第一章


 一度、近江君と接触があってから、私はどこか彼を意識するようになったのか、常に私の視界に入ってくる。
 クラスはすでにグループが出来上がっているが、クラスメートのそれぞれの顔と名前が一致し、誰がどこに所属しているかまで見分けがつくようになっているこの時、近江君がどこのグループにも属さずにいつも一人でいるから余計に際立って目に入ってくる。
 苛めにあっているのかとも思ったけど、そんな様子もなく、悪口を耳にするという事も私の知ってるところない。
 近江君も嫌われる要素などなく、常にきっちりとしてまじめだった。
 いつも机について本を読んでる姿は勤勉そのものであり、何かと物静かで問題を起こす生徒では全くなかった。
 コミュニケーションを取るのが苦手で、極力、人を遠ざけてるのかと思えば、他の男子生徒と朝の挨拶はしてる様子であったり、また私も一度声を掛けられているから、今よく話題になるコミュニケーション障害とも思えない。
 私だったら絶対自分から異性に余程の用事がない限り、声なんて掛けないと思う。
 授業中も積極的に先生に質問したり、当てられても正確な答えを言ったりと、優等生タイプでもある。
 なぜ頑なにいつも一人でいるのだろう。
 それが不思議で、好奇心から隠された謎を求めて、私の視線は時々近江君に向かってしまっていた。
 そんな私の行動を希莉は面白半分にからかってくる。
「千咲都って、もしかして近江君に気があるの?」
「えっ、やだ、ち、違う」
 私の困る顔を楽しむように、希莉がエスカレートして肘をついてきた。
「あれ? 慌てて否定するところが怪しいな」
 柚実も、さらりと突っ込んでは、同じようにからってきた。
「ちょっと待って、違うの。あのね、彼いつも休み時間は一人で机に向かってるから、なんでだろうと思ってさ。虐められてる訳じゃないよね」
 私は声を落として、そして真剣に落ち着いて話した。
「そういえば、一人だね」
 希莉は言われて初めて気がついたみたいだった。
 希莉にとっては興味のない男の子はどうでもいいらしい。
「常に勉強してるみたいだよね。中間テストも近いから、余程いい点数を取りたい、がり勉なのかも」
 柚実も全然興味を持ってなさそうだった。
「だけど、私達が知らないだけで、もしかしたら本当に虐められてるのかも」
 あまりにも一人でいるのが不自然だから、虐めの可能性が無視できなくて二人にも真面目に考えて欲しかったのだが、教室でそのような行為に思い辺りがない希莉と柚実は首を傾げるだけだった。
「その時は千咲都が助けてあげればいいんじゃない?」
 希莉はからかうようにわざとらしい笑みを浮かべ、あたかも私が近江君に気があると決めつけている。
「ほらほら、無理することないって。素直に認めちゃいなさい。ほれほれ」
 軽く頬をつねってきた。
 少しだけ痛かったのに、私は笑っていた。
 希莉は時々私を軽く虐めることがある。
 私が困ることをわかっていて、からかってるにすぎない遊びの一種だけど、またそれが希莉には楽しくて癖になってしまっている。
 本気じゃないのはわかってるので、それはすぐに受け流しているが、いくら気にしないようにしてても、何度も頻繁にあると胸に引っかかったままが続いて、納得いかない感情が少しずつ蓄積されていく。
 それでも気のせいと自分で本心を誤魔化しては、いつも笑顔で返しているが、結局のところ本当に困ることがあっても強く嫌と言えず、希莉には何も言い返せずに我慢してしまう。
 これ以上突っ込まれて派手に騒がれても困るので、近江君の話題には触れずに、希莉自身の話題に私は切り替える。
「ところで、希莉、昨日声を掛けられたあの話、あれからどうなったの?」
 希莉はやはりかわいいので、良くもてている。
 前日の放課後も、数人の別のクラスの男子生徒達が希莉に声を掛けて呼び止めた。
 希莉は少しだけその男子生徒達と話をするも、すぐに切り上げたみたいで、その後は少し機嫌を悪くしていた。
 その後はそのことに一言も触れなかったので、私は深く追求しなかったけど、今なら訊ける。
 特に私をからかった後は、いいおあいこだ。
「ああ、あれね、別にどうってことない話。なんでも一組の中川君が呼んでるから来て欲しいとか言われただけ。もちろん、嫌だっていって断った」
「そういえば、少し怒ってたみたいだったね」
「まあね。私さ、堂々と自分で行動を起こせない人が嫌いなの。用事があるなら私に直接言えばいいじゃない。友達に呼び出しを頼むなんて、自分が安っぽく見られてるみたいで、プライドが許せないんだよね」
「へぇ、そんなもんなんだ」
 希莉はきっと今までに沢山の人から告白されたんだろう。
 その中で過去に同じように告白されて嫌な目にあってるのかもしれない。
 私には全く縁のない話だった。
「でもさ、希莉は彼氏いるもんね。告白受けても無駄だし、迷惑なだけだもんね」
 柚実が言った。
「まあね」
 希莉の彼は、わたしもプリクラの写真を見せてもらったけど、年上でかっこいい人だった。
 美男美女でやはり釣り合いの取れてるカップルだと思った。
 柚実も中学のときから付き合ってる彼がいるとは聞いている。
 でも写真はまだ見せてもらったことはない。
 柚実の彼もきっとかっこいいに違いない。
 私は、今まで一度も付き合った経験なんてないから、二人が彼の話をし出すと置いてけぼりになってしまう。
 やっぱり羨ましいと思うし、私も男の人と付き合ってみたい願望はある。
 ボーイフレンドが欲しいと願うのは私だけじゃないと思う。
「だけど、希莉はもてるね」
「あのね、千咲都。もてることが全ていいことじゃないんだよ。好きな人に好かれなければ意味ないんだから。どうでもいい人にもてても嬉しくともなんともない」
「でも、誰にも好かれないのも寂しいよ。私なんて一度も付き合ったことないもん」
「それじゃ、付き合うだけでいいんだったら、今度私の彼の友達を紹介してあげようか。女子高生っていうだけで喜ぶ男が一杯いるんだって」
 私は思わず、心に希望の光が差し込んだようなドキドキした気持ちになった。
 私にも彼ができるかもという漠然的な期待が高まった。
 思わずこのノリに便乗して、喜び勇んで頼もうかと思った時、柚実が話に割り込んだ。
「ちょっと、希莉、初心な千咲都に変なの紹介しちゃだめ。千咲都も本気にしちゃだめだからね。付き合うって軽々しくやっちゃだめ。やっぱり好きな人と相思相愛になってこそ意味があるんだから。誰でもいいなんて言っちゃだめだからね」
 柚実の言い分ももっともだった。
 安易に彼ができるかもと思ってしまったことがとても恥かしい。
 その気持ちを隠し、つい無理をして気取ったふりをする。
「そうだよね。やっぱり知らない人といきなり付き合うのは不自然だよね。そんなの危ない危ない」
「そうそう、千咲都は慌てることなんてないの。いつか必ずいい人が現れるから、その時までとっておきなさい」
 柚実は私の頭を数回ポンポンと叩いて、先生気取りのようになっていた。
「それじゃ、千咲都にいい人が現れますように」
 希莉もまた同じように私の頭を軽く叩いた。
 二人に相手してもらえるのは嬉しいけども、なんだかどちらも私を子供のように扱うというのか、二人の前だと私は立場が弱いように思えてならなかった。
 力の加減が見えて、どこか同等になれない隔たり、そのちょっとした引っ掛かりが胸に違和感を残してしまう。
 二人の前ではあまり強く自分の意見を通せず、いつも二人が決めてしまうことがなんだか時々モヤモヤする。
 でも、そんな気持ちになっても、やはりそれを押し殺して二人の言うことに素直に従って、自分を演じてしまう。
 なんだか私ばかりが我慢するような感じ……
 そう思っていた時、また近江君の視線を感じたような気がした。
 だけど、それは自分が作り出した妄想のような気もして、彼に視線を向けて確認することはできなかった。
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