ふたりは謎ときめいて始まりました。

第三章 謎降って地固まる


 湯呑みをミミが運んできた時、中井戸守人《なかいどもりと》はめがねのブリッジを押し上げ、じろじろとミミを見ていた。
 歳は三十前後だろうか。あどけなさの顔つきに老けたものが混じっている。
 運動不足が祟ったぽっちゃり系の体、おしゃれにこだわらないボサボサの髪に数日は剃ってない無精ひげ、お風呂に入っている感じがしてこない。少し汗ばんで臭ってきそうな様子に、ミミは息を止めてお茶をローテーブルに置いた。
「熱い緑茶ですか。僕は冷たい麦茶の方が好きなんですが」
 はっきりと好みを言う依頼人に、ミミはイラッとしてしまう。それでも無理して笑顔を浮かべた。
「気がつきませんで、すみませんでした。ただあいにく麦茶を切らしておりまして、ウーロン茶はいかがでしょう」
「だったら、水で結構です」
 ミミは出したばかりの湯呑みを引っ込め、キッチンカウンターへと向かった。心の中で沸々と湧き上がっていた感情のまま、グラスを棚から取り出す。冷凍庫をあけてひんやりした空気を顔に受け、製氷皿に溜まっていた氷を備え付けていたスクーパーで取り出した。
 それをカランカランとグラスに入れているときロクが尋ねた。
「中井戸さんは、もしかしてカフェインが苦手なんでしょうか?」
「はい、ちょっと訳がありまして、今はカフェインを控えています」
 ハッとしてミミの手が止まるのと同時に、一瞬にしてわだかまりが消失した。その代わり罪悪感がちょろっと顔を出していた。
「あの、カフェインがダメでしたら、オレンジジュースかアップルジュースがありますけど……」
 突然殊勝になるミミ。
「あっ、いえ、水で結構です。糖分も控えてますので」
 恥ずかしげに中井戸が答えた。
「ダイエットですか?」
 ロクが理由を聞けば、「まあ、そんな感じです」と頭を掻きながら中井戸はヘラヘラしていた。
 人を見かけで判断してはいけないと、ミミはミネラルウォーターのボトルから水をそっとグラスに注いだ。
 白石織香が依頼に来たときも、ミミは織香の色気に嫉妬して私情を挟んでしまった。いけない、いけないとビジネスのあり方を再確認する。
 一方でたて続きに謎が続いて、ロクは徐々に慣れてきている。物事を注意深く見る癖がついてるようだ。谷原篤義とその父親の一件から確実に推理する心構えが違っている。ミミはロクの姿をちらりと見て頼もしいものを感じていた。
「それで、本日はどのようなご依頼なんでしょうか」
 ロクは本題に入ろうとする。ミミもグラスを持っていそいそとやって来た。それを中井戸の前に置いた。
「あ、すいません」
 喉が渇いていた中井戸はすぐさまそれを手にして、ぐっとグラスの水を飲み干した。グラスをテーブルに置くとすっとした表情で息をフーっと吐いていた。
「今日は天気もいいし、ちょっと歩くだけで汗ばんで喉が渇きました。お水、美味しいです」
「おかわり持ってきましょうか?」
 罪悪感が少し残っているミミは気を遣う。
「いえいえ、これで十分です。すみません。それで、早速相談なんですが、このメモを見て下さい」
 中井戸はくしゃくしゃの皺がよった小さな紙切れを見せた。所々に汚れが薄っすらとついていた。罫線が入っているところをみると、ノートの切れ端だ。ロクはそれを手に取りたどたどしく書いてある文字を声にした。
「た、十? け、て、ひ、い、し、よ、う、じ、よ、り」
 ペンがかすれて見にくく、線がのたくって書きなれてない字にロクは読みづらそうにしている。
「ちょっとそれ貸して」
 ミミはその紙をロクから奪いじっと見つめた。
「庭と呼べるほどの大きさじゃないんですけど、一階のアパートなもんで、ちょっと園芸が出来るスペースがあるんです。雑草が生えて手入れしてないんですけ ど、ねずみや虫がいるのかたまに猫が遊びに来るんです。一週間前だったか、また来たんですけど、フンをされると困るので、追い払ったんですが、その後に、 その紙が落ちていたのに気がつきました。見たら暗号みたいで、それでずっと気になっていたら、こちらの噂を聞いて安く謎を解いてくれるとあったのでお願い しようかと思って」
 中井戸は安くを強調し、ロクはミミに振り返る。値段設定はミミの仕事だ。
 ミミはそれよりもメモに気をとられていた。
「これもしかしたら、かすれている『十』は『す』で、『ひい』は『び』となって、読みようによっては『たすけて、美少女? より』ともよめるような」
 無理があるのを分かっているミミは苦笑いする。もちろん思いつきで言ってみただけだった。
「『美少女より』とするならば、『よ』がひとつ足りませんね。また書き忘れた可能性もあるかもしれませんが、自分のことを美少女といいますかね。本当にそうだったら僕は素直に助けてあげたいですが」
 にたっと笑う中井戸。
「もしかしたら、中井戸さんなら反応してくれると思って、わざとそう書いたのかもしれませんよ。 中井戸さんの事が好きでわざとこういうサインを送ったのかも」
「ミミ、安易な憶測はそこまでにしなさい」
 ロクにたしなめられたが、中井戸は笑みを浮かべてまんざら悪い気がしていなかった。
「そうだったらいいんですけど……」
 といいかけ、はっとして口を噤んだ。少しばかりそういう女性に心当たりがありそうな感じだ。
「何かあるんですか?」
 ミミが聞くと、中井戸は首を慌てて横に振った。
「いえ、なんでもないんですけど、僕を頼ろうとしている人がいるのなら助けてあげたいなと思います。このメモは一体誰が書いたんでしょう」
「それを知りたいということの依頼でよろしいですか?」
 ここでミミが事務的にもっていく。
「はい。それで料金はどのくらいかかりますか?」
 中井戸も真剣な目をミミに向けた。
「まずは簡単な質問をこちらの逸見探偵がしますので、今は無料相談になってます。そこから逸見探偵が解決できそうか判断します」
 隣でミミの言う事を聞いているロクは冷や冷やしていた。
「とりあえずお調べはしますが、解決できる保障がないコースでしたら、お試し価格の三千円。真剣に事を解決したいのでしたらそれ以上の費用が必要と思ってください。発生する交通費は別途です」
 ミミの大雑把な値段設定にもロクはドキドキしていた。
「そうですか。こちらも軽い気持ちで相談をしにきたので、三千円くらいなら妥当ですね。できたら解決してほしいですけど」
 中井戸はとりあえず納得したみたいだった。
 ミミの値段設定は解決しなくても逃げ道があり、少しだけロクはほっとしていた。しかし、こんな調子ではダメだと、少し気合を入れる。
「それでは、質問させていただきますが、中井戸さんのアパートは何階建てですか?」
「二階建てで、上下合わせて八世帯向けの建物です。僕はその一番端の一階です。家賃は結構安くて……」
「そこまで詳しくは結構です。それで、このメモですが、上の階やお隣が投げた可能性はどうでしょう?」
「古いアパートなので、僕の上の階は今空き部屋ですね。隣は大学生風の男の人が住んでますけど、今は連休で留守みたいです。美少女らしき人はアパートには住んでないですね」
「美少女は忘れて下さい。それでは、その庭の向こう側には家はありますか」
「ありますけども、ちょっとした道路を挟んで、その向こう側に分譲住宅が並んでいるような感じです」
「それでは裏庭はその道路からは誰でも自由に入れるのでしょうか?」
「目隠しのウッドフェンスで囲んであります。よじ登れば可能でしょうが、そうすれば不審者になりますので、誰もそんなことする人はいませんが、猫だけは別です」
 中井戸の説明のあとロクは考え込んだ。
 猫が紙を運んできたのか、誰か投げたのか、いたずらか、本当に助けを求めたものなのか、可能性を思案する。
「猫って、こういう紙をくしゃっと丸めたもので遊ぶのが好きだよね。これ、猫に運ばせようとわざと丸めたんだと思う」
 ミミが言った。
「伝書鳩ならぬ、伝書猫? といっても、その紙を口にくわえるだろうか」
ロクは腕を組んだ。
「多分、何か猫が興味を持ちそうな食べ物を一緒に包んだんじゃないかな。ほら、紙にちょっと染みがついた感じに汚れてる」
 ミミが指を差した。
 よくみれば、油染みのような汚れがポツポツとついていた。ロクはその汚れを見ながら中井戸に質問する。
「その猫ですが、どこの猫か分かりますか?」
「飼い主が分かっていれば、入り込まないように文句のひとつも言えるんですけど、飼い猫か野良猫か区別なんてつきませんね。見掛けが黒猫くらいしかわかりません」
「黒猫……ですか」
 白石織香の部屋に入った猫と同じかもしれないとロクとミミは顔を合わせていた。
「それでは今から、中井戸さんの家の周りを少し調査してみましょう。ご案内願えますか」
「ええと、ちょっと用事のついでに来たので、そっちを先にすませたいんですが」
「それならば、場所を教えていただければ結構です。こちらで周辺を見てみます」
 紙に住所と簡単な地図を、中井戸に書いてもらう。それを手にして、ロクとミミは調査を始める。 その間、中井戸は用事をすませに向かった。
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