかったら持っていって』って。奥から入れ物に入ったマカダミアナッツを持ってきて、口からもひとつペッて吐いて一 緒に入れたの。『チョコレートの部分は好きなんだけど、どうもこのナッツは歯が弱くて噛めない』とかいってたんだって」
「おい、ちょっと待て。それって……」
「そう、チョコレートだけ食べて、残りのマカダミアナッツをお隣にあげてたの」
「おえぇぇ」
「ねぇ、怖いでしょ」
「食べているときにする話じゃないな」
「ごめん、へへへ」
 ミミはおどけて笑いで誤魔化す。
 コーヒーを入れながら、その様子をマスターはこっそり見ていた。ペアルックの若いカップルのお喋りしている様子に自然と笑みがこぼれていた。
 サンドイッチを食べ終わったミミはメニューを横目に悩んでいた。
「デザートどうしようかな」
「頼めばいいじゃないか」
「違うの、パフェにしようか、ケーキにしようか迷うの」
「好きにしろ」
 ロクが腕時計を見れば、二時半を過ぎたところだった。二件の依頼に少し疲れを感じていたロクは、長い一日に思えた。
 疲れたときは甘いものでも食べてもいいかもしれないと、ミミが見ていたメニューを覗いているその時だった。テーブルの上に白いものが突然置かれた。
 ロクとミミが顔を上げると、マスターが目を細めていた。
「あの、頼んでないですけど」
 ロクが言うとマスターは真面目な顔になってロクを見つめた。
「よろしければお召し上がり下さい。私からの差し入れです」
 見た目は四角い豆腐のようなものだった。でも三層になって、それぞれの白さが違っていた。
「これ、もしかしてチーズケーキですか?」
 好奇心溢れる瞳でケーキを見ながらミミは訊ねた。
「はいそうです。シンプルでいて、なおかつ素材に拘ったスリーレイヤーチーズケーキです」
「なぜ、それぞれの白さが違うんでしょう」
「それはお召し上がりになればお分かりいただけるかと」
「おいしそう。ありがとうございます」
 ミミは早速フォークを握っていた。
 マスターは一礼をして、自分の持ち場に帰っていく。ロクはその後姿を暫く見ていた。
「うわぁ、これおいしい」
 一口食べて感嘆するミミ。
「おいおい、落ち着け」
「だって、本当に美味しいんだもん。こんなチーズケーキ食べたことない。この一番下の土台、一体何で作っているんだろう。グラハムクラッカーやビスケットを砕いたものじゃない」
 ミミはまたフォークを突き刺しすくいとって口に入れた。今度は目を瞑って味わっていた。
 ロクもフォークを手にして、チーズケーキを食す。
「うん、確かに変わった触感がある」
「一番下の層の比率が大きく、これがクリームチーズを使った部分だと思う。ベージュっぽくてしっとりとした食感がある」
「一番上は、生クリームだろうね。三層の中で一番白くて柔らかい」
「じゃあ、真ん中は何? クリームチーズじゃないよね。なんかこう酸味が少しあってコクがある感じ」
「ヨーグルト?」
「ヨーグルトほどの酸味はないと思う。結構これ水分が抜けて豆腐みたいになってない?」
「じゃあ、豆腐?」
「あのね、豆腐でチーズケーキ作ったことあるけど、どうしても大豆の匂いが残るから、リキュールで風味付けしてやっと紛れる感じの味になるんだ。これにはそういうのが感じられない」
 お菓子作りが趣味のミミの意見にロクは「へぇ」と感心した。
「一体これ、なんだろう」
 ミミは首を傾げる。
「チーズケーキの材料って何を入れるんだ?」
「それは、クリームチーズ、卵、砂糖、生クリームが基本かな。砂糖の変わりにコンデンスミルク入れるのもあるし、酸味のあるヨーグルトを混ぜるレシピもある。あっ、そうだ。アメリカのチーズケーキのレシピでサワークリームを入れるのもあった」
「サワークリーム……それだ!」
「でもサワークリームってこんな食感?」
「そういえば、これはねっとりとしてわりと固めだな。水分が抜けているというのか」
「あっ、もしかしたら、これ二度焼きしているのかも」
「二度焼き?」
「そう、最初はメインとなるクリームチーズを使った生地を焼く。その上にサワークリームを流して、また焼く。そしたら水分が抜けて密度が濃くなる」
「そっか、だから生クリームの白さより、焼いた分だけちょっと焼き色がついてややベージュ気味になってるんだ」
「そして最後にホイップした生クリームをかけて、表面を平らに整える」
「それでスリーレイヤーか、なるほど」
「だけど、この土台はなんだろう」
 ふたりは夢中になって何度もケーキを口に運んでいた。
「これ、ナッツじゃないのか?」
 ロクが言った。
「細かく砕いたナッツ? その発想はなかった」
 ミミは目を丸くして驚いていた。
「アーモンドかな?」
「それは絶対違う」
「どうして?」
「あのね、アーモンドって焼きすぎるとこげるの。そうすると苦味が強くなってすごくまずくなるの。このチーズケーキは二度焼いているから、アーモンドも焼きすぎになっちゃう。こんな味にならない」
「じゃあ、ピーナッツ?」
「ピーナッツかな、色を見ればなんか白いナッツだよね、これ。でもなんかピーナッツっていう味じゃないな」
「白いナッツ……あっ、もしかしたら、マカダミアナッツ!」
「あっ!」
 ミミは下の部分だけをフォークですくって口にした。マカダミアナッツと知った上で食べると、そうにしか思えなくなっていた。
 マカダミアナッツに縁がある日だとふたりは感じながらも、あえて口には出さなかった。
 食事が終わると、ロクはミミを先に外に向かわせる。それを見届けたあと、ロクはレジの前に立った。お金を払おうと財布を出そうとすると、マスターは首を横に振る。
「お代は大丈夫でございます。ご心配はいりません。それよりもお味の方はいかがでしたか?」
「とてもおいしかったです。チーズケーキも三層で味わい深かったです。土台はマカダミアナッツを使われているんですよね」
「はい、知り合いのものからたくさん頂きまして、それで使用してみました」
「それって、チョコレートを食べた後のものじゃないですよね」
「はい?」
「いえ、何でもありません。どうもご馳走様でした」
 ロクは頭をさげ、店を出て行く。
「またのお越しをお待ちしております」
 背中越しにマスターの声が聞こえていた。
「ロク、ごちそうさま。とてもいいお店だね。気にいっちゃった。あのチーズケーキ私もまねして作りたいな」
「マカダミアナッツはなかなか普通の店では売ってないぞ」
「マカダミアチョコレートから取り出したらいいんじゃない?」
 ミミはチョコを食べるフリをしてレロレロと言ってからかった。
「いい加減にしろ」
 ロクは先を歩く、その後ろを弾むようにミミはついていった。
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