第二章


 私は何か気に障る事を言ったのだろうか。
 私を見つめる草壁先輩の目は見開き、動きが止まった。暫く何も言わずにじっとされると、こっちがそわそわして落ち着かなくなった。
 いくら親しみが湧いたといっても、後輩の分際で少し調子に乗りすぎたのかもしれない。
「あ、あの、私何か失礼なことでも……」
 おどおど戸惑っている私に気がついて、草壁先輩は我に返って優しく微笑んだ。
 背筋をピンとさせ、改めて私と向かい合う。
「ううん、その反対。初めて自分の内面で素敵だといわれて、ちょっと嬉しかったんだ」
「えっ?」
「いつもさ、お世辞でも、女の子達はかっこいいとかハンサムとか僕の顔や見かけのことだけしか言わないんだ。そりゃ、正直そういわれたらまんざらでもない けど、そればっかりしか言われないのも、なんだか中身のないような男みたいで、上辺だけで判断されるのが却って自尊心に傷がつくというのかさ、うんざりし てたんだ」
「は、はぁ」
「千咲都ちゃんは俺の中身を見てくれた初めての女の子だ」
「えっ? そ、それは、皆さんも本当はそう思ってると思いますよ。や、やっぱりそれらを全部含めてオーラが出てくるからかっこいいって、そ、その、それを言いたかったんじゃないでしょうか」
 なんだか自分でも訳がわからなかった。あたふたして言い訳するのもおかしいようにも思えるし、今更何を必死に伝えないといけないのだろう。
 草壁先輩は誰が見てもかっこいい。それは事実であり、自分ごときが説明したところで陳腐に思えた。
 私は肩の力を抜き、草壁先輩をじっくりと見据え、一呼吸ついた。
 草壁先輩は「ん?」とした顔で私を見ている。
 あれほど先輩を前にして、どぎまぎしていた自分が嘘のように、そして急に度胸がついて落ちついた。その勢いで私は自然と笑みをこぼした。
 堂々と、普通に先輩と向き合う。
「私、あまり異性の人と話をする事に慣れてないんです。ましてや自分の学校の先輩を前にしてるなんて驚きです。だけど、気さくに話しかけてくれる草壁先輩 のお蔭で、とてもリラックスできます。それって、人を安心させるからだと思うんです。そういう風に思ってるのきっと私だけじゃないです。こうやって草壁先 輩とお話する機会があって、しかも色々と助けてもらって私の方が嬉しいです」
 こんな風に話せるのも、草壁先輩が悩みを打ち明けて来たからかもしれない。より一層に親しみを感じ、自分も飾らないまま、遠慮する気持ちや、体裁を気にする部分が跳ね除けられた。
 この時草壁先輩を意識しないで、自然体になって話せる自分がとても不思議なくらいだった。それは近江君の時も同じだったと、ふと頭によぎる。でも近江君の方が自分と同じ学年なだけにもっと砕けて接することができる…… 
 と、考えている間、先輩はまた言葉を失ったように面食らって私を見ていた。
 近江君の事を考えていたせいもあるが、随分落ち着いていため、口をあけてポカンとしている草壁先輩を見るとなんだかおかしくて、つい笑い出してしまった。
 先輩もそれに釣られて笑みを添えた。
「そんな風に思ってくれてるのなら光栄だ。俺も千咲都ちゃんと話しているのは楽しいよ。いい後輩に巡り合えてよかったよ。これもハルのお蔭かな。あいつも千咲都ちゃんのこと気にかけてるみたいだ。ハルも何か様子がおかしいと思ったらしく、俺に知らせて来たんだ」
「えっ、近江君が……」
「あいつも俺の事情は知ってるんだ。だからこの異変に気がついたんだと思う。そしてどこかで情報を仕入れたに違いない」
 そういえば、図書館で見た女性がサクライさんの取り巻きの一人として五人の中にいた。近江君はそのことに気がついて勘が働いたのかもしれない。
「なんだか探偵みたい」
 近江君の事を考えていると、ついクスッと笑いを洩らしてしまった。
「探偵? ハルが? いや、あいつなら何かやらかす犯人の方が似合ってる感じだ。今はあんな感じでいるけど、千咲都ちゃん、ハルにはまだ気をつけた方がいいかも」
「えっ?」
「あっ、いや、別に深い意味はないんだ。それじゃ、俺はこの変で失礼するよ。そろそろ部活に行かなくっちゃ」
「先輩、色々とありがとうございました。あっ、そうだ」
 その時、小道具として持ってきたチョコレートの事を思い出した。上手く希莉との仲直りに活かせなかったが、このまま持って帰っても仕方がない。それなら誰かに食べてもらった方がいいと私は慌てて鞄からそれを出して、草壁先輩の前に差し出した。
 躊躇して面食らっている先輩に無理やり押し付け、手渡す。
「これ、もらい物なんですけど、家で誰も食べなくて、よかったら部活の皆さんで食べて下さい。練習の後の甘いものもエネルギー補給になりますよ」
「えっ? ああ。ありがとう」
「それじゃ部活頑張って下さい」
 私は一礼すると、踵を返して先にその場を去った。途中でもう一度振り返ると、先輩はまだその場に立って私を見ている様子だった。
 私は見られていることが恥かしく、はにかんでもう一度振り向きざまに礼をして、早足でさっさと歩いていった。
 みんなの憧れの草壁先輩とあんな風に話せたことは、少し優越感に思ってしまう。
 でもそこには、先輩後輩という上下関係と、自分には関係ないという他人事の気持ちが入り込み、自分の中では一過性のものとして、その後はさほど気にならなかった。
 それよりも、サクライさんの方に興味が湧いてくる。
 一体どんな人なのだろうか。友達に後押しされてまで、草壁先輩と付き合いたいと切望しているなんて。
 五人の先輩達に取り囲まれた時はさすがに戦慄を覚えたけど、その反面、一致団結して一人の友達のために行動を起こせる事にも感心してしまう。
 私なんて希莉と仲たがいしてしまっても、誰も慰めてくれないし、協力もしてくれない。
 また明日をどのように過ごせばいいのだろうか。草壁先輩とまた会ったことをダシに相田さんのグループに入り込んでやり過ごそうか。
 いやいや、そんな事を自慢げに話してもその場凌ぎなだけで、結局は親しい友達になれそうもない。
 希莉や柚実とまた楽しく過ごしたい。
 だけど希莉が頑なに私を受け入れないのはなんでなのだろう。私は希莉に好かれたくてたまらないというのに。
 ぼんやりと考え事をしながら下校していたので、まさかその先でサクライさんのための五人衆が自分を待ち伏せしている可能性を想像することができなかった。
「ちょっと、あんた」
 鋭い睨みを利かした団体の目が一度に私に向けられた。思わず「ひえぇぇ」と叫びそうになるところを、必死で息を飲み込んだ。
「下級生の癖にかなり生意気ね。いい根性してるじゃないの」
 駅に近い繁華街。道行く人がすれ違うも、ちらっと視線は投げかけていくのに、その後は素通りしていく。
 誰も助けてくれない。事情を知らないから当たり前だが、これだけ人通りがあれば、暴力は奮われないだろう。
 いざという時は人混みに紛れて逃げればいいと思ってた矢先、五人衆の一人が素早く私の腕を取るなり、逃れないように組んで密着させた。まさかがっちりと拘束されるとは思わなかった。
 そのまま人通りをさけて端の方へと移動させられた。
 気が動転して青ざめた顔で、怖いお姉さま方をぐるりと見回す。誰も苛立って険しい顔つきをしていた。草壁先輩の前で大事にならないように一応助けようと努力をした事は無視されている。期待する方が間違っているのだろうけど。
 ひょっとして殴られるのだろうか。
 一人が真正面に近づいてきた時、私は身を竦めて下を向いた。
「ぶたないで下さい」
「ちょっと人聞きの悪いこと言わないでよ」
 若干動揺したように、周りを気にして見ていた。五人衆の中でも一番きつそうで、ハキハキとしている。いつもこの人が先頭になって話を進めるところを見ると、やはりリーダー格のようだ。
 後から分かったがこの人は常盤(ときわ)さんという。
「あんたさ、自分のやってる事わかってるの?」
「はぁ?」
 やっぱり私は先輩という力に屈したくなく、つい呆れた口調をついてしまった。
「うわっ、何その態度、益々腹が立つ!」
 一斉にみんなの顔が歪み、目つきが益々鋭くなって憎悪に溢れていた。だけど、自分は何も悪い事をしていない。一年上という事を武器にパワハラされてるだけに思えてならない。
「私、何もしてませんし、草壁先輩とは何の関係もありません」
「関係ないのなら、なぜ教室まで来て呼び出したり、手紙渡したり、親しく話してるの」
 なんだか話がこじれている。あの時の私の行動は知らない人が見れば、そう思われても仕方がない。あれは出渕先輩の事で助けを乞うただけなのに、なんだかそれをまた一から説明するのもややこしい。
「あの時、櫻井さんはものすごく傷ついたのよ」
 この人達は、サクライさんのために一致団結しすぎている。でもそこまでサクライさんは友達に慕われてるのも羨ましい。自分の事でもないのに、友達のためだけに行動していることに一種の尊敬の念を抱くくらいだった。
 自分もそんな友達が欲しいというのに、サクライさんが羨ましすぎる。
「どうしてそんなにサクライさんのためにできるんですか?」
「はぁ?」
「皆さん、友達思いなんですね」
 私の素直な気持ちだった。
「あんたね、馬鹿にしてるの?」
「いえ、その、決してそうではないんですけど、つい口がついて……」
 その時、一人だけ困惑気味に、どうしても強く私を睨みきれない人がいた。強いて言えば、取り巻きの中で一番気が弱そうなタイプだった。
 みんなに流されてただ一緒についてきている。自分の意見を言わずに、ひたすら従順で、多少の事でも我慢するような人……
 あれ? なんだか急に何かと重なったような気持ちになって、思わずその人の事を見てしまった。
 その人は、気まずそうに私から視線を逸らした。何か言いたそうに、唇をわなわなと震わせ下を向いている。
 暫くその人を見ているとまた常盤さんにどやされた。
「あんた、いい加減にしなさい。一年の分際で生意気に行動してそれで許されると思う?」
「別に私は生意気に行動してるわけではないです」
「じゃあ、生意気じゃなかったら謝りなさいよ。そして今後草壁くんと話をしないって誓いなさいよ」
 一年生はいう事を聞いて当たり前と押し付けるように、先輩という権力を盾にしているとしか思えなかった。ここで屈した方が自分のためになるとは思っていても、理不尽な条件を付けられてそれに誓うだなんて、とんでもない。
 草壁先輩とはこの先も顔を合わすだろうし、普通に挨拶もできないように強制されるのが腑に落ちない。
 怒りをぶつけている先輩達の目つき。それは恐怖心を植えつけるものではあるが、むかついて睨み返したくなるようでもあった。 謝ってしまえという気持ち、立ち向かえと反抗したい気持ちが葛藤してしまう。
 私は一体どうすればいいのだろうか。身を屈め、上目遣いに様子を伺う。
 私が素直に謝らないことで先輩達の苛立った気持ちが絵に描いたように見えてくる。ぐっと体に力を込めて、私はどうすればいいのか考えた。
 今後の事を考えて、悔しいけど二度もしつこく取り囲まれれば、ここは屈服した方が得策という気持ちが固まりつつあった。
 しかしその時、場違いな着メロの音が聞こえた。アップテンポな軽やかな響きは緊迫していたその場の雰囲気を簡単に崩した。
 誰もが調子狂ったこの間をぎこちなく感じてギクシャクしているとき、常盤さんだけが慌てて鞄からスマホを取り出して確認していた。
 みんなからの視線を一度に受けても、開き直った態度を見せて物怖じしていない。また誰も何も言い出せないで黙りこんでいるだけのしらけた空気が流れていく中、その場で通話を始めた。
「はい…… そうだけど…… えっ、ど、どうして私の電話番号知ってるのよ…… えっ、ちょっと待ってよ……」
 会話を始めたリーダー格の声が急に慌てだし、私をチラリと見ては後ろにさがって私を避けだした。
 誰と話しているのだろうか。
 顔を青ざめて小さな声で受け答えしているその様子は、どうやら苦手な人らしい。キョロキョロと辺りを見回し、怯えているようにも見える。
 そして通話が切られた時、咳払いをする声と共に常盤さんは私を一瞥するが、先ほど感じた居丈高が弱まっていた。
「とにかく、これ以上草壁君には近づかないことだわ」
 捨て台詞を吐くように、キッーっと私を睨みながらも、その後は勝手にスタスタと歩いていってしまった。
 私も何が起こっているのかわからなかったが、残りの四人も戸惑いながら、後をついていった。
 砂浜に流れ着いた漂流物のように一人取り残された私は、暫く唖然として動けなかった。
 一応危機は回避でき、息がしやすくなってほっとするも、あの常盤さんが受けた電話は誰からだったのか気になってしまう。あれがあったから何かの変化をもたらしたに違いない。
 草壁先輩が心配して、念のために確認して釘を刺してくれたのだろうか。それとも、突然の急用ができて慌てて帰っただけなのだろうか。どっちにしても助かったことには変わりない。
 ようやく呪縛から解放されて心に余裕が戻ってくると、先ほどまで見えなかった周りの景色が急に目に飛び込んでくる。
 無機質な雑居ビルに飾り付けられたごちゃごちゃとした看板。人がひっきりなしに過ぎ去り、すぐ横の通りには車がやや渋滞気味に進行していた。
 雑踏の中で一人佇んでいたその時、エンジンを吹かしたスポーツバイクが派手な音を立てて、のろのろと走っていた車をすり抜けて追い越していった。
 その行為に感化されて私も足を動かした。視線は先を行ってしまったバイクの小さな姿をなんとなく捉えている。やがてそれは視界から消えると、私もなんだか走り出したい気持ちに駆られた。
 『こんなトラブル続きの高校生活は嫌だ』と、足に力を入れて全てを蹴散らしてしまいたい程に早足で歩いていた。
 溜まる不満をどう対処してよいのか、せめて誰かに愚痴を聞いてもらいたい。思うままに話せる相手が欲しい。
 そう思った時、近江君が自然と浮かんできてしまい、思わずドキッとしてしまった。
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