ふたりは謎ときめいて始まりました。

第三章


「あっ、これは」
 お皿の上にいくつか乗せられた丸みを帯びた三角の白いものをみて、ミミは反応する。
 半透明の中はうっすらと黒っぽいものが見え、軽く粉がかかっているそれは、小さな大福みたいだ。
 織香たちの前にも同じものをローテーブルに置いた。
「子供の日いうたら、やっぱり柏餅やチマキですやん。それを買おうと思うたら、こいつ、餡子は嫌いいうんですわ。それでも俺は息子と一緒の初めての子供の日やから、やっぱりなんかそういうのほしいてな、それでちょっとアレンジしましたんや」
 またキッチンに戻り、瀬戸はマグカップに紅茶を注ぎ出した。
「餡子が嫌いなら、一体中には何がはいってるんですか?」
 ミミが一番興味を持っていた。
「まあ、それは食べてみて下さいな」
 いたずらっぽく瀬戸は笑っていた。
「それじゃ、遠慮なくいただきます」
 ひとつ手にして、ミミは大福みたいなものを一齧りした。
「うそ、何、これ」
 ミミの手に残ったそれは、茶色にコーティングされた赤いものが顔をだしていた。
「どうです、チョココーティング苺ミルク餅のお味は?」
 湯気が立つマグカップをミミの前に置いて、ドスの利いた声で強面に訊いた。
「こ、これは…」
 ミミは残りをパクッと口にした。
「ああ、最高! なんかもうやられました。モチモチの触感の中にぱりっとしたチョコが加わり、そこに甘酸っぱい苺がジューシーに口の中でミルキーに広がる。これ、おいしすぎる」
 ミミの言葉で、皆興味を持ち、次々に口に入れだした。
「あら、美味しい」と織香が言えば、隣で祥司が「うん、うん」と口をもごもごさせていた。
 最初は食べるのを戸惑っていた中井戸も、美味しいといわれたら我慢できずに口にした。
「さっぱりしているのに、コクがある甘さでフルーティ」
 中井戸の目が見開いた。
「そうでっしゃろ。ちょっと俺も、これならいけるんちゃうかって自信作ですわ」
 瀬戸は紅茶をローテーブルに置きながら答えていた。
「触感も素晴らしいけど、このミルクのコクは一体どこからくるんだろう」
 ロクはゆっくりと味わっている。
「このミルクもちって、もしかしてコンデンスミルク入ってません?」
 ミミが訊くと、瀬戸はすぐ反応して振り返った。
「そうですわ。やっぱり苺いうたら、コンデンスミルクですやん。よう気つきましたな」
「この苺も口あたりがとてもいい。噛むと本来の苺の果汁がじゅわって広がる感じ。素材もすごくいい」
「ミミさん、結構料理評論家みたいですな。でも、苺の扱いは気つけましたで。苺は水洗いしたら、そこで水っぽくなって日持ちせえへんようになりますさか い、そこは水で濡らしたキッチンペーパーを固く絞って丁寧に拭きましたんや。それだけで苺の甘みを逃がさんようになるんです」
「こだわりの仕事されてますね」
 ロクも感心していた。
「そしたらチョコレートもテンパリングに気をつけられたんでしょうね」
 ミミは当然のことのように訊いた。
「はい、チョコレートは温度に敏感ですさかい、カカオバターの結晶を細かい粒子に安定させるように溶かし、滑らかな口どけになるように気遣いました」
「チョコレートは溶かすのに失敗すると、次固まったときに白くなって口当たり悪くなりますもんね」
「それファットブルームでっしゃろ。そうなるとチョコレートまずくなりますからね」
 専門的なミミと瀬戸の会話にロクはついていけなかった。
「瀬戸さん、もしかしてお菓子作り好きなんですか?」
 聞き込みしたときは邪険に扱われて嫌な奴だと思っていたけど、お菓子のことで話が合い、ミミは瀬戸に親近感を抱いていた。
「最近、主夫していて手作りに目覚めましたけど、なんか美味しく作ろうとしたらとことん追求してしまうんですわ。そういう細かいところ拘ってしまって」
「それはいい傾向だと思います」
 ロクはそういう部分が欠けているために瀬戸を尊敬の目で見つめた。
「きっかけは妻や息子に美味しいって言うてもらいたいっちゅうのもあったんですけど、俺が子供の時、自分の父親にホットケーキを作ってもらったことも影響しているんかもしれません」
「お父さんの父親って、僕のお祖父ちゃん?」
 祥司が訊いた。
「おお、そうやで、今はもうおらへんから、祥司は会われへんけどな。これがまたすごい人でな、アル中やったんや」
 一同、しーんとなってしまった。
「アル中って何?」
 織香に向かって祥司は質問する、あどけない声が響いた。
「ええっとね、お酒が好きってことよ」
 婉曲に織香は説明する。
「いつも酒抱えて暴れていた人やったけどな、一度だけ俺のためにホットケーキ作ってくれたんですわ。でも家にあるもんいうたら、お好み焼きミックスの粉し かなくて、それでも小麦粉には間違いないからそれに牛乳と卵と砂糖入れて作ったんです。いざ焼けたら、はちみつもなくて、しかたないからって、ソースかけ たんです」
「うわぁ」
 ミミが思わず声を出した。
「俺も、正直それを生で見ていて、ほんま『うわぁ』でした。父親が怖かったからそれを食べたんですけど、意外にお好み焼きみたいでうまかったんです」
「それ、実質、お好み焼き……」
 ミミが言うと、ロクはひじをついた。
「だけど、そのときそんなホットケーキでも俺が美味しそうに食べたのが嬉しかったんでしょうね。初めて父親らしいことができたって満足したみたいで、それ から俺のためにと酒を控えるようになりました。そんで料理作ってたらそんな父親のこと思い出して、祥司にも美味しいって思われるもの作ってやりたいなって 思うようになったんです。まあね、俺の父親はどうしようもなかったけど、それでも唯一父が俺に教えてくれた大切なことのように思えましたんや」
 先ほどのしーんとした冷えた空気の中に、じんわりと温かみが広がって和らいでくる。それがそれぞれの心に入り込んで皆言葉に詰まって違う意味で静かになっていた。
「お父さんの料理、ママが作るよりていねいで美味しい」
 祥司が言った。
「そうか。嬉しいこというてくれるな。でもそれはママの前では言うたらあかんで。ママは仕事もあって、忙しいだけやからな。ママの料理もおいしいで」
「うん、わかってる」
 本当の父と知ったあとの祥司からトゲがとれたように、落ち着いたものが見えた。祥司はまたひとつ苺ミルク餅を頬張った。
 その時、瀬戸の顔が優しく微笑んでいたのをミミとロクはしっかりと見ていた。
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